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見合い結婚とはかくありき 〜子爵令嬢は、偽りの肖像画に真実の愛を見出す〜  作者: 阪 美黎


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見合い結婚とはかくありき(3)『夜会と恋』

 朝霧宮邸の夜会は家格の高い貴族たちも顔を揃えて、とても華やかな様相を呈していた。

 洒落た軽食に、質の良い室内装飾、確かな腕の楽団と、皇家に連なる家柄らしい豪奢さに撫子は目を輝かせ、あやめは少し気後れした。

 桃色のドレスを身につけた撫子は華やかな顔立ちも相まって、人々の視線を集めて誇らしげにしている。

 あやめはといえば、自身を象徴するような菖蒲色のドレスに銀のビーズで装飾された控えめながら上品な装いに合わせて、長い黒髪を花で飾る。

 社交に忙しい両親と離れ、あやめは開放されている休憩室から繋がるバルコニー際に立つ。

 広間で壁の花になっていると、どこかの令息に声をかけられてしまい、それどころか何故か数人に囲まれて競うように謎かけをされてしまうからだ(とはいっても、撫子がすぐに横槍を入れに来て彼らは散らされるのだが)。

 こうして人気を避けて休憩室にいても、周囲では大人たちを介して若い男女が顔合わせする場面に出くわす。

 夫婦だけではなく年頃の娘や息子を伴っての夜会は、見合いの場としても機能する。

 社交場で許嫁とはじめて顔を合わせるということは珍しくはなく、夜会をきっかけにして恋仲になる男女もある。深層育ちの令嬢のほとんどは、夜会に恋物語を期待し、少なからずロマンチックな想像を巡らせるものだ。

 元々華やかな場が得意ではないあやめは、これまでも撫子の影にかくれているくらいが丁度よく感じていた。お姫様気質を発揮する妹を横目に、彼女は庭を眺めて終わるという夜会を繰り返してきた。

 でも、今は違うわね。

 あやめは小さく息を漏らす。

 正式に婚約をしているわけではないが、暁宮恒一皇子と文を交わす身としては、以前にも増して男性から声をかけられることに困り果ててしまうからだ。

 あやめは両手に目を落とした。

 舶来物の白い繊細なレースの手袋は、皇子に贈ったハンカチへの返礼の品。

 まるで恋人にするような贈り物だったことに後から気づいて、軽率さに羞恥してしまったが……こうして夜会用の手袋をさりげなく贈り返してくれた優しさにあやめは救われた気分だった。

 お手紙だけではなくお会いして、お話しできたらいいのに。

 そのように考えて、顔をあげる。

「……お会いしたいの……?」

 浮かんだ感慨に自分自身が戸惑う。

 もしかして、私は寂しいの?ここで殿下とお会いできないことが……寂しいと感じているの?

「お会いしたいと思っているのだわ。私は……殿下と……」

 肖像画と手紙でつながっているだけの間柄の、その先を自分が望んでいることに戸惑いながら贈り物のレースの手袋越しにそっと胸を抑えると同時、頬に風を感じる。

 風に乗って、白檀の中に仄かな梅の香りが鼻を掠めた。

 その香りは皇子のくれる手紙の香りそのもので、誘われるまま顔をそちらに向けると、頭ひとつ高い位置から彼女を見下ろす青年の視線とぶつかる。

 艶やかな黒髪を後ろに流して、すっきりと整った美貌を惜しげもなく晒し、細身の礼装を隙なく纏った彼は、口元に微笑を浮かべた。

「こんなところでひとり風に当たって、待ち人来ず、かな……?」

 柔らかな口調で尋ねられる。

「え……?」

 にわかに頭が混乱する。

 この青年からさりげなく漂う香りは、彼女の知る限り、ただひとりのもの。

「ご令嬢、私と一曲踊っていただけませんか?」

「い、いえ……わ、私は……」

 断らなくては。けれど、何故かうまく言葉を紡げない。

「短い夜会は、一夜の夢と同じ。少なくとも今の私とあなたにとっては……。躊躇いなど捨ててしまいなさい。さぁ、アイリスの君」

「……あ」

 何故、その名を……?!

 女学校での呼び名を知る人は少ない。異性に晒したのは……文通の彼にだけ。

 彼女の返事を待つことなく、青年はあやめの手を取り円舞曲(ワルツ)が満ちる広間へと連れ出される。

 強引ではないが正確なリードであやめは彼と踊り始める。

 あなたは誰なの……?どうして私を知っているの……?

 瞳で問いかけても、青年の深く澄んだ眼差しに溶かされてしまう。

 次第にこれが異性と踊るのは初めてあることや、この青年の正体を問いかけることも忘れて、熱にうかされるようにして見つめ合い、ただ踊る。高鳴る胸と震える唇の理由もわからぬままに。

 一曲が終わると、青年は彼女から手を離し、微笑むのだ。

「その手袋、あなたによく似合っている」

「……っ」

「お相手をありがとう。……では」

 彼は黙礼をすると身を引いて、賓客たちに紛れて足早に去った。

 あやめはただ呆然と立ち尽くし、消えた彼の後をなぞるように視線を彷徨わせた。

 先ほどまでは鼻先で感じていた青年の体温や香りは、今はもう遠い過去のように薄れる。

「……あの方は……」

 まさか……?

 呟きが言葉になる前に、撫子が興奮気味に近づいて来た。

「お姉様、先ほど踊っていた殿方はどなたなの?!私を差し置いてお姉様を誘うなんて!ぼんやりしていないで、教えてくださいませ!」

 急かす撫子にあやめは首を横に振る。

「……わからないわ」

「え?」

「わからないの……私にも……」

 心臓が早鐘を打つ。

 胸の震えを落ち着かせる術が見つからない。

 珍しく動揺している姉の様子に怪訝になりながらも、「何よ!お姉様の役立たず!」と撫子は悪態をついて青年を探すように彼女の傍から離れていった。

 踊りの輪に取り残されながら、あやめは皇子より贈られ、未詳の青年が褒めたレースの手袋を見つめるだけだった。



 それからしばらく、両者の間で手紙のやりとりは途絶えた。

 あやめは贈られたレースの手袋と、肖像画とを眺めては、やるせなくため息を漏らすのだ。

 女学校でも物憂げな様子のあやめを見かねて、茉莉子が声をかける。

「〝アイリスの君は麗しい殿方に恋煩い〟」

「え?」

「……そう下級生たちが噂していてよ?」

「……っ……こ、恋煩いだなんて……」

 思わぬ指摘にあやめは目を泳がせる。

 恋?だとしたら、誰に……?

 夜会で出会った青年のことを考えると皇子の手紙の香りと重なり、彼女を悩ませた。

 この落ち着かない気持ちや、切なさ、焦燥感が恋というものであるなら……それは夜会の青年なのか、皇子になのか……わからなくなる。

「そうやって困ったお顔をなさっているあやめさんは、以前よりも可愛らしく見えましてよ」

「……揶揄わないでくださいませ」

「いいえ、本心ですわ。あなたが羨ましいくらい」

 親の決めた結婚をするのが常の世で、多くの令嬢は恋を知らぬまま嫁ぐ。茉莉子もそれに近い。

「茉莉子さん……」

「ふふ……少し意地悪でしたわね。でも、そのお気持ちが恋であるなら、大事になさって。私たちには、なかなか持ち得ぬ一生の宝物なのですから」

 茉莉子はそっとあやめの手を握って諭すように告げると、あやめは彼女の言葉を反芻しながら、小さく頷いた。

「……ええ、ありがとう。茉莉子さん」

「その殿方が、件の方であることをよいのですけれど」

 茉莉子は茶目っ気を持たせながら笑う。

 彼女が友人であってくれてよかったと、あやめは心を温かくさせたのだった。


第3話もご覧いただきまして、ありがとうございます。

社交場であやめさんに近づこうとする男性は、ことごとく撫子さんに邪魔されてしまうので、実は妹が姉を守ってる説がまことしやかに流れている……かもしれない(笑)。

「強い!撫子包囲網、強過ぎる!」……みたいな?

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