俺とあいつの結婚。
「矢作璃々子、覚えているだろ? 同じクラスだった」
と、俺が矢作を紹介すると、「友達? なんで女子なの?」と、俊は顔を顰める。
他に友達らしい友達がいないからとはさすがに言えない。
「男には頼みづらかったんだよ」
「ふーん」
「そういう自分だって」と指摘すれば、「まあ、確かに男友達には言いづらかった……」と俊は諦めたようにため息をついた。
「こちら、英茶々さん。学生時代にアルバイトをしていた喫茶店のマスター」
と、四十代ぐらいの女性を紹介してくれた。
「マスター? ママやマダムや女将さんじゃなくて?」
マダムと言ったほうが似合いそうな女性だ。
「マスター」
と俊は言い切る。
なるほど。なにがなるほどか、自分でもわからないけれど。
「わかった。ごめん」
とりあえず謝っておく。
俺たち四人は、今、俊が住むマンションのリビングで、ローテーブルをはさんで顔を突き合わせている。
俺の隣に矢作、俊の隣に英さん。なんだかカップルふた組みたいな配置だが、カップルではない。
「俊はさ、覚えているかな? 高三のとき、女子らが俺たちの薄い本を読んでたことがあったじゃんか。矢作はあの時の漫画の作者で、今は立派なBL漫画家先生、ペンネームは〈つくり・りりす〉」
と教えてやる。俺、矢作の他に、こんなことを頼める相手が思い浮かばなかったんだよ。友達少ないしな。
「えええっ⁉ つくり・りりす先生⁉」
素早く反応したのは英さん。
「りりす先生‼ 私、大っファンなんです!」
と、ハートを周囲に飛ばす勢いで身を乗り出した。
なるほど、なるほど。俺もだが、俊のほうもそういう人選になるのか。うん。まあ、なかなかカミングアウトってできないよな。間違いなくわかってくれそうな相手を選んじゃうよな。
「それでは」
と言って俺は立ち上がると、英さんと座る場所を交代した。
ローテーブルの上に一枚の紙が置いてある。ネットからダウンロードしてきて印刷した、青い花があしらわれた可愛らしい婚姻届だ。
もちろん正式に提出することはできない。書いて額に入れて飾っておくことにしたんだ。
色々調べて、ふたりで考えた。パートナーシップの宣誓書にするとか、養子縁組にするとか。
考えた結果、婚姻届を書くことにした。俺たちは結婚したいのであって、パートナーとかいう関係になりたいわけじゃないし、まして親子になりたいわけでもない。
ふたりの女性は、この結婚の立会人として呼んだ。
「離婚届も書いて一緒に飾っておくといいわよぉ~」
英さんが物騒なことを言う。
にっこにこ笑顔で何てことを言ってくれるんですか?
「うちはね、婚姻届の裏に離婚届を重ねて飾ってあるよ。相手を縛ることがないように。もしどちらかの心が離れたら、すぐに自由になれるように。ごねることがないように。そして、絶対に離婚届は使わないっていう誓いのために」
「マスターは女性と結婚してるんだよ」
俊がそっと教えてくれる。なるほど、大先輩か。俊はきっとこの人に自分の心と躰の悩みを相談してきたんだろうな。相談できる人がいて良かったな。心の中で英さんに感謝する。
「離婚届か……」
俺は少し考える。別れないという決意のための離婚届。
「でも……俺には書けません。一生書けないと思う」
俺と俊では、俊が圧倒的に不利だ。いわゆるノンケとかヘテロとかストレートとか呼ばれる類の俺と、同性愛者である俊を比べたとき、俺には逃げ道がある。どこかの女と婚姻届を提出してしまえば、俺は法に守られてしまう。まあ、彼女いない歴イコール年齢の俺に、間違ってもそんな女が現れることはないと思うけれど。でも、その事実は常に俊に不安を与えるだろう。
俺は安心させたくて、そっと俊の手を握った。
女性ふたりが、そんな俺たちを、ニコニコ……いや、ニヤニヤというかフニャフニャな顔で見ている。
しまった。無駄に栄養を与えてしまった。
俺は大きく深呼吸をすると、万年筆のキャップを外し、婚姻届に名前を書こうとした。
その手を俊がガシっと掴む。
「え? 何?」
この期に及んでなぜ止める?
「今、あたりまえのように夫の欄に名前書こうとしたでしょ?」
「うん」
「俺、言ったよね? ウケは許せんって」
「え? あ? ええっ⁉」
え? まって、まって? あ。ちょっとまって。思考が追いつかない。
「つまり、俺が妻になるってこと?」
「俺のほうが年上だし」
「いや、一か月しか違わないじゃん」
「これが養子縁組だったら、俺が親になるんだからな。俺がお父さんだよ」
俺が妻? 俺って妻なの? 妻? エエエ? 妻って、刺身についてる大根? じゃなくて、妻? 奥さん?
「俺がお母さんになるの?」
「そうだよ。お前がママになるんだよ」
なんかこの意地悪い言い方は、俊じゃないな。柊夜だな。
マジか。
まって、まって! 今、俺、結婚する前に離婚しそうな気分なんだけれど?
目の前で、女性ふたりが大爆笑している。クソ。やっぱり人選を間違えたか?
矢作は笑いすぎて目に浮かんだ涙を拭いながら、何が入っているのかよくわからない巨大な鞄を引き寄せた。ちょいと待て、と言いながら。
そして、鞄を開くと、中に手を突っ込んで、何やら白い物体を取り出した。
「じゃ~ん。漫画家御用達修正液~」
何かの秘密道具みたいに言うと、修正ペンのキャップを外し、〈妻になる人〉の欄の〈妻〉の字と、〈父母の氏名・続き柄〉の欄にある〈女〉の字を消した。
しばらく紙をパタパタと振って乾かすと、鞄の中からポーチを取り出した。ポーチを開くと何色あるのかわからない、カラフルなペンがごっそり出てきた。
矢作は、婚姻届の文字の色とペンの色を見比べて、一番似ている色を選び出すと、〈妻〉を〈夫〉に、続き柄の〈女〉を〈男〉に書き換えた。さすが、漫画家先生! 修正は得意技!
これで、結婚する前に離婚しないで済みましたぁ~! パチパチ。思わず拍手が出る。
年上の俊が、元々の夫の欄に、そして俺が、妻を書き換えた夫の欄に署名捺印した。
ふたりの女性が、厳かに証人欄に名前を書いてくれた。
これで、俺たちは晴れて夫婦だ。もとい、夫夫だ。
用意しておいた結婚指輪をケースから取り出し、俊の――いや、今のこの目つきは茉優だ――の左手の薬指に指輪を嵌める。
俺の左手の薬指に茉優が……いや、これは俊だな。俊が指輪を嵌めてくれた。
俺たちは見つめ合い顔を近付け……いや、ストップ! その前に!
俺は、あらかじめテーブルの下に用意してあった撮影禁止の札を、さっとテーブルの上に置いた。
よく訓練されたオタクは、ルール遵守だ。撮影不可の場所で写真を撮るような非道なマネは絶対にしない。
矢作と英さんは、チッと舌打ちし、悔しそうな顔をしながらスマホをテーブルに伏せた。
俺は、茉優の肩を引き寄せ、その唇にそっとキスを落とした。愛を込めて。誓いを込めて。




