第一印象はとても大事
三人は、まるで時間の流れを止められてしまったかのように微動だにしなかった。いや、動くことすらできなかった。
じっとりと冷や汗が止まらず、跳ね上がった心臓の鼓動は頭の奥にまでドクドクと直接響いてくる。
剣を握りしめている手が、恐怖のあまり次第にガタガタと震え始めていく。その震えに自分で気づいてしまうことで、なおさら底知れない恐怖心が彼らを襲った。
しかし次の瞬間、その極限の沈黙を切り裂いたのは、フランの叫ぶような一言だった。
「きもっ!!!!」
フランはそう言い終わるか終わらないかのうちに、迷わず上空へ背を向け、太い木の幹を伝って猛スピードで下り始めた。
「むりむりむりむりッ!!!」
剣を素早く鞘へと突っ戻し、スルスルと驚異的な身軽さで木を下りていく。
「あっ! 待てフラン!!!」
トニーも慌ててそれを追いかけ、同じように木を飛び降りた。
上空のカイトも、一旦は剣をしまうと、黒い大きな羽根を広げてバサッと飛び立った。
フランは顔を真っ赤にして、空中を優雅に舞うカイトへと声を荒げて喚き散らす。
「くそ馬鹿カイトーー!! どこが神獣だよ!! 美しい幻獣だよ!! あんなの、ただ気持ち悪いだけのバケモノじゃねえかっ!!!」
カイトは地上を必死に走るフランたちの速度に器用に合わせ、低空飛行でスレスレまで近づいてくる。
木々が鬱蒼と生い茂っているというのに、大きな翼をパタパタとすぼめ、ギリギリで枝に当たらないよう天才的な身のこなしで飛んでいた。
「あれ~? 俺、言ったっけぇ? 美しいとか神獣とか〜。
……俺はただ言っただけじゃ~ん? 角があって、羽根があって、馬の生き物だって。そのまんまじゃ〜ん?
ま、ちょっと見た目が『個性的』だけどさぁ〜」
「てめっ……!! マジでこれ終わったら、絶対に焼き鳥にして食ってやっからな!!」
全力で走りながらなので呼吸が全く続かず、今のフランにはそう罵るのが精一杯な様子だった。
トニーは必死に地面を蹴りながら、たまらずチラリと後ろを振り返った。
――そこには、最悪の異形が迫っていた。
頭上の暗雲から降りてきたのは、真っ黒で硬そうな巨大な羽根を広げた、顔だけが真っ黒な馬の怪物だった。
だが、額には禍々しい角が三本も突き立ち、さらにその額の中央には、ぎょろぎょろと蠢く巨大な『第三の目』が赤く見開かれている。
極めつけは、胴体から生びた不気味な腕と脚だった。それは人間のような形をしているものの、長さが異常で、人間の比率から言えば二倍は優にあるほど細長く伸びきっている。
そして、その長い両手の先には、死神のような巨大な鎌の武器が備わっていた。
「おっかしい~なぁ。前あいつを見た時はさ、もっと小さくて白い子馬で、角も一本だし羽根も生えてて、めちゃくちゃ可愛かったんだよぉ。
殺すなんて可哀想すぎたからさ、角だけちょっと切らせてもらって逃がしてあげたんだけどな~」
「何のんきに昔話してんだよ!! どうすんだよ、これ!!!」
トニーの絶叫が、暗い森の中に虚しく響き渡った。
――その時だった。
上空の不気味な魔物の全身から、禍々しい漆黒の光が放たれた。
それはあまりにも一瞬の出来事だった。
三人は光を目撃したと同時に、凄まじい爆音と凶悪な衝撃波を全身に浴び、それぞれ全く違う方向へと弾き飛ばされてしまった。
トニーには、自分の身に何が起こったのか一瞬分からなかった。
気がつくと地面に叩きつけられて倒れていたため、急いで体勢を立て直そうと上体を起こした。
だがその拍子に、胸と背中にズキリと焼けるような激痛が走り、思わず苦悶の表情を浮かべる。
「くそ……骨が何本か折れているかもな……」
最悪の状況を把握するため、自分に言い聞かせるように力なく呟いた。
周囲には、まだ先ほどの爆風による砂煙がいくらか残っていた。視界が晴れるにつれて、目の前に広がった光景にトニーは激しく息を呑む。
魔物はまだ天空の遥か高い位置に留まり、その場を微動だにしていないように見えた。
それなのに、魔物の真下に広がっていたはずの鬱蒼とした森の木々が、跡形もなく綺麗に消し飛び、まるで最初から何もなかったかのようにただの土の盛り上がりへと化していたのだ。
「なんなんだよ、このデタラメな力は……」
掠れた声がした方を見ると、すぐ隣でフランが激しく咳き込みながら、泥にまみれて起き上がるところだった。
トニーはさらに状況を確認するため、鋭く辺りを見回した。少し離れた場所の茂みに、折れ曲がった黒い大きな羽根が見えた。カイトの居場所はそこだと分かった。
また、倒壊した森の奥に不自然に白い獣の塊が倒れているのが見えた。おそらく、アーサーもあの爆風に巻き込まれてあそこにいるのだろうと予測がついた。
フランは足元をよろめかせながらも、泥を払って立ち上がり、ゆっくりと自分の剣を引き抜き始めた。
「僕は……汚れることや、気持ち悪いものが大嫌いなのに。あんな醜悪なバケモノ、目に入れることさえ耐え難いのに……!」
「フラン……!! お前、正気か!? 本気であれとやり合うつもりなのか!?」
トニーは身体の激痛に顔を歪めながらも、自分の剣を杖代わりに地面へ突き立て、ゆっくりと泥を這いずるようにして立ち上がった。
けれど、隣にいたはずのフランは、トニーの制止も聞かずにすでに前方に歩みを進めていた。その金色の髪は泥まみれになりながらも、その澄んだ青い瞳には凍りつくような戦意が宿っている。
「逃げ回ったらどうなるか、今痛いほどよく分かったでしょう!? 一回起こったことは、また何度でも起こる!!
同じことを繰り返して、こうやってただ傷を増やしていくだけじゃないですか!!」
「だが、俺たちの力では……あんな化け物相手に……!」
トニーの弱音を待つことなく、フランは前を睨みつけたまま、強く、小さく呟いた。
「ただ怯えて、ここで死ぬのを待つなんて、
――そんなの、絶対に耐えられない……!!」




