魔物と戦う餌たち
「……そりゃそうだ」
低く掠れた声とともに、カイトがいつの間にか近くまで歩み寄ってきていた。足を引きずりながらも、一歩、また一歩とゆっくり前へ進んでいる。
一目で、その大きな黒い羽根が不自然に折れ曲がっているのが分かった。これではもう、空を飛ぶことはできないだろう。
カイトは深く息を吸い込み、それを静かに吐ききった。
「こんなところで終わったんじゃ……兄上に失望されてしまう」
その言葉に、前方を歩いていたフランが、振り返ることなくフッと自嘲気味に笑った。
「そうだな。あの残虐な兄ちゃんは、血も涙もないからな……」
「来るぞ!!」
トニーの鋭い警告が響く。トニーは両手でしっかりと剣を構え、その白刃に自身の魔力で激しい水流を纏わせた。
上空のアリコーンが、その異常に長い右手に握られた巨大な斧を天高くへと振り上げる。
だが、それは斧をこちらへ投げつけるための動作ではなかった。斧が引き絞られたと同時に、またあのすべてを消し飛ばす漆黒の光が放たれようとしていたのだ。
――そうか。あの斧を振り上げる動作こそが、あの凶悪な光撃の予兆だったのか。
さっきまでは逃げることに必死で、敵の動きを観察する余裕すら持てなかった。けれど、こうして命を懸けて正面から向き合ったからこそ、ようやく見えてきたのだ。
――だが、予兆が分かったとて、今の満身創痍の自分たちに、あの速度の光を避けることも防御することもできそうにない。
それでも、もう誰も背を向けて逃げ出そうとはしなかった。
次の瞬間、振り下ろされた斧から、目を開けていられないほどの禍々しい黒い閃光が放たれた。
トニーは思わず、襲い来る死を覚悟して強く目を閉じてしまう。
それとほぼ同時に、凄まじい大地の揺れと、世界が崩壊するような衝撃波が彼らを襲った。
……だが、何かがおかしい。先ほど身体に受けた、あの凄惨な痛みとは明らかに違っていた。
『――誰が、血も涙もないって?』
鼓膜を揺らしたのは、聞き慣れた、酷く低く冷徹な声だった。
それは間違いなく、自分たちのすぐ前方から聞こえてきた。トニーたちは驚愕しながらゆっくりと目を開けてその光景を凝視した。
自分たちの前に立ちはだかる、圧倒的に巨大な身体、そして見覚えのある黒い髪。手にするのは、刃の長さが普通の剣の三倍は優にある凶悪な大剣。背中を覆う漆黒のマントが、激しい風圧に煽られてバサバサと狂ったように揺らされている。
「ゼイン……!?」
「兄上!?」
「なんで、ここに……!?」
三人はあまりの衝撃に、目の前の頼もしすぎる背中に向かって、矢継ぎ早に動揺の言葉を投げかけることしかできなかった。
トニーは思わず身を乗り出し、ゼインの前方の状況を確認した。
先ほどと同じように、大地の土が凄まじい勢いでえぐり取られている。しかし、その破壊の痕跡は、ゼインの目の前でピタリと不自然に止まっていた。
それは紛れもなく、彼がアリコーンの凶悪な光撃を、その身一つで完璧に防ぎ止めたという決定的な証拠だった。
ゼインはトニーとフランの方へとゆっくり目をやり、二人の満身創痍な状態をざっと把握すると、その深紅の鋭い眼差しで突き刺すように二人を睨みつけた。
「なんだお前たち、そのザマは。それで王女を守る騎士団の一員と言えるのか」
トニーは返す言葉もなく、ただ悔しさにぐっと奥歯を噛み締めることしかできなかった。
するとその時、後ろからカイトが悲痛な声を上げた。
「兄上……!! 申し訳ありません……っ!! 俺は何も攻撃できず、ただ無様に逃げることしか……!!」
カイトは深くうつむき、悔しさに震える拳を強く握り締めながら話し始めた。
けれど、カイトが口を開いた瞬間に、ゼインはトニーたちへの冷徹な態度を霧散させ、すでにカイトの方へと歩み出していた。
そしてカイトが言い終わるよりも早く、その両肩に大きな手を優しく置くと、愛おしそうに目を細めたのだ。
「いや、お前はよい。よく頑張った。
……その美しい翼を折られ、飛べなくなるまで、お前は本当によくやった。後はすべて、この兄に任せるがよい」
「あ、兄上……っ」
劇的に変化した戦場の空気に、フランがトニーへと聞こえるか聞こえないかの小声でぼそりと話しかけてきた。
「なんだ、あの臭い芝居は。なぁ、トニーさん?」
トニーはあまりの急展開に驚き、目をパチクリとさせながら、ゼインとカイトの二人を交互に見つめている。
「これは、一体どういう……?」
フランが間髪入れずに、呆れ果てた顔でそれに答えた。
「ゼインって、カイトのことが大好きすぎて、絶対にカイトにだけは怒鳴ったりしないんですよ。カイトが勝手に萎縮してるだけなんです。
はぁ~あ、たまには俺たちへの対応も、少しは優しくしてほしいもんですよねぇ~」
トニーに向かって熱弁を振るうフランの背後から、ぬっと、太陽の光を遮るほどの大きな影が現れた。
そして、フランの細い肩の上に、大きくてゴツゴツとした無骨な手が、ガシッと静かに置かれる。
「――悪いな、フラン。俺は『血も涙もない』らしいんでな」
背後から響いた、地獄の底から這い上がってきたようなゼインの低い声に、フランは一瞬で顔面蒼白となった。




