第16話 考古学者エルヴィン・アルセリア
「今回の依頼は、あなた方の報告を読んだことが大きなきっかけなんです」
エルヴィン・アルセリアはそう言って、机の上に広げられた報告書へ視線を落とした。
俺とエリスが見つけた、森の中の遺跡。
ガルディオン。
魔物が遺跡の境界を越えなかったこと。
内部の一部が、今でも動いていたこと。
俺が見れば、もっと書き加えたいことはいくらでもある。
《未登録》。
《定義情報なし》。
《世界仕様書》。
そして、VERSION 1.0.28。
でも、それらは報告書には書いていない。
「そんなに珍しい遺跡だったんですか?」
俺が聞くと、エルヴィンは頷いた。
「珍しい、というより興味深いですね」
「違うんですか?」
「少し」
エルヴィンは一枚の地図をこちらへ向ける。
そこには、昨日ギルドで見た地図より狭い範囲が描かれていた。
街。
森。
山。
そして、いくつか印が付いている。
「この周辺では、過去にも古代遺跡がいくつか発見されています」
「じゃあ、遺跡そのものは珍しくない?」
「そうですね。ただし、その多くは既に機能を失っています」
エルヴィンが一つの印を指す。
「扉が残っていても開かない。魔導装置らしき物があっても動かない。守護者が残っていても、完全に停止している」
別の印。
「ですが、あなた方が発見した遺跡では、内部機構がまだ稼働していた」
「ガルディオンも」
「ええ」
エルヴィンの指が報告書の一文をなぞる。
「さらに、周辺の魔物が遺跡へ侵入しなかった」
やっぱり。
そこに注目したか。
「今回調べる遺跡も同じなんですか?」
「まだ分かりません」
その答えに、少し肩透かしを食らう。
だが、エルヴィンは続けた。
「だから調べるんです」
「……なるほど」
思わず笑った。
「何か?」
「いや」
その言い方。
ちょっと好きだ。
「俺も同じこと言ったなと思って」
「そうなんですか?」
エリスが横から口を挟む。
「分からないから調べる、分からないから試す。ずっとそれですよ、この人」
「いいことでは?」
「限度があります」
即答だった。
◇
「そういえば」
俺は改めてエルヴィンを見る。
長い緑色の髪。
尖った耳。
細身。
穏やかな顔立ち。
どう見ても、人間なら二十代後半から三十歳くらいにしか見えない。
「エルヴィンさんって、何歳なんですか?」
「リク!」
エリスが驚いた声を上げた。
「何?」
「初対面でいきなり聞く?」
「エルフの年齢って気になるだろ」
「気になっても普通は少し遠慮するの!」
「私は構いませんよ」
エルヴィンが笑う。
「237歳です」
「…………」
思ったより数字が大きかった。
「237?」
「はい」
「本当に?」
「年齢を偽る理由もありませんから」
俺はまじまじと顔を見る。
「全然見えない」
「エルフとしては、そこまで珍しい年齢ではありません」
「200年以上生きてて?」
「人間とは寿命が違いますから」
頭では分かる。
でも感覚が追いつかない。
237歳。
俺の十倍以上。
「じゃあ、ベルグラン王国ができる前から生きてたり?」
「そこまでは古くありませんよ」
「じゃあ、昔の国境が違ったところとか見たことあるんですか?」
「ありますね。私が若い頃には別の領主が治めていた地域もあります」
「うわ……」
急に歴史が、生きた話になる。
教科書の中の出来事を実際に見た人が目の前にいるようなものだ。
「じゃあ古代文明のことも――」
「それは知りません」
エルヴィンが静かに首を振った。
「私が生まれた頃には、すでに古代文明は古代文明でした」
「237歳でも?」
「ええ」
少しだけ笑う。
「私にとっても、歴史ですよ」
その一言が妙に残った。
エルフですら知らない時代。
俺が想像していたより、古代文明はずっと遠い。
◇
「でも、考古学者なのにB級冒険者なんですよね?」
俺が聞くと、エルヴィンは背負っていた弓へ手を触れた。
「必要だったんです」
「必要?」
「遺跡というのは、研究者にあまり優しくありませんから」
少し間。
「山の中にあります。森の奥にもあります。魔物も出ます。罠が残っている場合もあります」
「ああ……」
「研究対象へ辿り着くために護衛を雇い続けていたら、いつの間にか自分で戦った方が早いことに気づきまして」
「そんな理由でB級まで?」
「長く続けていれば、それなりには」
さらっと言う。
237年の「長く」がどの程度なのか分からない。
エリスが小声で言った。
「B級は“それなり”でなれる等級じゃないからね」
「やっぱり?」
「当たり前でしょ」
エルヴィンは聞こえているはずなのに、特に否定しなかった。
この人。
たぶん思っているより強い。
◇
「では、今回の遺跡について説明しましょう」
エルヴィンが新しい資料を広げる。
「発見のきっかけは地滑りです」
山の斜面の一部が崩れ、その下から人工物が露出した。
周辺を通った商人が、石造りの壁のようなものを発見。
さらに夜間、地下から淡い光が漏れているのを見た。
「そして魔物が近づかない」
俺が言う。
「はい」
「前の遺跡と同じだ」
「そこが私も気になっています」
俺は少し考える。
「古代遺跡って、全部似た仕組みで作られてるんですか?」
エルヴィンの視線が俺へ向く。
「と言いますと?」
「例えば……」
言葉を選ぶ。
「入っていい人とダメな人を見分ける仕組みとか」
「対象を識別する機構?」
「そう。それとか、誰かが入ったら扉が閉まるとか。決まった範囲から魔物を出さないとか」
この前の遺跡。
魔物が越えてこなかった境界。
条件によって動いた扉。
重量スイッチ。
そして、ガルディオン。
どれも何かしらの条件に従って動いていた。
「そういう装置って、場所が違っても同じ規則で動くんですか?」
エリスが俺を見る。
たぶん、また始まったと思っている。
でもエルヴィンは笑わなかった。
むしろ少しだけ目を細めた。
「面白い質問ですね」
「そうですか?」
「考古学者は普通、“何のための装置か”を考えることが多いんです」
エルヴィンが指を一本立てる。
「扉なら、何を守るために作られたか」
二本目。
「守護機構なら、誰が何から何を守ろうとしたのか」
三本目。
「ですがリクさんは、“どういう規則で動いているか”を先に気にする」
「変ですか?」
「いいえ」
エルヴィンは首を振った。
「興味深いです」
その言葉に嘘はなさそうだった。
「私が知りたいのは、どちらかと言えばその先ですね」
「その先?」
「なぜ、その規則が必要だったのか」
エルヴィンの表情が少し変わった。
穏やかさは同じ。
でも、目だけが研究者のものになる。
「誰が作ったのか」
「……」
「何のために作ったのか」
そして。
「なぜ、今は使われていないのか」
俺は少し黙った。
似ている。
でも違う。
俺は「どう動いている?」が気になる。
エルヴィンは「なぜ存在する?」が気になる。
俺が仕組みを見るなら、この人はその仕組みが生まれた理由を見る。
「……なんか面白いな」
「でしょう?」
エルヴィンが笑う。
横でエリスが顔を覆った。
「危ないことに興味持つ人が増えた……」
「俺と一緒にするなよ」
「今の会話聞いて言ってる?」
◇
「ところで」
エルヴィンが俺を見る。
「収納技能をお持ちだとか」
「はい」
「今回、発掘物の運搬をお願いしたいと思っています」
「それなら役に立てると思います」
「容量はどの程度でしょう?」
「まだ分かりません」
「まだ?」
エリスが横から言う。
「今のところ石が大量に入ってます」
「なんでそれ言うんだよ」
「事実でしょ」
エルヴィンが少しだけ笑った。
「石も考古学では重要ですよ」
「ですよね?」
「遺跡の石ならね」
エリスに即座に刺された。
◇
話し合いはそのまま、正式な依頼内容の確認へ移った。
「今回の調査責任者は私です」
エルヴィン。
「主な戦闘担当はエリスさん」
「分かりました」
「リクさんには運搬と周辺観察。そして必要であれば補助をお願いします」
「了解です」
「私も戦闘には参加します。ただし調査中は、なるべく資料の保存を優先したい」
そこまで言ったあと。
エルヴィンが俺を見る。
「それと三つ、必ず守ってほしいことがあります」
「三つ?」
「一人で行動しないこと」
「はい」
「未知の装置へ勝手に触れないこと」
「……はい」
「今、間がありましたね」
「気のせいです」
エリスが無言で俺の肩を掴む。
「守ります」
「そして、異常を発見したら必ず共有してください」
これは迷わなかった。
「分かりました」
「よろしい」
エルヴィンが頷く。
「では、正式に依頼をお引き受けいただけますか?」
俺はエリスを見る。
エリスも俺を見る。
「私はいいわよ」
「じゃあ俺も」
「あなたが一番行きたがってたでしょう」
確かに。
「お願いします」
こうして、俺たちは正式に《古代遺跡調査補助》を受注した。
◇
出発は翌朝。
目的地までは徒歩で数日。
「やっぱり数日歩くんですね」
俺が言うと、エルヴィンは不思議そうな顔をした。
「普通ですが」
「ですよね……」
この世界へ来てから、移動時間というものの現実を何度も突きつけられている。
「途中までは街道です。その先は森へ入ります」
エルヴィンが弓の弦を確認する。
「魔物も出ますので、今日買った装備は準備しておいてください」
「分かりました」
安物の片手剣。
小型盾。
まだまともに扱えない。
でも、丸腰よりはいい。
その時はまだ。
この何の変哲もない剣と盾が、この旅で妙な使われ方をすることになるなんて――当然、俺は知らなかった。
◇
俺とエリスが部屋を出たあと。
エルヴィンは一人、机へ戻った。
そして、もう一度。
森の遺跡について書かれた報告書を開く。
守護者。
境界。
稼働中の古代機構。
何度も読んだ箇所へ指を置く。
報告書の隅には、遺跡内で確認された紋様の簡単な写しが添えられていた。
エルヴィンはその線を静かに追う。
「……やはり」
既知の古代文字とは少し違う。
文字なのか。
紋章なのか。
それすら分からない。
けれど。
「これは、何なんでしょうね」
その声に浮かんでいたのは警戒ではなく――純粋な好奇心だった。




