第15話 殲滅現場の棺
日向灯里と白銀の少女が、『こもれび荘』の202号室で1組の布団にくるまって穏やかな眠りに落ちていた、ちょうどそのころ。
第13区の隣接区域、錆びついた鉄骨と崩れた煙突が立ち並ぶ廃工場地帯の地下深くでは、この世の終わりを思わせるような重苦しい沈黙が支配していた。
地下秘密結社『冥府の揺り籠』第7研究所。
数時間前まで完全な闇に沈んでいたその巨大な地下空間には今、魔法少女協会が緊急搬入した無数の照明が蒼白い光を投げかけている。
「――第3通路の検視、終わりました。研究員に武装警備兵、それに黒鉄型の魔導強化兵まで、おびただしい数の死体が転がっています。……生存者は、やはり0です」
防護マスク越しに響く調査員のくぐもった報告が、冷え切った鋼鉄の回廊に反響した。
「死因は?」
「第1通路および第2通路の個体と、完全に同一です。外傷なし、出血なし、毒物反応なし。神経系と心臓、そして装備していた魔導具の魔力回路だけが、まったく同じ瞬間に機能を停止しています」
報告を受け取った男――対魔特務機関・魔法少女協会の内部監査局に所属するA級特務審問官、黒崎司は、黒い革手袋をはめた指先で、自分が着けているマスクのフィルターをこつんと叩いた。
「毒ガスでも呪詛でもないのは、鼻を見ればわかる。これだけ死体が転がっているというのに、血の匂いどころか、死臭すらまるで立ち込めていないんだからな」
黒崎はそう呟きながら、自分自身の顔を覆っていたマスクの留め具を外し、無造作に部下へと放り投げた。
痩せぎすで背が高く、仕立ての良い漆黒のロングコートを羽織った男だった。神経質そうに撫でつけられた黒髪の下で、爬虫類を思わせる細く冷酷な瞳が、通路にずらりと並べられた白い遺体袋の列を値踏みするように見下ろしている。
協会の内部において、規律違反者や裏切り者、そして危険な異端分子を嗅ぎ分けて処刑することから『猟犬』の異名で恐れられる男である。
だが、これまで数え切れないほどの凄惨な魔人災害や違法実験の現場を踏んできた黒崎をして、この第7研究所の光景は、背筋に冷たい汗が滲むほど異常なものだった。
「それにしても、見事な手際じゃないか。まるで、死神が通りすがりに全員の魂のスイッチを順番に切って回ったみたいだ」
黒崎は革靴の踵を鳴らしながら、白い規制線が幾重にも張られた最深部――中央制御ホールへと足を踏み入れた。
ホールの入り口には、内部監査局の精鋭たちが厳重な警戒態勢を敷いている。
そして、半円形の広いホールの中央には、通路の遺体とは明確に区別される形で、5つの真新しい純白の棺が静かに並べられていた。
棺の傍らには、砕け散った双剣の柄や、弦の切れた戦弓、ページが白く風化した分厚い魔導書が、証拠品として透明なケースに収められている。
「……『白百合の聖槍』か。特A級の精鋭が5人揃って、突入からほんのわずかな時間で全滅とはな」
黒崎は5つの棺の真ん中、ひときわ丁重に扱われている棺の前で足を止めた。
まだ蓋が閉じられていないその棺のなかでは、黒髪を白いリボンで束ねた美しい少女――隊長の神代凛華が、まるで眠っているかのように静かに目を閉じて横たわっていた。
凛華の顔には、苦悶の色も、恐怖の歪みもなかった。
それどころか、その唇には、迷子の子どもに声をかけるときのような、ほんのわずかな優しい微笑みの名残すら浮かんでいる。
「監査官殿。こちらが、神代隊長の装甲から回収された記録機の解析結果です」
傍らに控えていた鑑識班の主任が、震える手で携帯用のモニターを黒崎へと差し出した。
「レンズと記録魔石の大半が『風化』によって砂になっていましたが、破損する直前の数秒間だけ、音声と断片的な映像データの復元に成功しました」
「ほう。見せてみろ」
黒崎がモニターを受け取って再生ボタンを押すと、ノイズ混じりの画面に、薄暗い中央制御ホールへ踏み込む凛華視点の映像が映し出された。
画面の奥、灰黒色の砂の山になったガラスの手前に、小さな白い影がぽつんと座っている。
映像は激しく乱れており、その影の顔立ちまでは判別できない。ただ、非常灯の光を弾く異常なほど長い白銀の髪と、黒地に白いレースをあしらったゴシック調のドレスの輪郭だけが、ぼんやりと浮かび上がっていた。
『……魔力反応、完全にゼロね。魔人じゃないし、魔導兵器でもないわ。魔力回路すら持たない、本当にただの普通の人間の女の子よ』
副隊長・早乙女綾の安心したような声がスピーカーから流れる。
続いて、凛華が自らの右手のグローブを外し、階段に座る小さな影へと歩み寄っていく。
『……わたしのこと、怖くないの?』
ノイズの向こうから、鈴を転がしたように澄んだ、幼い少女の声が聞こえた。
『怖くなんてないわ。こんなにかわいい子を、誰が怖がったりするものですか』
『さあ、お姉ちゃんたちと一緒に、外へお日様を見に行きましょう――』
映像のなかで、凛華の白い素手が、少女の白銀の髪へとそっと伸ばされる。
指先が、銀髪に触れた。
――ブツッ。
その瞬間、画面を埋め尽くすほどの激しい砂嵐が走り、凛華のバイタルを示す緑色の波形が、前触れもなく0へと落ちた。
直後、カメラの画角が床へと激しく傾き、倒れ込んだ凛華の視点から、ホールの入り口で絶叫する4人の隊員たちの足元と、荒れ狂う氷や雷の魔法の光が映し出される。
だが、どれほど激しい魔法の閃光が走っても、画面の端に映る小さな黒いドレスの裾は、微動だにしていなかった。
『き、効いてない……!? 特A級の全力斉射が、かすり傷ひとつ付いてないですって!?』
『お姉ちゃん――っ!!』
『いやだ……いやだぁっ! なにこれ、なんなのよあの子はぁっ!! 魔人じゃない、人間でもない、あんなの……あんなの、“死”そのものじゃないですかぁっ!!』
久遠寺ルルの引き裂かれるような断末魔の悲鳴。
そして最後に、壊れかけたレンズのすぐ目の前を、透き通るように白い小さな裸足が、ぺた、と横切ったところで――記録機の映像は、完全に真っ黒な闇へと途絶えていた。
「………」
モニターの電源を切った黒崎は、しばらくのあいだ無言のまま、棺のなかの神代凛華を見下ろしていた。
「……早乙女綾の探知ゴーグルが『魔力ゼロ』と誤認した理由が、これでわかったな」
黒崎の細い瞳に、獰猛な猟犬のような暗い光が宿る。
「魔力がなかったんじゃない。放たれた探知波そのものが、あの少女の肌に触れた瞬間に『殺されて』消滅したんだ。凛華の護身魔力も、ルルの防壁も、天城姉妹の双剣も、すべて同じだ」
黒崎はくるりと踵を返し、ホールの正面、崩れ落ちた隔離室の残骸へと歩み寄った。
そこには、半分だけ砂にならずに残っていた金属製のプレートが落ちており、『被験体0号』という文字がかすかに読み取れた。
そして、灰黒色の砂が降り積もった金属の床の上には、とても小さな裸足の足跡が、点々とホールから出口の回廊へ向かって続いている。
黒崎はしゃがみ込み、床に残された小さな足跡の横幅に、革手袋をはめた自分の指をそっと添えてみた。
「第1に、そいつは外見だけ見れば、まだ幼い白銀の髪の少女だということ。しかも、自分の意志で暴れ回ったというよりは、向かってきた連中や、うっかり触れた連中を無造作に死なせている節がある」
そして黒崎は立ち上がり、はるか奥の非常階段へと続く回廊を見据えた。
「第2に――その『歩く死神』は、すでに非常階段を登り、我が協会の封鎖班が張っていた検知結界すら音もなく殺して、地上の市街地へと出ていった」
その言葉を聞いた瞬間、周囲にいた監査局の調査員たちが、ごくりと息を呑んで顔を見合わせた。
特A級の『白百合の聖槍』を無傷で全滅させたほどの化け物が、今も裸足のまま、すぐ上の街のどこかを歩き回っている。それは、高位の魔人の群れが同時に出現するよりはるかに恐ろしい悪夢だった。
そのときだった。
――ゴォォォォンッ!!
地下深くにある第7研究所の天井から、突如として地響きのような轟音が降り注いだ。
地震ではない。
地上の廃工場地帯を覆っていた分厚い鋼鉄の屋根や封鎖用のバリケードが、圧倒的な熱量と魔力の奔流によって、上空から一気に吹き飛ばされた音だった。
同時に、地下の冷え切った空気の温度が、数秒のうちにじわりと上昇し始める。
「な、なんだ……!? 敵襲か!?」
調査員たちが慌てて武器を構えようとしたのを、黒崎が片手を挙げて制した。




