表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夏乃さんと魑魅魍魎の謎  作者: 巫 夏希
第四話 人魚帳

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

27/33

第4話 人魚帳

 帳簿に書かれていた日付を見て、僕は言葉を失った。

 これは、江戸時代の密漁記録――そんな話だと思っていた。

 ところが違う。

 紙に記されていた日付はつい先日のものだった。


「……冗談ですよね?」


 僕は呟いた。

 夏乃さんは落ちていた紙を懐中電灯で照らしている。


「冗談なら、有難いがね」


 そう言いながら紙を裏返した。

 そこには数字と人名らしきものが並んでいた。

 しかし途中で破れている。

 全体は分からない。


「帳簿の一部ですね」

「ああ」

「ということは」

「今も誰かが書いている」


 海風が吹く。

 船のマストが軋む音が聞こえた。

 どこか不気味だった。

 百年以上前の秘密が――時を経た令和の今でさえも、今も続いている。

 その事実が現実味を持ち始めていた。



◇◇◇



 翌朝。

 僕たちは町役場を訪れていた。

 目的は相沢修司について調べるためだ。

 もちろん個人情報は簡単には教えてもらえない。

 しかしながら――田舎町というものは意外と情報が回る。

 少なくとも宿の主人が紹介してくれた職員は協力的だった。


「相沢さんですか」


 四十代くらいの男性職員が言った。


「確かによく見かけました」

「どんな人でした?」


 僕が尋ねる。


「熱心な人でしたよ」


 職員は思い出すように言った。


「町史も読んでいましたし、漁協にも出入りしていました」

「漁協に?」

「ええ」


 その言葉に反応する。

 漁業協同組合。それは、現在の漁業を管理する組織だ。

 もし密漁が続いているなら、無関係とは思えない――そんな気がしてならない。


「誰か親しくしていた人は?」


 夏乃さんが尋ねた。

 すると職員は少し考え込んだ。


「そうですね……」


 やがて口を開く。


「高瀬さんでしょうか」

「高瀬?」

「元漁師です」


 その名前をメモする。


「今は引退していますが、この町では顔役みたいな人ですよ」



◇◇◇



 高瀬の家は港から少し離れた場所にあった。

 古い木造住宅だった。

 庭には漁網が干されている。

 引退したとはいえ、海との縁は切れていないらしい。

 呼び鈴を鳴らす。

 しばらくして老人が出てきた。

 七十代後半だろうか。

 日に焼けた顔。

 太い腕。

 一目で漁師だと分かる。


「誰だ」


 低い声だった。


「少し話を聞きたいんです」


 僕は名刺代わりに大学名を伝えた。

 すると。

 高瀬は露骨に嫌そうな顔をした。


「大学?」

「民俗学を研究しています」

「帰れ」


 即答だった。


「え?」

「帰れと言った」


 そして扉を閉めようとする。

 だが、


「人魚帳についてだ」


 夏乃さんが言った。

 閉めようとした、扉が止まる。

 明らかに、空気が変わった。


「……誰から聞いた」


 低い声。

 さっきとは違う。

 警戒の色が混じっていた。


「相沢さんだよ」


 もちろん嘘だった。

 死人は喋らない。

 しかし高瀬は動揺した。


「……馬鹿な」

「相沢さんは何を見つけた?」


 夏乃さんが続ける。

 高瀬はしばらく黙っていた。

 やがて、


「入れ」


 ――そう言った。



◇◇◇



 居間には古い写真が飾られていた。

 漁船。

 大漁旗。

 そして若い頃の高瀬。

 典型的な漁師の家だった。


「人魚帳は実在する」


 高瀬は開口一番そう言った。


「やはり」


 夏乃さんが頷く。


「だが密漁帳簿なんてものじゃない」

「違うんですか?」


 少し予想外の返事が返ってきたので、思わず目を丸くしてしまった。


「半分だけ正しい」


 高瀬は煙草に火を付けた。


「昔は密漁記録だった」

「……昔は?」


 随分と思わせぶりな言葉だった。


「だが戦後に役割が変わった」


 僕は眉をひそめる。


「どういう意味です?」

「遭難者だ」


 僕は思わず聞き返した。


「遭難者?」

「海で死んだ人間の記録だ」


 高瀬は静かに言った。


「事故もある」

「はい」

「自殺もある」

「はい」

「そして…………、殺された人間もある」


 部屋が静かになった。


「なぜそんなものを?」


 僕が尋ねる。

 高瀬は窓の外を見た。

 海が見える。


「昔はな」


 老人は言う。


「警察なんてすぐには来なかった」


 それは理解できた。

 今ほど交通も通信も発達していない。


「だから町で管理していた」

「管理?」

「記録だ」


 誰が死んだ。

 どこで死んだ。

 何があった。

 そうした情報を残していたらしい。


「人魚帳は海の死者名簿なんだ」


 僕は言葉を失った。

 予想していたものとは違った。

 だが、それなら説明できる部分もある。


「相沢さんは何を見つけたんです?」


 高瀬は顔をしかめた。


「聞いた」

「何を」

「帳簿の最後のページだ」


 その言葉に夏乃さんの目が細くなる。


「最後のページ?」

「見ちゃいけなかった」


 高瀬はそう言った。


「なぜです?」

「最近の死者が載っていたからだ」


 僕は嫌な予感を覚える。

 まさか――。


「最近?」

「相沢の名前もな」


 背筋が凍った。



◇◇◇



 宿へ戻る道中。

 僕は何度も高瀬の言葉を思い返していた。

 相沢修司。

 死ぬ前から帳簿に名前が載っていた。

 そんなことがあるだろうか。


「予言じゃあるまいし」


 僕が言う。

 夏乃さんも頷く。


「当然だ。世の中には様々な風習や因習は存在する……。しかし、それは科学的に説明がつくものばかりだ。残念ながらと言って良いのかどうかは、正直何とも言えないがね」

「なら……、」

「誰かが書いた」


 それしかない。

 つまり、相沢が死ぬことを知っていた人物がいる。


「犯人でしょうか」

「まだ分からないね。情報が少な過ぎる」


 夏乃さんは肩を竦めて、そう言った。


「だが重要なのはそこじゃない」

「どこです?」

「帳簿を管理している人間だ」


 確かにそうだ。

 その人物なら。

 過去も現在も知っている。

 相沢が何を見つけたのかも。

 そして。

 相沢が誰に会っていたのかも。

 そのときだった。

 夏乃さんのスマートフォンが鳴る。

 画面を見ると、発信者は宮司だった。


「どうした」


 夏乃さんが出る。

 しかし。

 次の瞬間。

 彼女の表情が変わった。


「何だって?」


 声が低くなる。

 僕は嫌な予感を覚えた。

 電話はすぐ終わった。


「夏乃さん?」


 彼女はゆっくりスマートフォンを下ろした。


「神社だ」

「はい」

「人魚帳が盗まれた」


 僕は立ち止まった。

 海風が吹く。

 遠くでカモメが鳴く。

 しかし。

 そんなものは耳に入らなかった。

 事件は――今この瞬間に動き始めたのだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ