最終決戦
最後に目にしたアーシュを思い出す。
激しい爆鳴と共に黒き城の最奥の扉が弾け飛び、私たちはついに、この暗黒の国の心臓部へと足を踏み入れた。
冷徹な静寂が満ちる遠くの玉座の間。その中央で、禍々(まがまが)しい闇の魔力を文字通り大気全体に発散させている、一人の少年の姿があった。
「……アーシュ……っ!」
だが、思わず叫んだ私の声は彼には届かなかった。
実の父親である闇の国王に目の前で、兄アストラを殺され、そのあまりの怒りと絶望で魔力を暴走させたアーシュ。狂暴化した闇の力に取り込まれ、一瞬で父親を殺し尽くした彼は、目的を果たした今も、もう元の姿には戻れなくなってしまっていた。
かつての美しかった金の髪は、呪われたように不気味な真っ黒に染まり、その美しく鍛え上げられていた身体はパチパチと空間を焼き焦がす黒い炎に包まれている。背中には、その炎が形作った漆黒の翼。
本来、彼は優しい『水の魔力』しか使えないはずだった。
なのに今の彼は、かつて兄が使っていた長剣と短剣の2本を両手に握り締め、その刃に禍々しい黒い炎を纏わせることで、不自然なほどに魔力を増大させている。兄の遺品を握りしめて暴走している姿が、切なくて堪らない。
私を振り返った彼の瞳は、かつての深い緑色を完全に失い、底の見えない真っ黒な闇に染まっていた。そこに、私を慕ってくれた優しい面影は微塵もなかった。私のことすら分からなくなってしまったアーシュが、黒い剣を構えて冷酷な殺気を放つ。
トニーやフラン、アーサーたちが武器を構え、その圧倒的なプレッシャーに身構える中――私は、彼の真っ黒な瞳を、凝視し続けた。
――その時、見つけた。
底なしの闇に塗りつぶされた彼の漆黒の瞳の、その最奥のほんの僅かな隙間に。
まるで今にも消え入りそうな、けれど必死に抵抗し続けている、うっすらとした【本来の深い緑の光】が、確かにきらりと輝いたのを。
アーシュの本当の心の叫びが、私の脳裏に直接響いたような気がした。
――泣いている暇なんてない。
おばあ様が命を込めて打ち直してくれた、左手の新しい魔剣の柄を強く、強く握り締める。カルミラの遺した手枷が、左手首で熱いほどに脈打った。
あの闇の魔力をすべて取り払い、今度こそ、私たちの愛する本当のアーシュを取り戻す。
その世界で唯一の、そして絶対に諦めない最強の覚悟を胸に宿し、私は燃えるような深紅の瞳を持つゼインと視線を交わし、闇の王へと向かって真っ直ぐに一歩を踏み出したのだ。
暗黒の魔力が濃密に渦巻く廊下を進む中、不気味な地鳴りのような足音が、前方から無数に響いてくる。
「――グルァァアオオオン!!」
不気味な霧を突き破って現れたのは、闇の魔力によって完全に狂暴な野獣の姿へと変えられてしまった、幼い子供たちだった。
鋭い牙を剥き出しにし、正気を失った瞳で私たちを目掛けて一斉に飛びかかってくる。
「子供たちを傷つけちゃダメ! 応戦してまずは体力を弱らせるのよ!」
私の叫びと同時に、トニーとフランが武器の峰や大盾を使い、子供たちを傷つけないよう細心の注意を払いながらその猛攻を受け止めた。カイトも空中から風のクッションを作り、彼らの突撃を優しくいなしていく。
けれど、相手は容赦のない野獣だ。必死に手加減をするトニーたちの鎧が容赦なく爪で引き裂かれ、前衛の二人の身体にじわりと生傷が増えていく。
「くそっ、手加減しながら止めるのはキツすぎるぞ……!」
フランが歯を食いしばりながら、飛びかかってきた一頭を強引に組み伏せる。
「今よ! カイト、トニー、粉を撒いて!!」
子供たちの動きが一瞬鈍った隙を狙い、私たちは魔法製薬の国の騎士たちから預かった『野獣を元に戻す青い粉』を、彼らの頭上へと一斉に振り撒いた。キラキラと光る秘薬の粉が、廊下に舞い上がる。
――これで、元に戻るはず。
そう願った私の目の前で、しかし、最悪の事態が起きた。
「ガルゥゥウウウッ!!」
闇の魔力に侵された子供たちは、粉を嫌がるように激しく身体を小刻みに震わせ、猛烈な勢いで暴れ回ったのだ。激しい風圧と彼らの狂暴な動きのせいで、せっかく撒いた青い粉は彼らの肌に全く留まることなく、ただ虚しく廊下の風に舞って霧散してしまった。
「嘘……っ、効果が現れない!?」
私は予想外の最悪の焦りに襲われた。
どれほど優れた特効薬であっても、暴れる患者に正しく処置(吸着)できなければ何の意味もない。動きが激しすぎて、薬が浸透する前にすべて弾き飛ばされているのだ。
「ダメよ、粉が吸着しないわ! 完全に動きを止めて固定しないと、薬が効かない……っ!」
焦る私の声を嘲笑うかのように、薬を弾き飛ばした野獣の子供たちが、さらに凶悪な咆哮を上げて、満身創痍の私たちへと一斉に牙を剥いたのだった。




