その20『懐かしい家族』
ある日、ベルがディアナ王女の書斎の掃除をしていたときのこと。
書き物机の上に置いてある書類に何げなく目が留まった。
一番上に
『婚約誓約書』
とあり、
『ディアナ王女殿下と、下記に署名する者は、婚約にあたり、以下の条件に合意するものとする。
第一条 婚約者は王女殿下の名誉を損なわぬこと。
第二条 婚約者は王女殿下の居住地および生活に関する決定を尊重すること。……』
難しい文言が続き、書類の下端には日付と署名欄がある。
署名の欄は空白。
ん?
婚約する相手は、まだ決まっていないの? それなのに、誓約書だけ用意しているなんて……
掃除の手を止めてジッと考え込んでると、書斎に誰かが入ってきた。
「君、ここはもういいから別の部屋を掃除してくれ」
顔を上げると、魔法使い専用黒ローブ姿の中年男性。
胸の紋章には『王室専属顧問魔術師L.L』とある。
きっとディアナ王女専属顧問魔術師ね。
そして片手で水晶玉を持っている。
あの水晶玉は何?
確か、魔法使いは水晶玉で離れた場所を見ることができるって聞いたことがある。
水晶って、離れた場所の人と『念話』する時も使うし、なにかと重宝ね!
でも使えるのは魔力がある人だけ。
水晶玉を見つめずにはいられなかった。
あれがあれば、遠くの景色を見ることも、誰かと念話をすることもできる。
いいなあ……。
私には、一生手に入らないものなのに。
「早く行けっ!」
「はい」
大声で命令され、ビクッと飛び上がりつつ応えて、ベルは別の部屋へ移動した。
◇
その日の午後、いつものようにディアナ王女に居間に呼び出された。
王女のすぐ後ろに、さっきの王室専属顧問魔法使いL.Lが立ってる。
王女がコルク栓つきのガラスの小瓶をテーブルにコツンと置いた。
中には透明の液体が入ってる。
意地悪そうにほほ笑み
「これを今日のきっかり15時に将軍に飲ませなさい。」
え?
突然何を言い出すの?
キョトンとして
「あの…どうやって飲ませればいいんですか?」
王女は飲み込みの悪い私に舌打ちせんばかりに
「将軍宅を訪れて、紅茶か何かに混ぜればいいのよ!
それくらいできるでしょっ!」
「……はい。
でもなぜ私が?」
王女様が入れればいいのに。
私に入れさせる理由は何?
……まさかっ?!
嫌な考えが頭をよぎる。
「ど、毒ですかっ?!それならお断りします!」
ディアナは目を細め意地悪そうな笑みを浮かべた。
「そんなんじゃないわよ。当たり前でしょ?
健康のための栄養ドリンクよ」
ん?
ならますます疑問。
「……」
上目遣いで探るように見てると、ディアナはため息をつき
「お前は軍事情報を一緒に偽造するぐらい将軍と仲がいいんだから、お前からもらった方が将軍も嬉しいでしょ?」
ベルは目を見開いた。
そうだっ!
私が王女に手渡した軍事情報が偽物だってとっくにバレてたんだっ!
でも一応無実のフリをしないとっ!!
焦ったベルは両手を前で振り必死で言い訳を開始する。
「軍事情報の偽造? そ、そんな……」
「もういいわよっ!
今日はこれを将軍に飲ませるのよっ!」
コンッコンッ!
と小瓶をテーブルに打ち付けて決断を迫る。
ギロッと睨みつける。
あ、やっぱり、怒ってらっしゃいます?
ベルはそれでもモゴモゴと
「でも……万が一、体に悪いものだった場合、将軍は、国にとっても大事なお方ですし。
私も疑われて、牢屋に入れられたりしたら、王女様にお仕えすることもできませんし……。」
ディアナはしびれを切らした。
鼻息荒くバッと振り返り、後ろにいる魔法使いL.Lに
「レオン。
アレを見せなさい。
向こうと念話でつないで、この子に聞かせなさい。」
レオンと呼ばれた男は
「はっ!」
と短く答え、水晶玉を片手で持ち、呪文を唱える。
透明な水晶の球面の中に、白い煙のようなものが渦巻いた。
煙が全体に広がり白く濁る。
レオンが呪文を言い終えると白い濁りがスッと消え、木々や畑に囲まれた田舎の風景が水晶玉の球面に映った。
レオンが水晶玉をベルの目の前に差し出した。
ベルは水晶玉からレオンへ視線を移すと、レオンはうなずいた。
見ろってことね?
あれ?これって…たしか、見たことのある景色……どこかしら?
「あっ!私の家の前ね!」
ベルは一瞬でテンションが上がった。
「あっこれ、家の前にあるリンゴと楡の木です!全然変わらないっ!」
水晶玉の映し出す風景に夢中になって声を上げると、ディアナがチッと舌打ちした。
ベルは身を硬くして口をつぐんだ。
でも、実家の思い出が次から次へと頭の中に湧いてくるのは止められない。
わ~~~!古いレンガの壁に木の扉、それに煙突から煙が出てる!
燃える薪の煙とスープの匂いを嗅いだような気がした。
ジンと胸の奥が温かくなる。
ん?誰かいる?
水晶玉をよく見ると、扉の前に父さんと弟と妹が並んで立っている。
「わぁ!みんな久しぶり!元気にしてる?」
思わずベルは大声で話しかけた。
聞こえるかどうかも気にせず、手を振りながら。
5歳の妹はジッとしていられず、急にカクンッとしゃがみこんだ。
8歳の弟がお腹に手を当て
「姉ちゃん!お腹すいたよ~~~!帰ってきてよぉ~~」
弱々しい声を出すと、横に立ってる父さんが弟の肩を掴んで揺さぶった。
「ダメだっ!そんなこと言うんじゃねぇ!
おいっ!ベルっ!王女さまの言うことをちゃんと聞くんだ!
オレたちの生活はお前にかかってる。
しっかり働いて給金を送ってくれ!」
厳めしい顔つきで言い放った。
ベルは自然と目頭が熱くなった。
弟はお腹を空かせてるんだ。
妹は美味しいものでないと食べないから、元気がないのかもしれない。
父さんは……まだ怪我が治ってないのよね?
潤んだ目元を指で拭い
「うん。わかった。父さんたちも元気でね!
ビルとボニーに、ちゃんとしたものをたくさん食べさせてあげてね!」
話しかけて手を振った。
弟妹にお腹いっぱい食べさせてあげたい。
頑張るしかない。
私がしっかりして、給金をちゃんと送らないと、家族が暮らしていけなくなる。
ベルが水晶玉に一生懸命話しかけ手を振り続けてると、レオンが
「お前の姿と声は向こうには届いていない。
これは数日前、お前の実家でこの水晶玉に刻んだ『時間』だ。」
は?聞こえてないの?
早く言ってよっ!恥ずっ!
赤面したベルが慌てて口をつぐむ。
レオンが呪文を唱えた。
水晶玉の中に再び白い煙が広がり、家族の姿が隠れた。
王女が机の上の小瓶をあごで示した。
「わかった?将軍邸を訪れて、きっかり15時に将軍にこれを飲ませるのよ!
そして16時までには将軍邸から立ち去るのよ!」
わけのわからない命令だけど、弟・妹のために頑張らなくちゃ!
ベルは決意のこもった眼差しで
「はい。やります。
ですので給金をきちんと家族に送ってください。
よろしくお願いします。」
きっぱりとうなずいた。




