歪な愛
その瞬間、トニーが何かに弾かれたように、カイトへ向かって突き刺さるような叫び声を上げた。
「カイトっ!!! その男を、今すぐメアリーから引き離せっ!!」
カイトがそのあまりに切迫した声に反応し、トニーの方を見た。
同時に、カイトの視界の端に、目にも留まらぬ凄まじい速度でこちらへと突撃してくるフランの姿が飛び込んでくる。
「わかっ……え? メアリーを助けるんじゃなくて、男を離せ……?」
トニーの要求の奇妙な違和感に包まれ、カイトは一瞬だけ動きが鈍くなった。
だが、カイトは『鳥人』としての野生の本能で、素早くメアリーの身体を自分の胸へと強く抱き寄せ、折れて動かないはずの黒い大きな翼で、彼女の身体を上から完全に包み込むような防衛体勢を咄嗟にとった。
フランが腰の剣を抜いた細い音がした――と思った、まさにその瞬間だった。
ザーーーッ……!!
まるで頭上から激しい大雨でも降ってきたかのような不気味な音が、数秒間だけ周囲に響き渡った。
メアリーを拘束していた兵士たちの短い悲鳴が一瞬だけ聞こえたが、それはすぐに何かの塊が地面に落ちる音に掻き消されて聞こえなくなる。
カイトは、衝撃のあまり自分が思わず目を瞑っていたことに気がつき、恐る恐る目を開けた。
だが、何が起きたのか事態が全く把握できないため、腕の中のメアリーをまだ庇うように抱きしめたままでいた。
そして――カイトは目の前に広がる光景を目撃し、思わず声を失って絶句した。
周囲の草むらは、一瞬にして辺り一面が凄惨な血の海へと化していた。
メアリーをガチガチに拘束していたはずの兵士たちの首が、地面をゴロゴロといくつも転がっている。さらに、自分のすぐ真横には、ガルシアのあの蛇のタトゥーが刻まれていた、丸太のように太い右腕がポツンと生々しく転がり落ちていた。
見れば、右腕を根元から失ったガルシアが、激痛に顔を歪めて肩を押さえながら大地の泥の上を無様にのたうち回っている。
フランの、あの美しいはずの金色の髪は、飛び散った大量の返り血で赤黒く禍々しく光り、衣服もまた、まだらに染め上げられていた。
白刃からぽたぽたと血を滴らせたままのフランが、底冷えするような冷徹な目で、ニヤリと不気味に笑う。
「――俺、汚いものや気持ち悪いものが大嫌いだけどさ。
一番大嫌いなのは、俺のメアリーが傷つけられることなんだよね」
カイトは背筋にゾクッ!と凄まじい悪寒が走るのを感じた。たまらず、救いを求めるような目で我が兄、ゼインを見つめたが――ゼインがその凄惨な様子を、むしろ楽しそうに目を細めて眺めているのを目にして、さらに寒気が増した。
いつの間にかすぐそばまで近づいてきていたトニーが、カイトの耳元へと、声を極限まで潜めて静かに耳打ちしてきた。
「カイト……フランはな、異常なほどにメアリーを愛しているんだ。本当に、異常なんだよ。
メアリーが自分のいない所で勝手に怪我をしたり、服を汚したりする分には、まだあいつだって理性を保てる。
だが、自分の目の前でメアリーが傷つけられるのを見ると……あいつは一瞬で我を忘れて、本物のバケモノになるんだ。
ハァ……、この凄惨な光景をメアリーには見せたくなかったんだがな」
メアリーという少女が、この騎士団に持つ存在意義はあまりにも大きすぎた。誰もが彼女のためなら、喜んで命を捨ててでも尽くしたいと思わせる特別な輝きが彼女にはある。
『彼女を守るため』というその一点だけで、男たちには戦う絶対的な意味が生まれるのだ。
だが、彼らのメアリーの命や尊厳に対する想いがあまりにも大きすぎるゆえに、時にそれは、戦闘において致命的な『障害』となることがあった。
メアリーは優しすぎる。
実の兄を殺した大罪人である父親の命すら、「殺さないで」と命ずるような王女だ。それどころか、目の前で虫一匹が殺されることすら躊躇わせるような綺麗なことを言う。
それゆえに、彼女の前では、騎士たちはすべての力を発揮できないことが多々あった。
あの『残虐非道』と世界から恐れられるゼインですら、メアリーの前では決して敵を殺すことをしない。
だが――メアリーが、その場から一時的にでも視界から姿を消せば、彼らは一瞬にして、容赦なく敵をこの世から葬り去るのだ。
「……おい、いつまで抱きしめてんだ。いい加減にその汚い羽根をどけろ、カイト」
血を滴らせる剣を握ったまま、フランが底冷えする声でカイトを睨みつけた。
カイトは背筋に走る悪寒を感じながら、
「ああ……」
と、そっと自分の黒い羽根を開いた。




