杖より大切なもの
ドォォオオオオン!!!
地響きを立ててアリコーンの巨体が完全に沈黙する。 激しい砂煙がゆっくりと風に流され、遮るもののなくなった更地で、私たちは少し遠くへと視線を向けた。
そこには、地面にへたり込んだまま、真っ二つに折れた杖の残骸を、がっくりと肩を落とし呆然と見つめるナターシャの姿があった。
さっきまでの冷酷な笑みは完全に消え去り、その瞳はひどく怯え、まるで迷子になった子供のように激しく揺れていた。
リオールの母親の形見を、『人を守るために使ってほしい』というその願いを、自らの手で汚し、それを失ってしまったことへの絶望が、彼女の全身から溢れ出している。
「ナターシャ……」
私は剣を鞘へと収め、その今にも崩れそうな細い背中へと近づいていく。それを見て、満身創痍のフランやカイト、アーサーも油断なく、けれどどこか複雑な表情で後に続いた。
ナターシャは近づく私たちに怯える風でもなく、ただ折れた杖の破片を愛おしそうに、そして恭しい手つきで胸に抱きしめるだけだった。
この杖を失ったことで、彼女は大きな魔力を増大することができなくなる。かつて旅の途中で、彼女が『私は役に立たない』と悲しそうに呟いていた横顔が、鮮明に脳裏によぎった。
私は彼女の横にそっと腰を下ろし、傷ついた彼女の心にそっと触れるように語りかけた。
「ごめん……。こうする以外に、あなたを止める方法が思いつかなくて……」
ナターシャは私の謝罪にすら、何の反応も示さなかった。ただ、魂が抜けてしまったかのような虚ろな声で、ポツリと独り言のようにつぶやく。
「私は、また使い物にならない人間に戻るのね。誰の役にも立てない、生きる価値のない……」
「そんなことない!!!」
私は、ナターシャの悲しい言葉を激しく遮るように、胸の奥から声を張り上げた。
「人を傷つけるための力に、生きていく価値なんかあるわけないじゃない!!」
ナターシャは、ハッとして顔を上げた。その瞳は涙で潤んでおり、その中に真からの輝きが見てとれた。
ナターシャの肩に手を置き、話し続ける。
この華奢な身体にどれだけの苦しみや絶望を刻んできたのだろう。
「あなたは強い力を持っているよ。でも、それは魔力じゃない。
どんなに他人に『力がないなら価値がない』と刷り込まれても、ちゃんと自分の持っている力で立ち上がってきたじゃない。それは並大抵のことではないよ。
あなたが強い心の持ち主だという証でしょ」
私の言葉が、ナターシャの心の最も深い場所に届いたのが分かった。
「あ……、う、あ……」
ナターシャの唇が小さく震える。
次の瞬間、彼女の目から堰を切ったように大粒の涙が溢れ出し、折れた杖を抱きしめていた力がふっと抜けた。
「私は……、私は、生きていて、いいの……?
誰の役にも、立てなくても……っ」
「生きていていいに決まってるじゃない。生きててくれなきゃ困るのよ。
あなたは役に立たないことなんてない。私はあなたと一緒に過ごして、強い心を見せてもらって、励まされたもの。あなたは十分私の役に立ってるわ」
私は彼女の華奢な身体を、壊れ物を扱うようにそっと抱きしめた。
ナターシャは私の胸に顔を埋め、まるで幼子のように声を上げて泣きじゃくった。これまでの孤独や、カルミラに囚われていた恐怖、そして『価値がない』と自分を責め続けてきた全ての呪縛が、その涙と一緒に溶け出していくかのようだった。
背後で、フランがそっと剣を鞘に収める気配がした。カイトは安堵の息を漏らし、アーサーも唸り声を止めて、その場に落ち着いている。
誰もナターシャを責めないのだ。裏切られてボロボロになっても、彼女を「大切な仲間」として連れ戻したかった私たちの願いが、ようやく届いたのだ。
涙で顔を濡らしたナターシャが、私の胸からゆっくりと顔を上げた。その瞳には、もう迷いはなかった。
「メアリーさん……私、トニーさんに、ひどいことを……。早く、あの方のところに……っ」
自分の過ちを認めて涙を流す彼女の頭を、私はもう一度優しく撫でる。
「ええ、一緒に行きましょう」
そう言葉を交わすと、私たちは急いでトニーの元へ向かった。
トニーの元へ駆け寄ると、さっきの場所からピクリとも動かないその姿があった。
震える指先で首元の動脈に触れるが、その拍動は今にも消え入りそうなほどに弱く、頼りない。
背中はビームの熱波によって鎧ごと無残に焼けただれ、重傷の火傷のように皮膚が深く抉れていた。ナターシャはあまりの凄惨な光景に吐き気を催し、両手で目を覆った。
――呼吸も浅く、弱くなり始めている……。
このままでは、おそらく数分ももたない……。
「トニー……、トニー……」
数回、耳元で呼びかけるが反応がない。閉じた瞼がぴくりとも動かない。
「……ねぇ!! トニー!! トニーってば!!」
思わず肩を掴んで揺さぶる。もう涙で視界が歪み、きちんとトニーの姿を捉えられない。
「メアリーちゃん……っ!!」
後ろから、フランに腕を強く掴まれる。
だが、彼はそれだけで私を制止する言葉も出さず、ただただ、祈るように強く私の腕を握りしめていた。
フランを振り返ると、真っ直ぐに向けられた青い瞳の視線とぶつかる。いつも頼もしいその瞳が悲痛に揺れ、フランの頬に静かに涙が伝っていった。
何かないのか……この絶望から抜け出す光は……。




