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Lap Of Luxuryという感じである。とにかく俺にはもう贅沢は必要ない。質素に生きるのが一番だ。金などというものは結局大した価値を持たない。そのことにようやく気が付いた。金で買えない幸せというのは実に得難い。どこを探しても未だに見当たらない。しかしそういうのが人間にとって一番大事なのだ。上手く言えないのが歯がゆいが…。え?金で買えない幸せも金が無いと得られないって?うむ、確かに金で買えないからといって金が全くかからないとは限らないな。むしろ金で得られる幸せを必要条件としていることは否めないだろう。要するに金は必要条件であって十分条件ではないという事に過ぎないのだ。それは認めるさ。だが金が沢山あれば良いという事でもないだろう?一般によく言われているように、金銭の効用はある金額までは急激に上がっていくが、それを過ぎると殆ど横ばいなのだ。つまりある一定の収入にまで辿り着けば、少なくとも金銭から得られる効用は逓減していくわけだから、そこが働くか否かの損益分岐点という事になる。だから食っていくのに満足な収入を得られていない人を別とすれば、人間はもうそれ以上頑張らなくていいのだ。贅沢をしても嫌な気持ちになるだけだ。そしてすぐに飽きる。他人に対して見栄を張るのも同様だ。
勿論、働く事には金銭以外にも色々と理由がある事だろう。マズロー五段階欲求説を持ち出すまでもなく、生理的欲求や安全の欲求の上にも更に人間の欲求はいくつも重なっている。だが俺に言わせればそれだって一種の贅沢じゃないかということなのだ。欲求は多分無限に存在する。多分自己実現欲求を満たしたからと言ってそれで終わりという事はない。下手をすると自己実現欲求を満たした後に生理的、又は安全の欲求が湧いてくるというような倒錯だってあり得る。要するにそんなものを追いかけ回したところできりがないのだ。今、この時点の状況に満足するべきだ、というのが単なる楽観論ではないことは納得してもらえると思う。
そう言うとまたメディアが垂れ流している様な経済論議が巻き起こるだろう。皆が皆そんなことでは組織が、あるいは国が衰退して競争力を失い、いずれは損益分岐点の収入すら得られなくなる、と。誠にその通りだ。だがその時はもう人間一人の努力ではどうにもならない。それはまるで人間一人で大津波に立ち向かおうとする努力のように虚しいだろう。そうなったら潔く運命を受け入れるしかない。それに人間の幸福度というものはかなりの程度周囲との比較によって測られると言う点も強調しておかなければならない。皆が貧乏なら、そう貧乏を感じる事も少ない。
そうだ。もう頑張る必要はない。現状維持が大事だ。これは是非とも覚えておこう。




