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もはや力尽きた。俺は酒を飲むことにした。尤も酒なんていつも飲んでいるのだが、俺が飲もうとしているのはそういう酒ではない。俺には所謂たしなむ程度の酒ではなく、我を忘れるほどの酒が必要だ。
俺はウイスキーを飲んだ。ラム酒を飲んだ。そうして手に入る限りのありとあらゆる酒を買い込んで、毎日飲んだ。しかしいくら飲んでも俺が我を忘れるという事はなかった。むしろ頭が重く、吐き気がし、いつも以上に虚無的になった。どれだけ具合が悪くなって、もはや思考すらなくなりつつあっても、結局俺はこの脳が軋むような嫌悪感を拭い去ることはできなかった。いや、こうなる事は殆ど予期できていたのだ。本来酒を飲むとその人間の本質がむき出しになるものだ。いつもおとなしい人間が酒を飲むと途端に狂暴化したりするのは、その人間の本質が実は頗る攻撃的だからだろう。してみると、俺の場合いくら酒を飲んでも虚無的だったのだから、俺の本質はやはり虚無だったのだということになる。勿論本質なんてものが当てにならない事は俺だって重々承知している。「実存は本質に先立つ」の言にあるとおり、世界は実存で構成されていて、その裏には実は何もないのである。だが本来何もない世界に事後的に、人工的に本質的意味を付加しようとする人間の習慣もまた理解できる。形以上の意味を持たない世界においても何らかの本質を創りださなければ、俺達人間にとっては実に都合が悪いのだ。で、つまりはそれだけ無理やりこじつける方法で物事に本質というものを与えても、俺には虚無しか与えられなかったのだ。つまり俺は本来的な世界のあり方に最も近い訳である。そういう意味では俺は一種悟りをひらいたと言ってもいいかもしれない。だがその悟りですら行き着くところは畢竟虚無なのだ。こんな悟りに何の意味があろうか?さすがにこれには如何なる意味付けもしようがない。




