第20話 千年前に止まった文明
《未登録》
目の前に浮かんだ文字を、俺はしばらく見つめていた。
間違いない。
この前の遺跡と同じだ。
「リク?」
エリスに呼ばれて、ようやく視線を戻す。
「ごめん。ちょっと確認してた」
「やっぱり同じなの?」
「うん」
露出した壁へもう一度意識を向ける。
《対象情報を取得できません》
《定義情報なし》
別の場所でも同じ。
前に見つけた遺跡だけが特殊だったわけじゃない。
古代遺跡そのものに、今の世界とは違う何かがある。
「……面白くなってきた」
「始まった」
エリスが小さく呟く。
「何が?」
「なんでもない」
絶対なんでもなくない。
そんな俺たちをよそに、エルヴィンは既に調査を始めていた。
露出した壁へ近づき、表面を指でなぞる。
崩れた縁。
細かな溝。
壁材の継ぎ目。
先ほどまで一緒に後ろ向きで滑っていた人とは思えないほど真剣な顔だ。
「……やはり」
「何か分かるんですか?」
「少なくとも、自然にできた構造物ではありませんね」
「それは見れば分かるような」
「そういう意味ではありません」
エルヴィンが壁の一角を指す。
「ここです」
近づいて見る。
細い線が何本も走っている。
模様にも見えるが、妙に規則正しい。
「この構造は、他地域で発見されている古代遺跡にも確認されています」
「同じ文明ってこと?」
「その可能性は高いでしょう」
エルヴィンは鞄から一冊の資料を取り出した。
何枚かめくり、一つの図を見せる。
描かれているのは別の遺跡。
確かに壁の模様が似ている。
「完全に同じではありません。ただ、素材の加工方法や線の配置に共通点が多い」
「じゃあ、あの森の遺跡も?」
「現時点では断定できませんが、同系統である可能性はあります」
俺はもう一度、目の前の壁を見る。
場所が違う。
形も違う。
なのに、《ログ》は同じ反応を返した。
偶然というには、少し揃いすぎている。
「これって、どれくらい昔のものなんですか?」
何気なく聞くと、エルヴィンは少し考えた。
「正確な年代は分かっていません」
「分からない?」
「ええ。ただ――」
壁へ視線を戻す。
「少なくとも千年以上前です」
「千年……」
想像しにくい数字だった。
二百三十七歳のエルヴィンですら、自分が生まれるより遥か以前。
「エルヴィンさんが生まれた頃には?」
「既に古代遺跡でした」
「二百年以上生きてるエルフでも知らないんだ」
「私にとっても歴史ですよ」
前にも聞いた言葉。
でも、実物を目の前にすると重みが違う。
千年以上前。
今より遥か昔に、これを作った人たちがいた。
そして――もういない。
「内部へ入りましょう」
エルヴィンが崩落した斜面の方を見る。
「今日は入口周辺の確認だけにするつもりでしたが、想像以上に保存状態がいい」
「入れるんですか?」
「崩落した部分からなら」
エリスが杖を持ち直す。
「先に言っておくけど、勝手にどこか行かないでよ」
「分かってる」
「触らない」
「分かってるって」
「本当に?」
「信用なさすぎない?」
「実績があるから」
何も言えない。
俺たちは崩れた地面を慎重に下り、露出した構造の内側へ入った。
外から見た印象より広い。
長い通路。
天井は高く、壁は石のような素材で覆われている。
埃は積もっている。
なのに。
「……あれ?」
奥で何かが光った。
一つ。
また一つ。
三人が進むのに合わせるように、壁際の光が順番に灯っていく。
「まだ動いてる……」
エリスが呟く。
俺は思わず上を見る。
「千年以上?」
「その可能性があります」
エルヴィンの声が少し上ずっている。
「現在の魔導具で、これだけ長期間自律稼働するものはほとんどありません」
「電源……じゃなくて、魔力は?」
「それも不明です」
「補給なしで?」
「少なくとも、私たちが知る範囲では」
俺は光源を見る。
人が近づくと灯る。
離れれば、後ろの光が少しずつ消えていく。
「……人感センサー」
「じんかん?」
エリスが首を傾げる。
「人が来たら勝手につく仕組み」
「リクさんの故郷には、そのようなものが?」
エルヴィンに聞かれて、少しだけ言葉に詰まる。
「……似たようなのが」
「便利ですね」
「まあ」
危ない。
つい前世の感覚で喋ってしまう。
でも。
似ている。
魔法というより、設備だ。
必要な時だけ動く。
条件を満たせば反応する。
誰かが常に操作しているわけではない。
「エルヴィンさん」
「はい?」
「古代文明って、こういうの全部“魔法”で説明されてるんですか?」
「古代魔導技術、という呼び方が一般的ですね」
「魔導技術……」
間違っているとは思わない。
実際、魔力で動いているのかもしれない。
でも。
「なんか違うんだよな」
「何が?」
エリスが聞く。
「魔法っていうより……仕組みっぽい」
「仕組み?」
「誰かがその場で魔法を使ってるんじゃなくて、最初から条件を決めておいて、条件を満たしたら勝手に動く」
エルヴィンが足を止めた。
「なるほど」
「扉なら誰が来たら開くとか。光なら人が近づいたら点くとか。守護者なら、侵入者を見つけたら攻撃するとか」
「確かに」
エルヴィンの目が細くなる。
「その見方は興味深いですね」
「また始まった……」
エリスが小さくため息を吐いた。
さらに奥へ進む。
途中、いくつかの扉があった。
完全に壊れているもの。
半開きのもの。
近づいても反応しないもの。
その中に一つだけ。
エルヴィンが前に立つと、細い線が淡く光る扉があった。
「おお……」
「開くんですか?」
「いえ」
エルヴィンが手をかざす。
何も起きない。
「反応はしますが、開きませんね」
「条件が足りない?」
「おそらく」
「認証みたいなものかな」
「認証?」
「入っていい人かどうか確認する仕組み」
言いながら、俺は前の遺跡を思い出す。
重量で反応した扉。
魔物が越えなかった境界。
ガルディオン。
あれらも全部。
誰かがその場で判断していたわけじゃない。
決められた条件に沿って動いていた。
「……やっぱシステムだ」
「しすてむ?」
エリスが聞き返す。
「決められた規則に従って、勝手に動く仕組みってこと」
「古代魔導技術とは違うの?」
「俺の中ではちょっと違う」
エルヴィンは否定しなかった。
「私たちが“古代魔導技術”と呼んでいるだけで、当時の人々がそう呼んでいたとは限りませんからね」
「分からないんですか?」
「当時使われていた専門用語の多くは失われています」
エルヴィンが通路の壁を照らす。
そこには細かな文字らしきものが刻まれていた。
「文字自体はある程度読めます。しかし、意味の分からない単語が多い」
「例えば?」
「装置名。役職名。技術用語。今では失われた概念を示す言葉もあります」
「文字が読めても意味が分からないのか」
「そういうことです」
IT用語を知らない人が技術文書だけ渡されるようなものか。
文字を読めても、「プロセス」や「権限」や「インスタンス」の意味を知らなければ理解できない。
そう考えると、急に身近に感じた。
通路の先。
広い部屋へ出た。
「……何ここ」
エリスが立ち止まる。
俺も同じだった。
神殿ではない。
王宮でもない。
生活する部屋にも見えない。
部屋の中には同じ高さの台が規則正しく並んでいる。
壁一面には、黒い石板のようなもの。
似た形の設備が何列も続いている。
「何のための部屋なんでしょう」
エルヴィンがゆっくり歩き始める。
でも俺には。
妙な既視感があった。
机。
端末。
規則正しい配置。
前世。
毎日のように通った場所。
「……オフィスみたいだ」
「おふぃす?」
「仕事する場所」
自分で言って、少しだけ笑えなくなる。
俺が死んだ場所も、似たような空間だった。
もちろん見た目は全然違う。
パソコンもない。
蛍光灯もない。
でも。
ここは人が祈るための場所じゃない。
何かを作る工房とも違う。
誰かが座り。
何かを見て。
何かを操作する。
そんな場所に見える。
「……リクさん?」
「いや」
俺は首を振る。
「ここ、人が何かを管理するための場所だったんじゃないかな」
エルヴィンが俺を見る。
「管理?」
「例えば、さっきの扉とか。照明とか。もっと大きな何かとか」
「面白い仮説ですね」
「仮説ばっかりだけど」
「考古学は、最初は大抵そういうものですよ」
エルヴィンが楽しそうに笑う。
そのまま壁際の文字へ近づいた。
「……これは」
さっきより声が低い。
「何か読めます?」
「一部だけ」
指で文字を追う。
「『第七……区画』」
「区画」
「その後は……『監視』でしょうか」
俺の思考が一瞬止まる。
「監視?」
「そう読めます」
さらに別の場所。
「こちらは『記録』」
監視。
記録。
胸の奥がざわついた。
ガルディオンを倒した直後。
《規定外の攻略挙動を検出》
《異常挙動を記録》
《記録情報を管理領域へ送信》
あの表示。
偶然か?
「リク?」
「……何でもない」
まだだ。
単語が二つ一致しただけ。
ここで答えを決めつけるのは早い。
俺は周囲を見る。
設備。
光。
扉。
監視。
記録。
全部が、少しずつ同じ方向を向いている気がする。
調査を続けるうちに、もう一つ妙なことに気づいた。
「エルヴィンさん」
「何でしょう」
「ここ、戦争で壊れた感じしないですね」
壁の一部は崩れている。
天井にも亀裂がある。
でも。
焼け焦げた跡がない。
大きな刃物で破壊されたような傷も少ない。
時間が経って、自然に崩れたように見える。
「ええ」
エルヴィンの表情が変わった。
「そこも古代文明研究の大きな謎の一つです」
「謎?」
「リクさんは、古代文明がどう滅びたと思いますか?」
「戦争とか?」
「よくある説です」
「災害?」
「それも」
「疫病とか」
「もちろん考えられています」
でも。
エルヴィンは首を振った。
「どれも決定的な証拠がありません」
「……え?」
「大規模な戦争なら、もっと破壊された都市が残るはずです。災害なら地層に痕跡が残る。疫病なら記録や埋葬地が見つかる可能性が高い」
エリスも話を聞いている。
「じゃあ、どうしていなくなったんですか?」
「分かりません」
エルヴィンは静かに答えた。
「ある時期を境に、記録そのものが急激に減るんです」
「記録が?」
「はい」
それ以前は存在する。
都市。
施設。
技術。
人々。
それなのに。
「ある時期から、急に何も残らなくなる」
エルヴィンはそれを、
「研究者の間では《断絶期》と呼んでいます」
と言った。
「断絶……」
「古代文明が衰退した時期と考えられています。ただ」
エルヴィンは部屋の中を見る。
規則正しく並ぶ設備。
途中まで使われていたような台。
何かを片づけた形跡もない。
「私は少し違う考えを持っています」
「どんな?」
「ここを見てください」
エルヴィンが一つの台を指した。
その上には、薄い石板のようなものが数枚残っている。
整然とはしていない。
途中で作業を止めたように散らばっている。
「避難したようには見えません」
「確かに」
「戦争が迫っていたなら、重要な資料くらい持ち出そうとするでしょう」
「じゃあ……」
俺は部屋全体を見る。
人が働いていた。
いつものように。
そして。
次の日。
誰も来なかった。
そんな光景が頭に浮かぶ。
エルヴィンが静かに言った。
「私は時々思うんです」
「何を?」
「この文明は――」
少し間を置く。
「滅びたのではなく、突然“止まった”のではないか、と」
その言葉だけが、妙にはっきり耳に残った。
止まった。
文明が。
まるで。
動いていた仕組みが、ある日突然停止したように。
「…………」
俺は無意識に《世界仕様書》が入った鞄へ手を伸ばしていた。
その時。
カチッ。
「……?」
音。
部屋の奥。
消えていたはずの光が、一つ灯る。
三人とも動きを止めた。
続けて。
カチッ。
さらに奥。
もう一つ。
「誰か触った?」
エリスが杖を構える。
「私は何も」
「俺も」
《ログ》へ意識を向ける。
表示。
《不明領域から応答を検出》
「……応答?」
「何か出た?」
エリスが聞く。
俺は奥を見る。
誰もいない。
誰も触れていない。
なのに。
カチッ。
また一つ、光が灯った。
まるで――。
俺たちがここへ来たことに。
遺跡そのものが気づいたみたいに。




