熟語の誤用と読者認識
小説を書く上で、難しい言葉を使うことが多々あると思います。
そのたびに辞書を引いて、正しい意味として使うように気を付けているとは思いますが、知っている単語でも結構誤用しているケースというのが結構あります。
有名なのは「爆笑」という意味。本来は「大勢で笑うこと」という意味なのですが、「大笑いすること」という意味で使っている人が結構いると思います。他にも「姑息」という言葉は「一時しのぎなこと」であり、「卑怯なこと」という意味で誤用されることがあります。
では、例えばこのような文章があったとき、読者はどのようにとらえるでしょうか。
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トモはいつもバカな話ばかりしており、タマコは失笑した。
「もう、トモったら、いい加減にしてよ」
※登場する人物は架空の人物です。そういうことにしておいてください。
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この文章にある「失笑」は、正しくは「思わず笑ってしまうこと」であり、「あざ笑うこと」や「あきれること」という意味ではありません。
もしこのことを知っている読者がいれば、「タマコはトモのバカの話が面白くて仕方ないんだな」と感じることでしょう。
ところが、もし「失笑」の意味を誤用の方でとらえている読者は、「タマコはトモの話が面白くなくてあきれてるのか」と感じるでしょう。
いくら筆者が正しい意味で使っていても、読者が正しい意味を知らない、あるいは正しい意味でとらえていないと、筆者が意図した表現と異なる表現だと思ってしまうわけです。
言葉の意味と言うのは、時代によって変わっていくもので、今まで使っていた言葉の意味が、少し経つとまったく別の意味になってしまうことはよくあることです。
例えば「ありがたい」という言葉は、今では感謝の言葉として使用されていますが、昔の意味(あるいは語源)は、「めったにないこと(有難い)」という意味です。
実際、最初に例に挙げた「爆笑」という言葉は、現在では「一人で大笑いすること」という意味でも使用されており、あながち「完全な誤用」とは言い切れなくなっています。
前回の「読者層」の話にも関係しますが、こういった誤用が広まっていそうな言葉と言うのは、読者層によって使用するかどうかを考える必要があるかもしれません。
例えば、想定読者層の年齢が高く正しい意味でとらえる人が多いと思われる場合(実際はそうではないかもしれませんが)、正しい意味でその熟語を使うのが適切かもしれません。しかし、ライトノベルのように中高生が想定の読者層であれば、あえて誤用の意味で使用する、というのもアリなのかもしれません(ただし、出来れば会話文で使用し、正しい意味を補足した方がよいでしょう)。
言葉の正しい意味を知ることは、正しい文章を書く手段ではありますが、正しい文章が必ずしもすべて相手に正しい意味で伝わるとは限りません。
もしも自分が表現したいことを、確実に伝えたい場合であれば、誤用が想定される言葉を用いずに別の表現を用いた方がよいかもしれません。
伝えたいことが伝わらなければ意味がありませんから。