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14/26

 店内の時計を見ると十時を回っていた。

 喜楽の引き戸を閉めると、店内の温かい光と賑やかな笑い声が遠ざかった。

「こんなに楽しくお酒をいただいたのは、初めてかもしれません」

「僕も、すごく楽しかったです」

 ポケットに手を入れて歩きだすと、詩織も後に続いた。

 詩織の顔はほのかに赤く染まっていた。

「バス、三十分くらい来ないですね。タクシー呼びますか?」

 詩織の目がアスファルトに向く。

「駅まで歩くと、遠いですか?」

「そうですね、二十分くらいはかかります」

「歩きたい、です。送ってくださいますか?」

「もちろんです」

 詩織は目を下に向けたまま口を横に開いた。

 足音が交互に聞こえている。

「あ、あの」

 声が裏返った。

 詩織の横を車が通り過ぎる。ブレーキランプが赤く灯った。

「いや、なんでもないです」

 後ろから詩織の笑い声が聞こえた。

「照彦さん、せっかくの縁です。またお会いできませんか?」

 目尻は下がっていた。

「ぜ、ぜひ」

 詩織の目が細くなり、瞳は見えなくなった。

 自転車がすぐ横を通り過ぎる。

 足音がわずかに遅くなった。

「照彦さんは、海みたいですね」

 詩織は足元を見て、一歩一歩進んでいた。

「どんなものも、優しく包み込んでくれる」

 わずかに湿り気のある空気が、木の葉を運んでいった。

 足を止め、暗くなった空を見上げた。銀色の細い月が星空に浮かんでいる。

「じゃあ、詩織さんは、月かな」

「月?」

 詩織の口元がこわばり、アスファルトに目を落とした。

「うん。僕のちっぽけで、平凡な世界を、静かに照らしてくれる」

 詩織は顔を上げる。目を見開いていた。

「海に月。合わせて海月<クラゲ>。ほら、ちょうどいい。僕たちに、ぴったりだ」

「うわぁ」

 歩く詩織の足音が少し近づいた。


 鎌倉駅のホームに夜風が吹き抜けた。

 自動販売機の前でスマートフォンの画面を見つめた。詩織もスマートフォンに目を落としている。

「そっか。なかなかタイミングが合いませんね。残念だな」

「本当ですね」

 詩織は肩の力が抜けていた。

「でもほら、もう連絡先、知ってるから」

 スマートフォンを振ってみせる。

 詩織は目尻を下げてほんの少し微笑んだ。

 電車が滑り込んできた。

「じゃあ、また。気をつけて」

「はい、また。今日はありがとうございました」

「こちらこそ」

 ドアが閉まり、詩織の姿が見えなくなるまで、手を振り続けた。

 窓越しの詩織は小刻みに手を振っていた。左手にはスマートフォンが握りしめられている。

 右手のスマートフォンを大きく振った。

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