は
ははは、いつまでそうやって沈んでいる気だい?もうそろそろ潮時じゃないか?そんな子供じみた考えを持つのも。そりゃあ君の気持ちは痛いほどよく分かるよ。何しろ世間の人たちは君のような考えを持つ人間に対して頗る冷たいからね。逆もまた然りだ。彼らが考えているようなことは君にとってはおおよそ明日の昼飯の献立以上にどうでもいいことなんだろうね。君は彼らに対して微塵も興味を示さない。それが何より居心地の良いスタンスだからだ。だが彼らは世の中の人間が例外なく自分と同じと信じて疑わないね。そして自分の感性を否応なく君にも適用してくるね。よく言う手前の物差しでものを測るというやつさ。こう言うと実に馬鹿げて聞こえるけれども、そういう輩の言うようなことは大体において至極真っ当なんだ。正しすぎるぐらい正しいんだ。だから君は一言も言い返せない。それは辛いだろうね。何が辛いって、分かって貰えないのに分かったような顔をされるのが一番辛いんじゃないかな。
いや、もう過ぎた話をするのはやめよう。これからの事を話そう。君はこれからどうなりたいんだい?いつまでも過去に拘泥して、それをほじくり返しては悪臭を嗅ぎ、それをまき散らす事に残りの人生を費やしたいかい?勿論そんな事はあるまい。でもそのままじゃいずれそうなるよ。いやいや、何も君を責めている訳じゃない。それだって十分に立派な生き方さ。何しろ世の中には批判すべきことが山のようにあるからね。でも何だか不毛じゃないか。それで何かが変わることはありえないよ。君以上に優れた批判家は世の中に五万といるはずだが、それでもそれによっては何一つ変わらなかったのだから。何も君が彼らと同じことを繰り返す必要はない。いや、別に繰り返すこと自体は良いと思うんだよ。だけどそれは何も君じゃなくたって良いはずだ。
じゃあ君じゃなきゃやれないことってなんだろう?別に経済活動に則っていなくたっていいさ。何か一つでも考えてごらん。そうだろう、差し当たっては君という人間を生きることくらいしか思いつかないだろう。それはそうだ。そんなに簡単に思いつくはずがない。思いついたならもうこの問題は解決だ。だけど君にはいつまで経っても思いつかないだろう?それは僕にだって分からないよ。第一それは必ずどこかにあるとは限らないんだから。むしろこの世に一つもない可能性の方が高いくらいさ。そうだろう?そういう当たり前の事実に気付く時、君はすごく絶望するね。けれどもそんな当たり前の事に絶望した何て、恥ずかしくて誰にも言えないよね。
しかし例えばだよ、自分が死んだ時って、一体どんな気持ちがするんだろうね?きっとあまりのあっけなさに拍子抜けするんじゃないかな。勿論死んだ後にも意識があると仮定した場合の話だよ。死ぬと言う事がこんなにあっけないものなんだったら、あれこれ辛い経験をする前に早く死んどけばよかったと思うかも知れないし、あるいは法外に高価な戒名なんて付けた事を後悔するかも知れない。で、何が言いたいかと言うとだね。要はその時になってみないと何も分からないってことさ。考えてご覧よ。新宿駅なんかを見れば分かる通り、この世の中には想像もつかないくらい多くの人間がいるんだよ。そしてその一人一人が間違いなく自我を持っているんだ。これだけでも相当にすごい事だと思うけど、更に言えば多分その大半の人間が君と同じ様な事で悩んだり考え込んだりしているんだよ。社会環境が変わったところで、「自分は必要なのか?」みたいな根源的な問いが全く無い事はないんじゃないかなあ?場所や時代が変わっても多分何らかの形ではあると思うね。で、皆結局なんだかよく分からないまま死んでいく訳だ。それで死んでみて初めて思うのだ。何だ、悩む必要なんか無かったじゃないかと。
まあ尤もこういう楽観論は君の最も嫌悪するところであることは承知の上さ。しかしかと言って悲観的になれば良いというわけでもないだろう。要は何も考えない事さ。思考停止こそが生き抜く知恵だよ。結局それで何も問題ないのさ。ははは…。




