旅立ちの朝、しばしの別れ
嵐のような話し合いが終わり、部屋には再び静寂が戻る。ゼインは一度外へ出たが、すぐに戻って来た。
その夜は、リオールとしっかりと手を繋ぎ、愛おしい茶色の頭を何度も優しく撫でながら眠りについた。
暗闇の中で聞こえる、リオールの規則的な寝息がとても心地よく、できることならこの音を永遠に聞いていたいと心から思った。
この小さな身体を寝かしつけるつもりが、張り詰めていた緊張が解けたせいだろうか、いつの間にか私の方が先に眠らせてもらっていたようだった。
頼もしい職人たちの瞳。アリアの遺した、優しく輝く至高の杖。そして、私の肩に置かれたゼインの手の温もり。
――もう、迷いも恐怖もない。私たちは、必ず生きてここへ戻ってくる。
翌朝、まだ薄暗い夜明けの光が街を包み込む頃、私たちは街の外れにある開けた崖の上に立っていた。
寝不足のはずなのに、不思議と私の身体は軽かった。
見送りに来てくれたのは、昨夜の老婦人たちと、アイリス。そして、私の服の裾をぎゅっと握りしめているリオールだ。
アイリスを見るなり、思わず彼女の元へ駆け寄った。
「アイリス……! ありがとう、私たちのためを思って死の谷や杖のこと……」
そこまで言うと、言葉に詰まってしまう。
アイリスは、私と同じように瞳を潤ませながら口を開く。
「いや、こちらこそ、長老が嫌な思いをさせて申し訳なかった。
危険を承知で、この国のために死の谷へ行ってくれるなんて、何とお礼を言ったらいいのか……」
私は微笑み、アイリスへ手を差し出した。
アイリスはそれをとり、私たちは固い握手をした。
もう、これ以上私たちに言葉はいらない。
これで十分。
温かいアイリスの体温が伝わってきて、それが勇気を駆り立ててくれた。
「メアリー、ゼイン、ナターシャ……絶対に、絶対に帰ってきてね」
リオールはもう泣いていなかった。しっかりと自分の足で立ち、泣き腫らした目をまっすぐこちらに向けて微笑んでいる。その姿があまりにも愛おしくて、私は彼の頭を何度も優しく撫でた。
「うん、約束する。ここでみんなと、新しい剣と一緒に待っていてね」
「任せなさい。この杖をもらった私が、二人を傷つけさせるわけないでしょ?」
ナターシャが不敵に笑い、アリアの杖を天高く掲げた。
彼女が精神を集中させると、杖の先端から、かつてないほど濃密で清らかな魔力の奔流が空へと放たれる。
「――応えなさい、天空の王! 我が声の元へ集え!!」
ナターシャの凛とした声が響き渡った直後、頭上を覆っていた朝焼けの雲が、凄まじい風圧とともに割れた。
グオオオオオオオオオンッ!!!
鼓膜を震わせるような、地鳴りのような咆哮。
雲の隙間から姿を現したのは、以前私たちが見たものよりも一回りは巨大な、美しい純白の鱗を持つドラゴンだった。巨大な翼が羽ばたくたびに、周囲に激しい突風が吹き荒れる。
お婆さんたちが「おお……」と畏怖の声を上げるなか、ドラゴンは静かに崖の前に着地し、私たちを乗せるようにその巨体を低く伏せた。
「行こう、メアリー」
ゼインが私の手を引き、ドラゴンの背へと軽やかに飛び乗る。続いて杖を握りしめたナターシャが乗り込み、最後に私は、地上で見上げるリオールとアイリスに大きく手を振った。
「行ってきます!!」
ドラゴンの力強い翼が、地面を強く蹴り上げる。 一瞬で身体が宙へと浮かび上がり、眼下に広がる魔道具の国が、みるみるうちに小さくなっていった。
目指すは、生きて帰った者はいないという未踏の地
――【死の谷】。
新しく手に入れた絆と希望を胸に、私たちの戦いが、再び幕を開けた。




