花嫁との最後の挨拶
「――なんと、息を呑むほどに美しい花嫁だ……!!」
突如として、長い階段の真下から、ゼインがよく通る高らかな声を、わざとらしく大広間全体へと響かせた。
その堂々とした覇気のある声音は、張り詰めた空気を真っ二つに切り裂き、玉座に深く腰掛けるカルミラへと、一本の鋭い矢を放つかのように真っ直ぐに届いた。
カルミラは不敵な微笑みをその妖艶な唇に浮かべながら、声の主であるゼインの方へと、ゆっくりと冷徹な目を落とした。
「ハッハッハ……! そうであろう、他国の王よ。
これこそが、我が一族が世界を統べるための、自慢の至高の花嫁なのだからな」
――ゼイン……っ!? 一体、突然何を言い出すの……!?
私は、さっきまでの大蛇のタトゥーへの恐怖にガタガタと震えながらも、心臓の鼓動をいっそう激しく速めながら、階段の下と上で交わされる二人の不気味なやり取りを、ただじっと目を見開いて見つめることしか出来なかった。
「カルミラ殿!! このまま家畜として屠られる前に、俺から最期の頼みがある!!
その世界一美しい花嫁の姿を、死ぬ前に一度だけでいい、この目の前で、至近距離で見せてはもらえぬか!!」
「ハハッ! そんな我が一族の至宝に触れさせるような真似、今さら出来るわけがないではないか。
そんな殊勝なことを口にして……おおかた、隙を見てこの小娘をここから力ずくで救い出す気なのだろう?」
「――では、これならどうだ?」
ゼインはそう不敵に笑うと、衣服にかけられていたはずの頑丈な縄を、なんの苦もなさそうに、自らの手であっけなくパッと床の上へと解き捨ててみせた。
それだけに留まらず、彼は自身の背に背負っていたあの巨大な大剣をすらりと引き抜くと、それを無造作に大理石の地べたへとコト、と置いたのだ。
極めつけに、彼は自身がいつも誇り高く身に纏っていた、漆黒の大きなマントすらも、自らの手で乱暴に床へと脱ぎ落とした。
武器も、防具も、何もかもを床に捨て去り、完全に身一つになったゼインは、カルミラの兵士たちに囲まれた更地の真ん中で、堂々とその両腕を左右へと大きく広げて見せた。
「これで……お前に対して、俺から攻撃を仕掛けるなどの危害を加える道具は、何一つ無くなったはずだ。これなら不満はあるまい?」
「ちょっ……、お前っ……!! 勝手に一人で何言ってんだよっ……!!
武器を捨てるだけで、傍に行けるのが許されるなら、俺だって今すぐメアリーちゃんの所に行きたいのに……っ!!」
大広間の床の上で、フランが地響きのようなジェラシーに満ちた叫び声を張り上げた。
長い階段の最上階、玉座にどっしりと腰掛けたカルミラは、その隣国の若き王のあまりにも無謀で大胆な「おねだり」がよほど愉快だったのか、面白そうにその漆黒の瞳を細めた。
「――いいだろう。他国の哀れな王よ、そこまで我が一族の至宝に平伏し、その美しさを拝みたいと言うのなら……大人しくそこを上ってきて、私の『花嫁』の美しさを、死ぬ前の最期の思い出として特等席で拝むがいい」
「えっ!? マジで!? 行っていいの!? ……じゃあ、俺もメアリーちゃんの元へ――」
カルミラのその言葉に、誰よりも早くフランがパッと瞳を輝かせて勝手に答えた。
そう言いながらフランが嬉々として立ち上がろうとした、まさにその瞬間。彼の背後に控えていた屈強な兵士たちによって、衣服の胸元を力任せに掴み上げられ、ドサッ!!!と強烈な勢いで大理石の床へと再び深く膝を突かされた。
「痛っ……! くそっ……、離せ、この野郎……っ!! おい、てめえ、今の無礼は絶対に覚えてろよ!? この安っぽい縄が解けた瞬間に、俺が一番にテメェのその汚い首を綺麗に撥ね飛ばしてやるからな……っ!!」
フランは自由の利く口だけを、これでもかと自由に動かして、ギロリと殺意に満ちた眼差しでその兵士を激しく睨み上げていた。
ゼインは、背後で巻き起こっている、そんな騒がしいやり取りにはただの一瞥もくれず、衣服の擦れる音すら立てない優雅な足取りで、私の待つ大理石の長い長い階段を、一歩ずつ静かに上り始めた。
大理石の長い階段を、ゼインが一歩、また一歩とこちらへ向かって近づいてくるにつれて、私の胸の内の鼓動はどんどん速く、狂ったように脈打ち始めた。
ゼインが一体何を考えて武器を捨てたのか、その真意が今の私には全く分からないからこそ、底知れない恐怖すら脳裏に感じてしまう。
だけどゼインは、周囲の兵士たちの視線を一切気に留めることなく、真っ直ぐに私たちだけを見据え、しかもその端麗な唇にいつも通りの不敵な笑みさえ浮かべて、ゆっくりと、優雅に近付いてきている。
――ああ……。本当は、今すぐあそこへ駆け下りて、『助けて』って、そう大声で言えたら、どんなにいいか……
本当は、みんなの元に帰りたい。大好きなトニーやフラン、カイトやアーサー……みんなの傍にずっといたいって、ただの我が儘な子供みたいに泣き喚くことができたら、どんなに心が楽になるか分からない。
あの国を出発したあの日から、私はずっと、王女として気丈に振る舞い続けてきた。
大切な弟を救い出すためにはこれしか方法がないのだと自分自身に何度も言い聞かせ、自分の心の中に生まれる「怖い、助けて」という本当の弱い気持ちには一切見向きもせず、それらを全て無視して、この地獄のような一族の最深部まで、たった一人で無理をして歩んできた。
なのに……。
どうして、何故こんなにも、あのゼインの姿を視界に捉えるだけで、全てを投げ出して今すぐあの人の元へ「帰りたい」と思ってしまうのだろう。
階段を上るあの人の足音が、一歩、また一歩と近づかれるたびに、私の喉の奥に押し殺していたはずの、帰りたいという本当の願いが、ほんの少しずつ、けれど確実に、胸の中で抑えきれないほどに大きく大きく膨らんでいく。
ゼインの顔が、どんどん目の前へと近づいてくる。 視界が、揺れる橙色の灯火のなかで、じわりと熱い涙によって滲んでいくのを、私は手首の手枷を握りしめながら、ただ痛いほどに感じていた――。




