本戦の合間のひととき
フランは慌てて身体を翻し、ゼインを真正面にとらえて後ずさりした。
「ま、まあ、ゼイン!! 落ち着けって!! だってカイトが、あの狂暴化したアーサーをここに連れてきたせいで……!」
フランが必死に叫んだその瞬間、ハッとしたトニーは周囲の草むらを注意深く見回し始めた。そのトニーの動きに気づいたフランも、同じように辺りを観察し始める。
――ゼインがここにいるということは、まさか……。
トニーとフランは、同時に「それ」を見つけた。
少し離れた森の中、太い木の陰に隠れながら、心配そうにこちらを覗き込んでいるメアリーとナターシャの姿を。
――危ない!!
瞬時にそう判断したトニーは、二人の元へと全力で駆け出した。
獣の習性として、武器を持って身構えているトニーたちよりも、何も攻撃しようとしていない「弱い獲物」の方を優先して狙うはずだ。
トニーの足があと数歩でメアリーたちの元へ届く、まさにその時だった。
グルルルル……と獣が低く唸る音と、ガオッ!という獰猛な咆哮が耳に入ると同時に、草むらから巨大な白いライオン――アーサーが、その立派なたてがみを激しく揺らしながら強烈な勢いで飛び出してきた。
白き獣は迷うことなくメアリーの身体へと飛びかかり、その上にドスンと覆いかぶさる。
一瞬、メアリーの「きゃあっ!」という悲鳴が聞こえただけで、彼女の姿はライオンの巨体の下に隠れて見えなくなってしまった。
隣のナターシャは驚いた顔のまま、微動だにせずそれを見つめている。
トニーは最悪の覚悟を決めた。奥歯をガチガチと強く噛み締め、手汗で滑りやすくなっている剣の柄を、文字通り死に物狂いで強く握りしめる。
――ここでアーサーを殺してしまえば、国が本当に滅びるかもしれない。だが、メアリーを失うことに比べれば、そんなこと断然マシだ――!!
トニーは全魔力を剣に込め、メアリーの上でなおも激しく動いているアーサーの脳天めがけて、容赦なく白刃を振りかざした。
「ちょっと……やめてってば、アーサー! くすぐったい!」
トニーの極限の緊迫感とはあまりにも真逆な、メアリーの楽しそうな笑い声が響き渡る。
トニーはあまりの拍子抜けに、ピタッと全身の動きを硬直させた。
恐る恐る目線を落とすと、そこには巨大な猫のように、メアリーの顔や首筋を次から次へと熱心にベロベロと舐め回し、嬉しそうに喉をゴロゴロと鳴らしているアーサーの姿があった。
「は……?」
トニーは呆然としたまま、隣に立っているナターシャへと目をやった。
そこで初めて、彼女の細い手の中に、以前使っていたものとは明らかに違う、立派で大きな見慣れない魔導杖が握られていることに気がつく。
「……まさか、お前が操って大人しくさせたのか?」
ナターシャはきょとんとした顔で、トニーを見上げてきた。
「何がですか?」
「え……だって、アーサーは本能だけで動く怪物になっていて、人間を誰彼構わず襲うって、カイトが……」
「は? 誰がそんなデタラメを言ったんですか?
アーサーさんはちゃんと理性もありますし、中身はいつもの優しいアーサーさんのままですよ。
ただ、人間の姿に戻ることだけが出来ないみたいですけど」
トニーは、驚きのあまり開いた口が塞がらない。
「……なんでお前には、そんなことが分かるんだよ?」
ナターシャはフフッと小悪魔のようににっこり微笑むと、得意げに話し始めた。
「私の種族は『動物を操る能力』があると言われていますが、その始まりは、動物たちと正しく言葉を話せるところにあるんです。
基本的には、ちゃんと会話をして、こっちの望み通りに動いてもらうんですよ。協力的じゃない猛獣のときだけ、催眠のような術をかけて無理やり動かしますけど……私はどんな時だって、動物たちの本当の声を聞いています。
そうじゃないとうまくいかないんです。どれほど野生化していても、動物にだってちゃんと一匹ずつの『意思』があるんですから」
メアリーはやっとのことでアーサーの巨体の下から上体を起こしたが、アーサーはまだ名残惜しそうに、メアリーの身体に自分の大きな頭を何度もスリスリと擦り付けて甘えていた。
ナターシャの解説を聞いていたフランが、次の瞬間、分かりやすくブチ切れた。
「アーサーの野郎……!! さっさと僕のメアリーちゃんから離れろ!! ぶっ殺してやる!! 何がいつもの優しいアーサーさんだ、ベロベロ舐めやがってクソが!!!」
フランはトニーを強烈な勢いで追い越し、本気でアーサーを真っ二つに叩き斬る勢いで突撃していく。
トニーは「おいおいおい!」と慌ててフランの腕をガシッと掴んで引き止めた。
怒り狂うフランの気配を察知したアーサーは、メアリーの小さな身体の後ろに、どう考えても隠しきれないその巨大な身体を丸め、情けなく縮こまっている。
「ちょっと待て、落ち着けフラン!! ただの動物のじゃれ合いじゃないか!! さっきナターシャも言っただろ、アーサーにはちゃんと理性があるんだ!!」
「はぁ~っ!?」
フランはメラメラと怒りに燃える瞳を、引き止めるトニーへと真っ直ぐに向け、信じられないものを見るように叫んだ。
「だからですよ、トニーさんっ!! あの野郎、自分がモフモフの動物になったことをいいことに、その理性を悪用してメアリーちゃんにあんな破廉恥なことをしてるんですよおっ!!!
トニーさんこそ、してしっかりしてくださいっ!!」
「いや、だから、ライオンだし……」
「想像してくださいよ!! 中身はあの『アーサー』なんですよ!? あの、お日様の下でキラキラ光る真っ直ぐな銀髪に、吸い込まれそうなシルバーの瞳をした、俺たちと年齢も大して変わらない男だったじゃないですか!!
……いいですか? あの人間の姿の男が、今、メアリーちゃんの顔や首筋をベロベロベロベロ舐め回してるのと同じ状況なんですよっっ!!!」
トニーの脳内に、一瞬で「人間の姿のアーサーがメアリーをベロベロに舐め回している地獄絵図」が鮮明に浮かび上がった。
ピキリ、とトニーの脳内で何かの堪忍袋の緒が盛大に弾け飛ぶ音がした。
トニーの顔が、瞬時に夜叉のごとき凄まじい鬼の形相へと変化していく。
「……やるか、フラン。もう、あいつ殺っちまおう」
「そうこなくっちゃ、トニーさん!!!」
手汗で滑るはずだったトニーの剣は、今やアーサーを確実に葬るための強固な殺意の塊へと変わっていた。




