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天はただ青い。空の色からして沖縄は美しかった。タクシーの車窓からみる青さは一時間以上見続けていても飽きのこないものであった。千切れた綿菓子の様な雲は輪郭が明瞭で、却って空の青さを際立たせた。植物は悉く南国風だった。一見どこにでもある田舎町と同じ様な街並は、この植物達のお陰で楽園に早変わりしていた。
長距離タクシーの運転手は懇切丁寧に景色を解説してくれた。あそこの米軍基地の敷地は東京ドーム何個分になるとか、あの屋根のついた小さな石造りの家みたいなのは沖縄人のお墓だとか、沖縄の建物は暑さ対策で大抵白く塗られていて、しかも水不足に備えて貯水タンクが付いているとか。
一時間程タクシーに揺られていると、宿泊先の恩納村に到着した。恩納村は漁村の様な所で、観光客接待のための華美な装飾がなく、むしろ寂れた印象を受けた。だが俺にとってはそれがよかった。何となく心が落ち着いた。年を取ったのか、このところ派手なものが苦手で、地味なものに惹かれる。
ホテルの部屋に入ると、ベランダに出た。色の濃い海がすぐそこに見える。眼下には水路があって、その縁にダイバースーツが干してある。海ぶどうの直売所も見える。俺は荷物を下ろしてペンとノートと財布だけを持って外に出た。自動販売機で缶のさんぴん茶を買って飲みながら、ホテルの脇にある人気の無い空き地のテーブルで暫くものを書いていた。海風は心地よく俺の肌を撫でて吹き抜けていく。静かなところだ。こんな場所に住みたいなと思ったりした。そんな快適さも手伝って、筆が進んだ。いつの間にか手首を蚊に刺されていた。気にし出すと痒くてとても執筆に集中できなくなったので、しかたなくノートを閉じて海辺を逍遥する事にした。
海ぶどうの養殖所(?)を横切り、漁港を歩いた。漁師と思しき集団が海辺の屋根の付いたあたりで談笑している。どんどん先まで歩いていくと、岬の岩場が見えた。海はさすがに澄んでいる。岩に腰掛けて釣りをする人たちが散見される。どんな魚が釣れるのか興味があるが、あいにくそれほど釣れている様子ではない。私は更に奥まで歩いた。正面の海原から突き出るように、大きな岩が聳えている。ちょっとした孤島だ。それが夕日に縁取られて茜色の輪郭を燦爛と纏っている。何とも神々しい姿である。歩くと岩が動く。やがて夕日の全貌が見える場所まで来た。日の光が雲の合間を縫って、虹色を織りなすプリズムが起きていた。側にいた夫婦のうち、おやじの方がそれを指差して言った。
「あれは珍しいよ。虹みたいになってる」
「あれは虹ですか?」俺は言った。
「虹ではないね。なんだろうね」
俺は足場がごつごつしていて歩きづらい道を歩き続け、伸び放題の植物の蔦を手でよけ、蹣跚としながら、遂に岬の突端まで辿り着いた。そこでも一組の父子が釣りをしていた。いや、よく見ると釣りをしているのは親父の方だけで、小さな息子は退屈したように岩の上をぴょんぴょん飛び跳ねているのだった。
波風は愛撫する様に穏やかで、その音に心が落ち着いた。俺は岩場に尻を付いて座り込むと、暫く海をぼんやりと見入っていた。さすがに六時を過ぎると暗くなってきて、澄んだ海の色は次第に濃くなっていた。呆然とそれを見ていると、次第に風が強くなってきた。漣が金色に立った。俺はその海の中に溶け入ってしまいたい気分になった。勿論本気でそう思っている訳ではない。沈んだ気分ではありながら、落ち込んでいるのとは違う。頭の中の靄はむしろ風に煽られて飛散しつつあった。
正面の岬の先端には白い鉄塔が建っていた。それは夕日の淡い光の中にぼんやりと霞んで見えた。次第に深い色に包まれていく淋しい漁村にあって、それだけが現実感を持って見えた。
風は冷たくなる。岩肌に接している尻もどんどん冷えていく。潮の匂い。頬杖をついた。俺は感傷に浸っているのか?馬鹿みたいだ。いい年こいたおっさんが。しかし涙が出た。俺は腕を組んでそこに顔を埋めた。そこには音だけが遠くから響いてきた。誰にも邪魔されない場所を見つけた気がした。
釣りをしていた父子がそこを去り、暗闇に漁村の明かりが灯る時間まで、俺はそこに座り続けていた。明日はどこに行こうかと考えながら。




