花嫁へ捧ぐ
大理石の長い階段を一段ずつ踏みしめ、とうとうゼインが、私のすぐ目の前へとやってきた。
「ゼイン……っ」
私は滲む涙を堪えきれないまま、藁をも掴む思いでその顔を見上げて、掠れた声を小さくつぶやいた。
すると、ゼインは私に向かってその深紅の鋭い瞳を優しく向け、私の金の髪を愛おしそうに見つめながら、どこまでも温かく、穏やかな声音を頭上から注いできた。
「――なんと、言葉を失うほどに美しい花嫁だ。
……メアリー。もしもお前が、この先どうしても俺のものになってくれないというのなら……いっそ今すぐこの場で、その純白のウェディングドレスを、お前の鮮やかな血で真っ赤に染め上げてしまいたいとすら思うな……」
その、穏やかな微笑みの裏に潜むぞっとするほどドス黒い執着の言葉に、私は思わず心臓が凍りつくような強烈な戦慄を背筋に感じていた。
私が恐怖に身体を硬直させて怯えた表情を見せるも、ゼインは何一つ悪びれることなく、いつも通りの柔らかく、冷徹な笑みを私に向けたままだった。
「だが、まあ……カルミラ殿の神聖な花嫁に、今ここでそんな粗暴な真似を仕掛けるわけにもいかんな」
ゼインは私からすっと視線を外すと、玉座に深く腰掛けているカルミラの方へと、その強靭な身体を少しだけ向け直した。
「カルミラ殿。……お前はこのメアリーと結婚の誓約を結び、王家に眠る魔力と共に、この者の国を丸ごと手に入れようと画策しているのだろう?」
ゼインの口から放たれたその言葉には、さっきまでの甘さなど微塵も存在しない、ぞっとするほど冷淡な声色が乗せられていた。
「そうだ。それが何か? 他国の敗北した王よ」
自らの野望のすべてを見破られてなお、カルミラは余裕の笑みをその唇に浮かべたままでいた。右腕を落とされたガルシアをその場で瞬殺してみせた、あの自らの持つ『1000年に一度の最凶の魔力』に、よほどの絶対的な自信があるのだろう。
「ならば――お前は、この俺とも今ここで『結婚』の誓約を交わすか?
もし俺と婚姻を結ぶというのなら、メアリーの国だけでなく、俺の治める広大な国と全ての富も、そっくりそのままお前の手の中へと転がり込んでくるぞ?」
大広間に満ちていた重苦しい静寂のなかで、ゼインが両腕を広げてそう持ちかけた瞬間、階段の頂点の玉座から、カルミラが高らかに、心底愉快そうな笑い声を大広間全体へと響かせた。
「――ハッハッハ……!!! これは面白いことを言う!!
なるほど、それは我が一族にとって、これ以上ないほどに最高で都合の良い提案だな!
家畜の王よ、どうせお前は、相手が誰であろうと抱ければ何でもいいのだろう?
お前を花婿として迎え入れるだけで、お前の治める他国の領土まで無条件で手に入ると言うのなら……こちらは願ったり叶ったりだ!!」
「フッ……。だが、今はカルミラ殿とメアリーの神聖な婚儀の場だ。他国の人間がこれ以上、余計な世間話で時間を取らせてしまうのも無作風というもの。この話はまた後にしよう……。
……それと、カルミラ殿。メアリーの左手首にハメられているその金属の手枷だが……」
その言葉がゼインの唇から紡がれた瞬間、私の心臓は、今度こそ恐怖と焦燥で激しい悲鳴を上げた。
この人は、私が奴隷の契約に縛られていることすら、もう全てお見通しなのだ。
ゼインはまた、にこやかな微笑みを浮かべたまま、玉座のカルミラへと滑らかに発言を続けた。
「一国の王女を娶るというのに、その手枷のデザインはあまりに質素過ぎて悪趣味だな。せっかくの晴れ舞台だ、後でもっと金や宝石を散りばめた豪華な物を着けさせてやってくれ。
……でなければ、この美しい花嫁姿が台無しになってしまう」
「ふふ、なるほど。お前は随分と高尚な美意識をお持ちのようだ。……いいだろう、後で考えておこう」
カルミラはゼインの言葉をただの贅沢な戯言だと受け取り、気分を良くして軽く答えた。
そのカルミラの視線の先で――ゼインの深紅の瞳が、私の深い緑色の瞳と、至近距離で静かに、けれど熱く絡み合う。
「では、カルミラ殿。……最後に……この美しい花嫁と、一度だけでいいから『抱擁』をさせてもらえないか?」
あまりにも大胆すぎるその願いに、私は反射的に隣のカルミラの方を見た。カルミラは私の怯えたような視線を「死にゆく男への憐れみ」だと勘違いしたのだろう、フッと軽く頷き、
「もうすぐあの世へ旅立つ哀れな男だ。それくらいの最後の我が儘、広い心でさせてやれ」
と、どこまでも穏やかに優しく答えた。
次の瞬間、ゼインの、あの見慣れた強靭で大きな両腕が目の前で左右へと広げられ、私のウェディングドレス姿の身体を、そっと優しく包み込むようにして抱きしめてきた。
その広い胸に顔を埋めた瞬間、そこからは、あの懐かしい国を出発してからというもの、幾度となく過酷な危機から私を救い出してくれた、あの温かくて優しい、大好きな匂いがふわりと鼻腔を満たした。
私は……今まで、何度こうしてこの人に抱き締めてもらい、その絶対的な強さに救われてきたか分からない。
この胸の圧倒的な温かさから、もう二度と離れたくない。ずっとこの人の傍にいたい。こうしてずっと抱きしめられていたいと、心の底から強く、激しく願ってしまった。
もしもその願いが、王女としての運命のせいで絶対に叶わないというのなら……いっそ、この愛しい腕のなかで、彼の胸の温かさを最期に感じながら、このまま死んでしまいたい――。
熱い涙が、私の目頭からとうとう零れ落ちそうになった、まさにその刹那だった。
私の耳元で、ゼインの熱い呼吸の音と共に、大広間の誰にも聞こえない温かい聲音が、私の鼓膜へと直接届けられた。
「――メアリー。……愛しているよ」
あまりにも狂おしい愛の囁きに、胸が張り裂けそうに痛くなる。
……だが、その甘い言葉が響いたすぐ直後、耳元の皮膚に触れるほどの距離で、集中していなければ一瞬で周囲の雑音に掻き消されてしまうような、音にならない、かすかな掠れた声が私の脳内へと滑り込んできた。
――槍だ――
っ……!?!?!
私は激しい衝撃に、反射的にバッ!!! と顔を跳ね上げてゼインの顔を見つめた。
すると、私のすぐ目の前にいるゼインは、その瞳を妖しく細めて、すべてをやり遂げたような最高の笑みを浮かべて微笑んでいた。
長い階段の上の玉座で、カルミラは私がゼインに耳元へ愛を囁かれ、キスでもされて驚いて顔を上げたのだと完全に勘違いしたのだろう、愉悦に満ちた笑い声を上げて大きく口を開いた。
「ハハッ……! 他国の王よ、我が純潔な花嫁を、あまりからかって怯えさせないでおくれよ」
その言葉に、ゼインは私の身体からゆっくりと滑らかに衣服を離しながら、大人の余裕の笑顔を浮かべて軽く言葉を返した。
「これはすまん、すまん。カルミラ殿。
あまりにそなたの花嫁が美しいもので、ついつい、目が眩んで近付き過ぎてしまったようだな」




