いざ、メアリーの元へ
漆黒の魔獣アリコーンが、その禍々しい巨体を雲が消えた月光の下へと現し、異常に長い四肢を不気味に折り曲げながら、音を立てて草原の地面へと降りてきた。
その着地の衝撃によって再び猛烈な暴風が周囲へと吹き荒れ、巻き上がった凄まじい砂埃が彼らの視界を最悪なものへと染め上げていく。
その遮られた視界の奥に『何か』を目撃したトニーが、慌てて腕で顔を覆っている隣のフランへと声を張り上げた。
「おい、フラン!! 自分の腕を退けて今すぐ見ろ、あれをっ……!!」
「げほっ、何ですか一体……っ」
フランは砂埃に咽びながらも、なんとかその美しい青い瞳を細く開け――そして、次の瞬間、息を呑んで絶句した。
「ナ、ナターシャ……」
かつて初めてあのアリコーンと遭遇した時、あのガルシアが傲慢に不敵な笑みを浮かべて乗っていた、魔獣の分厚い肩の特等席。
……今、その全く同じ場所に、アリアの形見であるあの神聖な魔導杖を小さな手にしっかりと握りしめたナターシャが、まるで一族の正統なる首領であるかのような、威風堂々とした佇まいで冷酷に立ちはだかっていたのだ。
その、自分たちの愛した少女のあまりにも残酷な裏切りの立ち姿を見上げて、ゼインがぞっとするほど低い声音で口を開いた。
「――フッ。皮肉だな。
……メアリーが我が身を挺して必死に助け上げた命と、人を守るためにとアリアの祖母から受け継いだ至高の杖に、『殺されようとしている』のだからな」
「――その者たちを全員、あのアリコーンの背の上へと乗せよ。一族の本拠地へと連行する」
砂埃の向こうから、ナターシャの高らかな、けれど血の通わぬ冷徹な指示が草原に響き渡った。
それを聞いたカルミラの兵士たちは、縄で縛り上げたゼインやトニー、そして白銀の兵士たちを、物のように手荒く誘導し始めた。
彼らは頑丈な縄に巻かれたまま、巨大な魔獣の背の上へと渋々乗せられ、全員が荷物のように積み上げられる。やがて全員の乗車を確認すると、アリコーンがその巨体をゆっくりと揺らし、暗雲の彼方へと向かって不気味に動き出した。
狭いアリコーンの背の上に、かなりの人数が密集して無理やり乗せられているため、嫌でも他の者との距離が近くなる。
衣服に染み付いた脂汗や泥の強烈な生臭い匂いがもわっと鼻を突き、潔癖症のフランは、泥塗れの顔をこれ以上ないほど酷くしかめっ面にして耐えていた。
そんな中、トニーはすぐ隣に座らされられているゼインの耳元へと顔を近づけ、周囲の兵士に聞こえぬよう声を極限まで抑えながら尋ねた。
「……なぁ、ゼイン。さっきから聞いてりゃ『わざと捕まった』だなんて正気かよ。
……なんでお前は、俺たちがアリコーンにその場で一瞬で殺されず、わざわざ本拠地にまで生きて連れて行かれると、そんな風にハナから踏んでいたんだ?
連れて行かれずに、あの場でアリコーンの巨大な鎌で全員首を撥ねられることだって、十分にあり得たはずだろ……っ」
トニーの焦燥を孕んだ問いかけに対し、ゼインは縛られたまま、進行方向の暗闇をじっと見つめ、声音を全く変えずにぽつりと答えた。
「トニー。……お前は、肉というのは……どうやって食べるのが一番美味いと思う?」
「は……!? に、肉……!? 何なんだよ一体、こんな緊迫した時に急に肉の話なんて……!!」
あまりにも予想外すぎる斜め上の答えを返され、トニーは驚きのあまり声を抑えることすら完全に忘れて、思わず大きな声を張り上げてしまった。
だが、ゼインはそんなトニーの動揺など気にも留めない様子で、退屈そうに冷酷な言葉を続ける。
「一番美味い肉というのはな、捌きたての『新鮮な肉』だ。動物を殺して、その場ですぐに喰らうのが最も美味いのだよ」
「はぁっ!? だから……だからそれと、俺たちが生きて連れて行かれることに、一体何の関係が――……、え?」
そこまで言いかけた瞬間、トニーは自分の顔面から、ドォッ……とすべての血の気が一気に引いていくのを肌で感じた。
「――そうだ。あのカルミラ率いる操獣の一族はな、遥か昔から他国の人間を喰らう人食いの一族なのだ。
あいつらにとっては、自分たちの一族以外の人間など、ただの豚や牛と同じ『食糧』にしか見えていない。
……だからといって、あの場で面白半分ですぐに殺してしまったら、運ぶ途中で肉が腐って喰えなくなるだろう?
だからあいつらは、自分たちで食べるその『ギリギリの瞬間』まで、家畜をこうして生かしておくのさ。まあ、あとはあのアリコーンの餌にでもするのだろうな」
「いやいやいやいや……嘘だろ……っ!!! お前……っ、何そんな狂ったおぞましい話を、普通に世間話みたいに話してんだよっ!!」
トニーの全身の震えと動揺は、もう止まる所を知らなかった。
助かるための「偽装投降」だと思っていた作戦の行き先が、まさか【人食い一族の調理場へ自ら進んで運ばれにいく】という、正気の沙汰とは思えない狂気の大博打だったことに、トニーは泥の中で本気で絶叫したくなった――。




