カルミラとナターシャ
ナターシャは、今度は私の右側に回り込んで位置を変えると、サラサラと音を立てて再び私の髪を静かに梳かし始めた。
一度心の奥底を打ち明けたことで、私に対して話すことの抵抗が完全になくなったのだろうか。
彼女は鏡の向こうを見つめたまま、またぽつり、ぽつりと小さな口を開いた。
「カルミラ様は……私のそういった複雑な事情をすべて知った上で、それでも私の魔力が弱いことをいつも傍で気にかけてくださっていました。
私の父親が、この国でも屈指の『操獣の魔力保持者』だったのです。だから、私が魔道具の国で産まれた後、父親を追うようにして私は母親と共にこの国へと連れてこられました。
……母はそのまま、この国で父と正式な『婚儀』を交わす予定だったのですが……その婚儀の儀式があまりにも過酷で、耐えきれずに、私を置いて一人で逃げ出してしまいました」
「え……? 婚儀って、そんなに過酷なものなの……?」
私もそれを体験しなければならないのか、と不安を抱き、思わず私が聞き返すと、ナターシャは鏡の中の私と決して目を合わせようとはせず、ただ機械的に髪を梳かし続けながら、どこか恐怖を押し殺したようなトーンで答えた。
「はい。我が一族の婚儀の最中に……自身の右腕に全魔力を限界まで込め、そこに巨大な『大蛇のタトゥー』を直接彫り込んでいく、血の儀式が行われるのです。
……それが、他国の人間にとっては、精神が崩壊するほどに、本当に痛くて恐ろしいものなので……」
ナターシャはそこで、何か酷く言いにくそうに言葉を濁した。
大蛇のタトゥー。
ガルシアのあの丸太のような右腕に刻まれていた、そしてカルミラの腕にも彫られていた、不気味な蛇の紋様。
「え……。ナターシャ、まさか、あなたも……それがあるの……?」
私が息を呑んでそう問いかけた、次の瞬間だった。 ナターシャは何も言わず、右手の櫛を一度止めると、着ていた衣服の右の袖を肩の根元まで、ガバッ!!!と躊躇いなく乱暴にまくり上げてみせたのだ。
――その、白くて華奢な、折れてしまいそうなほどに細い彼女の右腕には、衣服の隙間から這い出てきたかのような、どす黒い墨で描かれた、腕全体をミシリと締め上げる『巨大な大蛇のタトゥー』が、皮膚の奥にまでおぞましく刻み込まれていた。
「年齢が二桁になった時……。つまり、10歳になると、この国に生まれた子どもは、例外なく全員があの激痛の儀式を強制的に受けさせられ、この呪いを右腕に入れられるのです」
ナターシャは、まくった袖を静かに元に戻しながら、何事もなかったかのように再び私の髪へと櫛を入れ始めた。
「――母親が逃げて一人きりになってしまった私に、カルミラ様は、まるで年の離れた本当の実の姉のように優しく接してくださいました。
私が自分の少ない魔道具製造の魔力を使って、あの最初の『杖』を自分で作り、操獣の魔力を増大させることが出来たと報告した時も……あのお方は、我がことのように本当に、本当に喜んでくださったのです」
ナターシャの、鏡の向こうの瞳から、ポロポロと透明な涙が溢れて床の藁へと落ちていく。
私は髪を梳かされながら、鏡越しに彼女のその泣き出しそうな横顔を、胸を締め付けられるような切ない想いでじっと見つめ返していた。
「……だけど、幼い頃からカルミラ様の傍にいて、共に切磋琢磨して過ごしてきたあのガルシアだけは、私の存在を以前から酷く嫉妬して、よく思っていませんでした。
そして……数年前、カルミラ様が遠い他国へ長期の遠征に行かれた、まさにその隙を突いて、ガルシアは私を『魔力が極端に少ない出来損ないだから』という理由をでっち上げて、この国から無理やり追い出したのです」
「え……っ!? ガルシアが、独断で……!?」
私が驚愕の声を上げると、ナターシャは櫛を動かす手を一度止め、自分の細い肩を抱くようにして言葉を絞り出した。
「ガルシアは周りの人たちには、すべて『カルミラ様の命令だ』と言い張って私を追放しました。
でも、私は知っていました。カルミラ様が私に対して、そんな冷酷な命令を下すようなお方ではないことくらい、誰よりも分かっていました。
……でも、分かってはいたけれど、周りの一族の人たちも、混血で魔力の弱い私の存在を、普段からずっと疎ましく思っていたようで……。
ガルシアの嘘に気づいていながらも、私を助けてくれる人は、この国にはただの一人もいませんでした」
ナターシャは涙を手の甲で拭うと、再び私の金の髪を慈しむようにゆっくりと梳かし始めた。
鏡に映る彼女の紫色の瞳には、一族に切り捨てられた深い絶望と、それでも自分を唯一認めてくれたカルミラへの、あまりにも一途な「愛」が宿っていた。




