囚われの身
「くそっ……貴様……っ!!」
トニーが、悔しさと怒りにまみれた苦虫を噛み潰したような表情で、絞り出すように声を漏らした。
「ハッハッハ……! 一国の国王や、誇り高き騎士団の精鋭がこれほど揃いも揃って集まっているというのに、肉の盾一枚で手も足も出せんとはな!
いやはや、なんと滑稽で愉快な光景だ!!」
カルミラは逃げ場のない血まみれの更地で、高らかに、嘲笑うような笑い声を上げた。
そして、すぐにその笑みを綺麗に消し去ると、今度は鼓膜に突き刺さるような鋭い声を放つ。
「ガルシア!! 遊んでいないであのアリコーンを動かせ!! この女を連れて、ここを離れるぞ!!」
「は、はっ……!!」
カルミラに怒鳴られたガルシアは、斬り落とされた右腕の根元を必死に押さえ、顔面を蒼白にしながら、彼女の元へと足早に向かった。
「行かせるかっ……!!」
その瞬間、トニーが我を忘れたように叫び、鋭い一歩を踏み出して剣を構えた。
だが、カルミラはそれを嘲笑うように、私の身体をぐいと無理やり前方へと突き出して、トニーの正面へと向けさせた。
「あっ……!」
怒りと困惑を前面に剥き出しにしているトニーの瞳と、私の視線が真っ向からガチッと交差する。
自分が突っ込めば私が死ぬ。それを瞬時に悟ったトニーは、飛び出そうとした身体をピタリと拒絶するように硬直させた。けれど、構えられた彼の剣の刃先が、行き場のない激しい怒りによって小刻みに、ガタガタと震えているのが、ここからでも痛いほどよく分かった。
カルミラは、私の頭皮を引きちぎらんばかりに掴んでいたその左手から、ようやくパッと手を離した。だが、今度は私の身体を太い片腕でがっちりと抱え込み、自由を完全に奪う。
すると突然、カルミラは私の頭上から――さっきまでの狂暴な声が嘘のような、恐ろしいほどに優しく、美しい『絹のような声音』を響かせながら、遠くにいる少女へとそっと白い手を伸ばした。
「――ナターシャ。お前も、私たちと一緒に来るか?」
あまりにも声の質が違いすぎて、本当に同じ女の口から出ている言葉なのかと、私は自分の耳を疑った。
その声はどこまでも甘く、けれど捕らえた獲物を決して逃がさない毒蜘蛛の糸のようだった。
ゼインたちのさらに後方、カイトに支えられて立ち上がったばかりのナターシャは、不意にその美しく響く声で名前を呼ばれ、ビクッと華奢な肩を大きく震わせた。
そして、怯えきった大きな瞳を恐る恐るこちらへと向け、カルミラの顔を見上げた。
「カルミラ様……。で、ですが……私は魔力が弱いからと、一族を追放されたようなもの……。
今は素晴らしい杖を使ってなんとかやっていますが、私自身の魔力は、あの頃と変わらず弱いままです……」
ナターシャの震える、消え入りそうな声で絞り出した自己嫌悪を聞いて、カルミラはどこまでも優しく、綿のように柔らかい完璧な微笑みを彼女へと向けた。
「何を言うのだ、ナターシャ。たとえ杖に頼ってのことであろうと、それほどの強大な魔力を引き出せるのなら何一つ申し分ない。
あのガルシアのように、どれだけ魔力があろうとも下品で粗暴な使い方しかできぬ無能な奴よりも、お前の方が遥かにマシだ。
その魔力量のお前なら、この魔獣化したアリコーンでさえ、簡単に我が手足として操れるだろう」
ガルシアを冷酷に引き合いに出しながら、カルミラはナターシャの方へと、さらに深く甘く、白い手を差し伸ばす。
「さあ、おいで、ナターシャ。私の可愛い娘よ」
ナターシャはその美しい声音にまるで魂を操られているかのように、視線をカルミラへと吸い寄せられたまま、一歩、また一歩とカルミラの元へと、ふらふらと足を進めだしてしまった。
先ほどの破壊で遮るもののなくなった、静まり返った更地の中、微かに吹き抜ける冷たい風の音と、ナターシャが歩を進めるたびに聞こえる、枯れ草のクシャッという寂しい音だけが、不気味に現れてはすぐに溶けて消えていく。
「待て、ナターシャ!!」
自分のすぐ横を通り過ぎようとするナターシャの細い腕を、トニーがたまらずガシッと掴んで引き止めた。
「目を覚ませ、ナターシャ!! 一度魔力が弱いと切り捨てられたんなら、あいつらは目的を果たした後に、またお前をゴミのように捨てる可能性だってある!!
それに……俺たちには、アーシュを救い出すというあの日からの大切な目的だってあるだろう……っ!!」
トニーの必死の説得に対し、振り返ったナターシャの、今にも泣き出しそうな哀しげな紫色の瞳と真っ向から目が合い――トニーは思わず、言葉を失って口をつぐんだ。
「トニーさん……。ごめんなさい。
私は、それでも……例えあのお方に、これから何度都合よく捨てられたとしても……。
私は、幼い私を育てていただいた、大好きなカルミラ様のお役に立ちたいのです。何をしてでも、その恩を返したいのです……」
ナターシャはそう静かに告げると、トニーの大きな手をそっと拒絶するようにすり抜け、カルミラの元へと歩いていってしまった。
カルミラは、自分の足元まで近づいてきたナターシャの細い手をそっと取り、優しく自分の方へと引き寄せた。
そして、そのままの体勢で、地上で武器を構えるトニーたちへと改めて冷徹な目を向ける。
「この王女は、何かと利用価値がありそうだな。
……他国の哀れな騎士どもよ。お前たちの不甲斐ない王女は、我が一族が世界を統べるための生贄として、ありがたく戴いていくぞ」
私はカルミラの太い腕をどうにかして退かそうと、爪を立てて必死に力を込めた。だが、彼女の服の下には、女性とは思えないほど分厚く強靭な筋肉が隙間なく蓄えられており、私の非力な力ではびくともしなかった。
「メアリーちゃんっ!!」
「メアリー!!」
フランとトニーの、引き裂くような絶叫が血塗れの更地に響き渡る。
足元では、白いライオンのアーサーも狂暴な唸り声を上げてガルシアの兵士を威嚇していた。
そんな中、ゼインだけは一切の声を出さず、ただ黙って、その深紅の鋭い眼差しでカルミラの姿を冷酷に凝視していた。
カイトは骨折の激痛に耐えながら、不自然に折れ曲がっている黒い大きな羽根を必死に広げ、それでも必要ならば、今すぐ死んでも構わないという気迫で大空へ飛び立とうとしているのが、ここからでも痛いほどよく分かった。
だが、その執念を無に帰すように、ガルシアが残された左手でパチンと短く指を鳴らした。
上空に滞空していた漆黒の魔獣アリコーンが、その巨大な黒い翼を強烈に羽ばたかせ、周囲の土煙ごと凄まじい暴風を四方へと巻き散らす。
その凶悪な風圧に、あのゼインですら目を開けられず足止めされるなか、カルミラは私とナターシャの華奢な身体をまるで羽毛のように軽々と両腕で抱え上げた。
そして、一瞬にしてアリコーンの分厚い漆黒の背の上へと飛び乗る。ガルシアや、数人の兵士たちもそれに合わせてアリコーンの背や身体に飛び乗ってきた。
「フッ……今度あいつらと会うのは、あの世だろうな」
カルミラは私をがっちりと組み伏せながら、眼下の更地を見下すようにククッと妖艶に笑みを浮かべた。
キィイイイイイイイイイッ!!!
漆黒のアリコーンが、濁った灰色の暗雲をその鋭い三本角で切り裂いて、猛スピードで天空へと飛び立っていく。
激しい上昇負荷が身体を襲うなか、眼下で、返り血で金髪を赤く染めたフランの姿や、己の剣を杖代わりにして必死に立ち上がろうとするトニーの姿が、みるみるうちに小さく、遠くへと遠ざかっていった。
見上げる天空は、不気味なほどに禍々しい色に染まりきっていた。
ただの曇り空ではない。どんよりとした濁った昼下がりの光の奥で、灰色の雲がまるで生き物のようにうねり、世界の果てから滲み出してきたような薄紫色の不気味な『闇のオーラ』が、空全体を静かに侵食し、覆い尽くそうとしている。
――アーシュ。 激しい風の咆哮に掻き消されそうななか、私は心の中で、最愛の弟の名前を強く、強く叫んだ。
たとえこの先、どんな過酷な運命が待ち受けていようとも、私は諦めない。
揺るぎない覚悟を胸に抱いたまま、私はナターシャと共に、紫黒に濁った底なしの空の彼方へと、静かに消え去っていった。




