さあ行こう
「……随分と、あのアーサーがゼインに懐いているな。動物の本能から、逆らったらヤバい奴だって頭で分かっているのかね」
フランがどこか冷静な声音で、その仲睦まじい光景をどこか羨ましそうに見つめているカイトへと、そっと話しかけた。
カイトはフランに顔を向けることすらせず、ゼインが巨大なライオンを無造作に可愛がっている様子から、ただじっと目を離そうとしない。
「いや……違う。兄上はかつて、アーサーの父親である、あの亡きレアン国王の元で修行をしていた時期があったんだ。その際、ずっと共に過ごしていた時があってね……。
アーサーは後に生まれた子どもだったから王位継承権もなく、実の兄たちからずっと酷く虐げられていた。それを傍で守り、本当の弟のように接して可愛がっていたのが……兄上だったんだ。
その頃、俺とはずっと疎遠になっていたけれどね……」
「そっか……」
フランは、ゼインとアーサーがこれほど信頼し合っている理由を知ると同時に、カイトがどうしてあんなにも寂しそうな視線を二人に送っているのか、その理由を痛いほどに理解した様子だった。
「――おい! アーサー!!」
沈黙を破るように、トニーが巨大な白いライオンの元へとズカズカと力強い足取りで近づいていった。
アーサーはピクッと白い耳を動かしたが、ゼインの隣から逃げようともせず、ただ静かに背筋をピンと伸ばして、トニーの次の行動をじっと待った。
それはまるで、自分がこれから何を言われるのか、あらかじめ全て分かっているかのようだった。
トニーはアーサーの大きなシルバー色の瞳と自分の目の位置を合わせるように、大地の泥の上へと深く膝をついた。
「お前なら……野生の姿のお前なら、メアリーの匂いが、今でもはっきりと分かるんじゃないか?
あの不気味な暗雲を飛び越えて、メアリーの後をどこまでも追いかけることが出来るんじゃないか……っ!?」
トニーは、己の全存在を懸けて懇願するような、ひどく深く、熱い青い瞳で、目の前の白い幻獣の瞳を真っ直ぐに捉え、答えを求めた。
トニーの必死の問いかけに応えるように、アーサーは「ガオッ!」と低く力強く吠えた。
そしてその大きな白い身体を軽々と翻すと、濁った空の下を軽快な足取りで進み始める。その堂々とした後ろ姿は、まるで「俺についてこい」と無言で言っているかのようだった。
「――さあ、行くぞ」
ゼインが、その場にいる全員に伝えるように、低く張り詰めた声で言葉を発した。
そしてアーサーの進む方へと、自身の漆黒のマントをバサッ!と激しく翻して力強く歩き出す。その圧倒的な覇気が生み出した風が、取り残されていた三人の身体を大きく揺り動かして、前へと押し出すようだった。
トニーたちもまた、引き寄せられるように同じ方向へと足を進め始めた。後ろから吹き抜ける冷たい突風が、まるで彼らの背中を後押しするように激しく吹き荒れる。
「……なんか、おかしくないですか……?」
フランが不自然に声を潜め、前方を歩くアーサーとゼインの二人に決してバレないよう、恐る恐る隣のトニーへと話しかけてきた。
更地となったこの場所には、定期的にゴオオッと強い風が遮るものなく吹き抜けていく。そのお陰で、口から発した微かな声はすぐに周囲の雑音へと掻き消されていく。ゼインたちに聞かれたくない密談を交わすには、これ以上ないほど好都合な環境だった。
「何がだ?」
トニーは歩みを止めることなく、怪訝そうにフランへと疑問の視線を投げ返す。
「ゼインですよ。……なんでメアリーちゃんがあんな目の前で危険な目に遭って、連れ去られようとしていたのに、あいつは全く抵抗しなかったんでしょう。
あのゼインの桁外れの力なら、カルミラが飛び立つ前に、一瞬の足止めくらいは絶対に出来たはずじゃないですか……?」
「それは……あの場のカルミラの魔力が強すぎて、下手に動けないと判断したからじゃ……」
トニーがそう答えようとした、まさにその時だった。
『鳥人』としての野生の聴力を持つカイトが、二人の背後から音もなくその会話に割り込んできた。
「……いや、違う。兄上は、楽しんでいるんだ。この最悪な状況を」
トニーとフランは、思わず息を呑んで背後のカイトを振り返った。
カイトは震える拳をきつく握りしめ、痛々しく目線を地面の泥へと落としていた。
「あんたたちも、かつてあの城で目撃しただろう? 兄上と、メアリーの兄である、アストラとの死闘を。
……あれは、お互いの命が懸かっているとは到底思えない戦い方だった。二人とも、狂ったように笑いながら、心底幸せそうに刃を交えていたじゃないか。
……兄上はきっと、メアリーの命の心配よりも、あのカルミラという未知の強者と戦える歓びを優先して、あえて手を下さずに――」
「違うだろ」
トニーが、その不穏な言葉の先をカイトに言わせないよう、鋭く言葉を遮った。
そんな酷い言葉、実の兄を疑うカイト自身だって、口にしながら心を痛め、苦しんでいるのだ。これ以上、この過酷な戦場で自分たちの仲間を疑って傷つく必要なんてどこにもない。
トニーは静かに視線を再び前方のゼインの背中へと戻し、落ち着いたトーンで話し出した。
「あいつは……ゼインは、今まで何度も、俺たちの目の前でメアリーの命を救ってきた。
今回あいつが動かなかったのは、メアリーに『今すぐ命の危険はない』と瞬時に判断したからじゃないのか?
カルミラに本当にその場でメアリーを殺す気があるなら、あいつは自分の身を盾にしてでも一瞬でガルシアごと首を撥ねていたさ。
……それに、何より」
トニーはそこで、腰の剣の柄を、骨が鳴るほどの凄まじい怪力でギリリ……と握りしめた。
その深い青い瞳の奥に、かつて最愛の幼馴染みであったアーシュを、あの戦場に置き去りにして退避せざるを得なかった日の、血を吐くような悔しさと後悔の炎が激しく燃え上がる。
「――俺は、もう二度とあんな思いはしない。あの日のアーシュのように、メアリーをあいつらの元へ置き去りにしたまま終わるなんてこと、絶対に、死んでもさせない。
あんな地獄のような思いをするのは……あの日だけで十分だ」
トニーのその低く、けれど固い鉄のような決意の言葉を聞いて、フランとカイトはハッと息を呑んだ。
トニーがどれほどの覚悟で今、前を向いているのかが、その一言だけで痛いほど伝わってきたからだ。
トニーは歩きながら、もう一度カイトの方を振り返った。
カイトの薄赤の瞳には、先ほどまでの絶望に満ちた悲痛な表情は消え去っており、トニーの言葉を信じたいという、強い希望の光が宿っていた。
それを自分の目でしっかりと確認すると、トニーは騎士としての深い信頼を込めて、優しく微笑んでみせた。
「だから安心しろ、カイト。あのゼインという男には、絶対的な確信があるんだよ。
……カルミラの手によって連れ去られたメアリーを、俺たち全員の手で、これから『確実に生きて連れ戻すことが出来る』という、揺るぎない確信がな」




