戦いが始まる時
カルミラは私の絶望する様子を愉しむように、その漆黒の瞳を面白そうに細めて、歪んだ声音を再びかけてきた。
「クックック……。世界の真実を知って、一体どうだ?
一番の仲間だと信じ込んでいた隣国の王が、お前にそんな最悪な隠し事をしていたのだ。ショックのあまり、その綺麗な心が粉々に引き裂かれてしまったろう」
カルミラはそう言って、ナターシャを連れ去った時と同じ、あの耳を疑うような美しい、絹のような聲音を滑らかに響かせながら、白い手をそっと差し伸ばしてきた。
「さあ、全てを諦めて、私の従順な『花嫁』となり、この国で私と共に暮らせばよい。
お前がここを動かなければ、もう何もお前を責め立て、苦しめるもののない、温い檻のなかで一生を幸せに暮らすことができるのだぞ」
その甘い悪魔の誘惑を遮るように、ゼインが弾かれたように振り返ると、私の左肩へとその強靭な大きな手を力強く置いてきた。
「メアリー!! 奴の戯言を真に受けるな、しっかりし――……」
必死に私を現実から繋ぎ止めようとしたゼインが、そこで、突然喉を詰まらせたように言葉を完全に止めた。
ゼインが驚愕に目を見開き、言葉を失ってしまった理由は、私自身が一番よく分かっていた。
――私が、酷く不敵に『笑っていた』からだ。
「……ゼイン。心配してくれて、ありがとう。でも、もう大丈夫よ」
私は自分の肩に置かれたゼインの温かい手のひらの上に、そっと己の手を重ねた。そして、ゼインの大きな背中の横から顔を出し、玉座に君臨するカルミラへと、王女としての揺るぎない眼差しを真っ直ぐにぶつけ返す。
「カルミラ。あなたのその甘いお誘い、とっても素晴らしいけれど……、ごめんなさい、お断りするわ。
私、まだまだこの世界で、死んでもやらなきゃいけないことが山ほど残っているの」
「何だと……?」
カルミラの美しい眉が、不快そうにピクリと跳ね上がる。私は、手首の手枷を握りしめながら、大広間全体へと毅然と言い放った。
「自分の温かい優しさのせいで世界を狂わせてしまったというのなら、その過去への後悔も、仲間への懺悔も、この先どれだけでも、一生をかけて死ぬ気で背負い続けてやるわ。
……でもね、カルミラ。それを流して泣き喚くのは、今この場所じゃない。私はいつでも、過去の傷を振り返るより、今この瞬間に『やるべきこと』を最優先にする人間なのよ」
私は、自分の右手に、あの折れた魔剣を拾い上げ、その柄を、これからの大逆転のすべてを懸けて、強く握りしめた。
「私は今、最愛の双子の弟であるアーシュをこの手で必ず闇から取り戻すために。
そして、世界を滅ぼそうとしているあの闇の力を、内側から完璧に抑え込むために――ただ、目の前の敵を叩き潰して戦うのみよ!!!」
私のその魂の底からの覚悟の叫びを聞いて、カルミラは差し出していた白い手を静かに引くと、その表情から一切の笑みを綺麗に消し去り、底冷えするような氷の声を響かせた。
「……フン、実につまらん。せっかく可愛いお人形にして飼い殺してやろうと思ったが……どうやら、これ以上の交渉は無意味、不届きな『婚約破棄』ということだな」
カルミラはあの魔導石を内に宿す黒く太い槍をガシッ!!! と力任せに掴み取り、正面から鋭く構えた。
それに本能的に反応するようにして、私の前に立つゼインも、その巨大な剣の白刃をカルミラの喉元へと真っ直ぐに向け、世界の終わりを告げるかのような強烈な王の覇気を周囲へと解き放った。
「――どうやら、そういうことだ。
カルミラ殿。……俺たちの愛すべき大事な姫様は、今ここでそっくりそのまま返していただこう」
大剣を構えたまま、ゼインは軽く後ろチラと一瞥し、低く短く声を発した。
「……――メアリーを、頼む」
次の瞬間、大階段を上り詰めていたトニーの逞しい右手が、私の腕をガシッ!!! と強い力で引っ張り、カルミラの槍の間合いから自らの背中の後ろへと強引に引き寄せた。
「当たり前だ、ゼイン。……何のために、俺たちが今まで命を懸けてこいつの『騎士』をやってきたと思ってんだよ」
「そうだよっ!! 俺の、俺たちのメアリーちゃんには……その汚い指一本、死んでも触れさせるもんかっ……!!!」
隣に並んだフランが、その美しい青い瞳を本気の殺意に血走らせ、私の前に立ち塞がって白刃をカルミラへと構え直す。
自分たちの主君を完璧に守護するその二人の騎士の頼もしすぎる背中からの言葉を聞き、ゼインは、カルミラの槍を見据えたまま、フッ……と満足そうに笑みを零した。
「――それは。……最高に、頼もしいな」
ゼインのその言葉には、これまでのような他者を見下すようなからかいや退屈の色など微塵も存在しなかった。
ただ、同じ戦場を命がけで駆ける本物の仲間たちへの、深い『信頼』の情が、その声音の奥底へと確かに刻み込まれているのだろう――。




