ふ
ふふふ、そんなに知りたいなら教えてあげよう。生きる為に一番大事な事をね。君はまだある程度若い。まだいくらでもやり直しがきく。人生の先輩として、君に忠告しよう。
ところで君は就職活動というのをした事があるかね?君は今会社員だそうだから、一応はあるだろう。君の性格だから、恐らくかなり苦戦したんじゃないだろうか。まあこんな言い方は不躾に思われるかも知れないが、そんなにトントン拍子に進んだわけでもなかろう。多分今思えば笑い話だろうが、その時は大変に落ち込んだんじゃないか?そうだろう、大抵はそんなものだ。俺だってそうだった。立て続けに不採用の通知をよこされると、何だか自分が社会から必要とされていない様な、価値も魅力も無い人間だと言われている様な気がするからね。で、そのとき君の周りは何と言っていた?きっと下らない気休めを言っていたのではないかと思う。そんな事を気にする事は無いとか、企業はその人の全人格を知っているわけではないとか、あるいは何とかなるさ!なんて大声で叫んでは君の背中をどんと叩いたり。分かってないね。いや、分かっていても本当の事を言わないのかも知れないね。だとしたら増々下らない。今更俺なんかが君にこんな忠告をしなくちゃならないのは、本当の事を語りたがらない卑怯な連中がこの世に犇めいているからだ。
なぜ就職活動の話を持ち出したりなんかしたかと言うとね、就職活動に必要な能力、つまりあれこそが人生を渡りきる為に最も必要とされる能力だからさ。まあ身も蓋もない表現をすれば、権力に追従する能力、という事になると思う。当時君や君の周りは言っていただろう。媚を売り続ける就職活動など大いなる茶番だと。こんな茶番から早く抜け出して、社会人になりたいと。それは大きな間違いだ。なぜなら世の中はそんな茶番の上に成り立っていると言っても過言ではないからな。つまりここで言うところの茶番こそが社会なのさ。就職活動なんてそのうちの序の口だ。つまりね、序の口を過ぎてここにいる俺や君は常に茶番のまっただ中に生きているという事さ。毎朝毎晩茶番の海を泳いでいるのさ。茶番を抜けた先には更なる茶番が待ち受けているのさ!それがつまり社会人として生きるという事なのさ。どんな仕事に就くにしてもね。そう思うと、その登竜門であった就職活動という儀式には意外にも重要な意味があった事が分かるだろう。
君の生活様式が今後どんな風に変わっていくか、俺には予想が出来ない。何せ一寸先の時代がどうなってるのかすら分からない混迷極まる時代さ。だが俺は一つだけ確かなことを言える。それは茶番をこそ演じろという事だ。それを外からどう見られているかを考えたり、恥ずかしがる必要なんて無い。確かに何も物の分かっていない連中から見れば、それはもう醜いと言う他無い見苦しさだろう。茶番を忌避し、穢らわしくすら思うだろう。しかしそこで醜いなどと思ったばかりに真理から目を背けてしまった彼らの様な奴らはじきに指弾され、廃れていく。そして何一つ手にする事も守り通す事も出来ずに理不尽で屈辱的な憂き目にあう。彼らが人から後ろ指を刺され、路頭に迷い、今日食う飯にも困っている時、それでもこの人生は一片の汚れもなく美しかった、と誰がいえよう。なぜなら彼らは彼らが何より忌避していた筈の醜い生き方をしなければ今日の飯すらままならないのだから。それでは卑屈にもなろう。恨みつらみをまき散らすような者にもなろう。彼らが求めていた美しい生き方はいつの間にかこの上なく醜い生き方になるのだ。美しい生き方など土台無理なのだ。生きている事自体が美しいことではないのだから。
長いものには巻かれろと言うと、君は嫌な顔をするね。確かにそれは一時的には醜いかも知れないよ。だけど総体で見たら結局は安上がりなのさ。しかも醜い生き方は誰にでも出来るわけではない。美しい生き方をしようと道を誤ってしまって、そのままある程度年を取ってしまった人にはもう醜く生きる権利すらないんだよ。そうなるともう生き方とかの話じゃない。彼ら自身が本当に醜くなっていく。醜さの中の一滴の美しさも知らずに、ただひたすら醜くなっていくんだ。どうせ醜くなるなら若いうちさ。その後始末はいくらでも何とでもなる。そして手始めには茶番に付き合わなければならない。付き合うだけに止まらず、自ら演じなければならない。うんざりするくらいの茶番をね。さしずめ君の場合芸術とやらから一切手を引くべきだ。あくまで現実世界で役に立つ学問をし給え。そして自分より権力を持つ者にそれをさりげなくアピールして、しかも最後には彼を立てるんだ。これが生きるという事さ。美しさとやらは何の役にも立たないぞ。
おい、聞いてるのか?




