想いが交錯する時
深い沈黙が部屋を支配し、真ん中に置かれた灯火から、パチッ……と時折小さな炎が爆ぜる音だけが聞こえてくる。
あまりの静けさに、目の前にいるナターシャの微かな呼吸音すら、今にも鼓膜へと聞こえてきそうだった。
「ナターシャ……」
私が紡ぎ出したその小さな声にさえ、ナターシャはビクッと華奢な肩を大きく震わせた。
ゆらゆらと揺れる橙色の光に照らされた、15歳にも満たない彼女は、いつもよりずっと幼く小さな一人の少女に見えた。
そう言えば、10歳前後のリオールの面倒を見ているときの彼女は、どこか無理をしてひどく大人びて見えたものだ。けれど本当は、まだまだ生まれ育った家や家族が恋しくなる年頃なのだろう。
ナターシャは怯えきった表情を浮かべながらも、私に対して決して気を許さないようにと全身に力を張り詰めて、じっとこちらに目を向けた。
そして、私がこれ以上何かを話し出すのを必死に防ぐように、小さな口を早く動かして、捲し立てるように話し始めた。
「カルミラ様には、幼い頃から私を可愛がっていただいた、本当に大きなご恩があるのです……っ! それを今さら、裏切ることなんて私には出来ません!! メアリーさんにも……あのとき命を救っていただきましたが、カルミラ様にもずっと守られてきたし……! アリアさんの杖を受け取ったときは、本当に、心からメアリーさんのために尽くそうって、そう思っていたけどっ……!!」
「ナターシャ!!」
今度は、彼女の張り詰めた言葉を優しく遮るように、少しだけ強い声を意識して名前を呼んだ。
ナターシャはハッとして、息を呑んでこちらを見つめてくる。その怯え方は、まるで凶悪な肉食獣に食べられる直前の、小さな小動物のようだと思った。
私は彼女の頑なな心を落ち着かせるように、優しく、しかし、王女としてのしっかりとした口調で静かに話し出した。
「私はね、ナターシャ。あなたのその選択を、否定しようとはこれっぽっちも思っていないのよ。
あなたがカルミラを……あなたの生まれ育った故郷や、その仲間たちを選ぶことを、私は『いいこと』だと思っているの」
「え……?」
ナターシャは驚きのあまり瞬きをすることすら完全に忘れてしまったようで、大きな瞳を見開いたまま私を凝視している。
私は床の藁を踏みしめながらゆっくりと立ち上がると、灯火を回り込んで、ナターシャのすぐ真横へとそっと腰を下ろした。
その間も、ナターシャは私の顔から片時も目を離そうとはしなかった。
私は至近距離になった彼女の顔をしっかりと正面から見つめ返しながら、穏やかに語りかける。
「『この人のそばにいたい』と、心からそう思える人のそばにいるのが、人間にとって一番幸せなことなのよ。
……現に、私もそうなの。私はみんなのそばにいたい。そして、大好きな双子の弟であるアーシュのそばにいたい。だから私は、何があってもアーシュを取り戻すために、今こうして命を懸けて戦っているの」
私はナターシャの細い髪をそっと優しく撫でながら、彼女の心の変化を手のひらで確かめるようにして、そのまま言葉を続けた。
「私はね、ナターシャ。本当はあなたのそばにも、ずっと一緒にいたいと思ってる。
……けどね、私は、あなたのその健気な気持ちを踏みにじってまで、自分の希望を優先してあなたを縛り付けたりは絶対にしない。
自分が生まれた国にいたい、大好きな人の役に立ちたいって思うのは、人間として当たり前で、とても自然なことだもの。私にだって、全く同じ強い想いがある。
……だからね、あなたが選んだその道を、私は絶対に責めないし、止めたりもしないよ」
「本当に……いいん、ですか……?
私、メアリーさんたちを裏切って、カルミラ様の元へ戻るのに……」
ナターシャが大粒の涙を溜めた紫色の瞳で私を見上げてきたので、私は彼女を安心させるように、どこまでも優しい満面の笑顔で答えてあげた。
「ええ、もちろんよ。トニーやフラン、みんなだって、あなたのその健気な気持ちを伝えたら、きっとちゃんと分かってくれるわ」
私のその言葉に、ナターシャは溜まっていた涙を何度も何度も健気に拭いながら、救われたように何度も大きく頷いていた。
やがてナターシャがひとしきり涙を流し終え、ようやく呼吸を整えて落ち着いたのをしっかりと見計らってから、私は静かに口を開いた。
「だからね、ナターシャ。……お姉ちゃんから、ひとつだけ『お願い』があるの」
私は自分では、いつも通りの朗らかな、親しみやすい笑顔を向けたつもりだった。
――だが、それは、これからの逆襲を全て計算に入れた、あまりにも不敵で素敵すぎる「暗黒の微笑み」だったのだろう。
私のその表情の変化を間近で見た瞬間、さっきまで感動で胸を震わせていたはずのナターシャの顔が、恐怖のあまり一気に見る見る青ざめていくのが、弱々しい橙色の灯火ですらよく伝わってきた。




