第5話 最後のページ
神社へ着いたときには、すでに何人か人が集まっていた。
宮司。
氏子総代らしい老人。
そして駐在所の警察官。
宝物庫の前には黄色いテープが張られている。
「盗まれたんですか」
僕が尋ねると、宮司は青い顔で頷いた。
「今朝確認したら……」
「鍵は?」
「壊されていません」
つまり。
鍵を持つ人間の犯行か——あるいは鍵を開けられる人間の犯行、そのどちらかだ。
警察官は現場を調べている。
だが盗難届として処理されるだけだろう。
そもそも人魚帳の存在自体が公になっていない。
「誰が知っていたんです?」
夏乃さんが尋ねた。
「帳簿の存在です」
宮司は少し考えた。
「私と高瀬さん」
「他は?」
「ほとんどいません」
僕は顔をしかめた。
昨夜の時点では確かにそうだったかもしれない。
しかし。
「相沢さんは知っていた」
「ええ」
「そして僕たちも知った」
「……そうですね」
つまり情報は漏れている。
問題は誰から漏れたのかだった。
◇◇◇
宿へ戻る途中。
僕たちは整理を始めた。
「宮司」
夏乃さんが指を一本立てる。
「高瀬」
二本目。
「漁協」
三本目。
「今のところ怪しいのはこの辺りだ」
「宮司さんもですか?」
「当然だ」
夏乃さんは即答した。
「帳簿を管理していたんだからな」
確かに。
疑いたくはない。
だが疑うべき立場ではある。
「でも」
僕は首を傾げる。
「盗む理由がありますか?」
「ある」
「何です?」
「中身を見られたくない」
それだけだ。
シンプルな動機だった。
だからこそ厄介でもある。
◇◇◇
昼過ぎ。
僕たちは町立図書館にいた。
目的は相沢修司の足跡を追うためだ。
図書館員に話を聞く。
「相沢さんなら覚えていますよ」
女性司書は言った。
「毎日のように来ていましたから」
「どんな資料を?」
僕が尋ねる。
「古新聞ですね」
「古新聞」
「明治時代から昭和初期まで」
夏乃さんと顔を見合わせる。
やはり。
何かを追っていた。
「気になる記事でも?」
「ええ」
司書は頷いた。
「海難事故です」
また海難事故だった。
「ずいぶん熱心に調べていましたよ」
「何件くらいです?」
「数十件は」
数十件。
それは異常だった。
伝承調査としては多すぎる。
「何か共通点は?」
すると司書は少し考えた。
「確か……」
やがて口を開く。
「若い男性だったと思います」
「若い男性?」
「ええ」
僕はメモを取る。
「海で亡くなった人たちです」
その瞬間。
違和感が生まれた。
なぜ若い男性ばかりなのだろう。
◇◇◇
その答えは意外な場所にあった。
高瀬の家である。
「若い男?」
高瀬は眉をひそめた。
「ああ」
「何か知っているんですか」
老人はしばらく黙った。
そして。
「人魚だな」
そう言った。
「人魚?」
僕は聞き返す。
「本当の意味での人魚だ」
「伝承の?」
「そうだ」
高瀬は煙草を揉み消した。
「昔から言われていた」
「何をです?」
「海に魅入られた男は連れていかれる」
聞き覚えのある話だった。
全国各地に類似例がある。
人魚。
海女。
磯女。
名前は違っても構造は同じだ。
海の女に誘われる。
そして死ぬ。
「民俗学ではよくありますね」
僕が言うと、高瀬は頷いた。
「だがこの町では違う」
「違う?」
「連れていかれた男には共通点があった」
その言葉に反応する。
「共通点?」
「秘密を知った人間だ」
部屋が静まり返った。
◇◇◇
「昔からだ」
高瀬は続けた。
「余計なことを知った奴が死ぬ」
「事故じゃなく?」
「事故もあったろう」
老人は言う。
「だが全部じゃない」
その目は真剣だった。
「相沢だけじゃない」
「他にも?」
「いた」
高瀬は即答した。
「昭和にもいた」
「平成にもいた」
「そして令和にもいた」
ぞっとした。
もし本当なら。
これは単発の事件ではない。
何十年も続いていることになる。
「誰が?」
僕は尋ねる。
「誰が殺していたんです?」
高瀬は首を振った。
「知らん」
「本当に?」
「ああ」
しかし——その表情は何かを隠しているようにも見えた。
◇◇◇
宿へ戻ったのは夕方だった。
僕は部屋で資料を広げる。
そして整理を始めた。
人魚伝説。
密漁。
遭難記録。
人魚帳。
相沢修司。
点と点を繋いでいく。
すると。
あることに気付いた。
「夏乃さん」
「何だ」
「これです」
僕は新聞記事を見せた。
一つ目は、明治三十六年。
海難事故の記事。
死亡者は二十四歳。
そして、二つ目。
昭和十二年の記事。
死亡者は二十六歳。
三つ目、平成九年。
二十九歳。
そして——相沢修司。
三十一歳。
「若い男ばかりです」
「……」
「しかも」
僕は続ける。
「みんな調査をしている」
教師。
新聞記者。
郷土史家。
そして相沢。
職業は違う。
しかし共通点がある。
全員が——人魚伝説を調べていたということ。
「偶然ではありません」
僕は言った。
「当然だ」
夏乃さんも頷く。
そして窓の外を見た。
海が夕日に染まっている。
「洋平」
「はい」
「相沢は何を見つけたと思う?」
僕は考える。
そして答えた。
「最後のページです」
「私もそう思う」
人魚帳の最後。
そこには何かがあった。
相沢はそれを見た。
だから死んだ。
そのときだった。
部屋の電話が鳴る。
僕は受話器を取る。
「はい」
すると。
知らない男の声が聞こえた。
『調べるのをやめろ』
一言だった。
低い声。
感情のない声。
『人魚は海へ帰る』
そして。
電話は切れた。
僕は受話器を握ったまま固まる。
「誰だ?」
夏乃さんが聞く。
「分かりません」
僕は答えた。
「でも」
「でも?」
「相手は僕たちを見ています」
部屋の空気が冷たく感じた。
窓の外には港町の夜景。
そのどこかに。
人魚帳を盗み。
相沢修司を死に追いやった人間がいる。
そしてその人物は。
僕たちが真相へ近付いていることを知っているのだった。




