【配信5日目】 大会本番! ねむいですが起きてます 【nemui/月乃ほしな/月杜しおり】
『nemui選手。……ねむい? 大丈夫?』
「起きてます」
マイクは切っていたので、もちろん届かなかった。
土曜日。本戦開始まで、あと二十分。
ほしなは参加者一覧を眺めている。僕はその配信を、ゲームと並べて開いていた。
『ちゃんと寝た? まだ寝るには早いよ?』
七時間寝た。
朝ご飯も昼ご飯も食べた。顔も洗った。訓練場では、動く的にも昨日より当たった。
そんなことをすべて無視して、名前が眠がっていた。
登録した日の僕は、もう少し先のことを考えるべきだったと思う。
待機ロビーの文字チャットへ、短く打った。
〈起きてます。よろしくお願いします〉
数秒後、ほしなが笑った。
『起きてた! よかった。こちらこそ、よろしくお願いします!』
椅子の上で、背中が伸びた。
返事をしてもらえた。
普段の配信でコメントを拾われるのとも、少し違う。今、彼女が読んだのは、参加者としての僕の名前だった。
『運営さん、ねむいさん、映せます?』
そこまでは頼んでいない。
配信の画面が、待機場所の様子へ切り替わった。
剃り上げた頭。
白い髭。
やたら立派な肩と、事情を聞いてくれそうな眉。
僕だった。
『あっ、優しそう』
撃ち合いの大会で、最初にもらった評価がそれだった。
〈つよそう〉
〈おじいちゃん〉
〈眉w〉
『この人、道聞いたら一緒についてきてくれそう』
分からなくても、一回は地図を開くと思う。
妙に否定しづらかった。
『ねむいさん、手、振れますかー?』
振れない。
射撃と移動と回復の操作は覚えたけれど、挨拶の操作は練習していなかった。
今から設定を開く余裕もない。
僕は、その場で一度しゃがんだ。
『あ、お辞儀してくれた!』
伝わった。
安心して立ち上がると、すぐ隣の人もしゃがんだ。
その隣も。
正面から走ってきた三人まで、僕の周りに並び始めた。
『ちょっと待って、増えた。みんな律儀』
配信の中で、六人がばらばらの速さで屈伸している。
僕が立てば、隣が座る。
隣に合わせて座ったら、正面の人が立つ。
やめどきが分からない。
〈何これw〉
〈草〉
〈そろわない〉
『はい! そこまで。ほしなが、せーのって言うから揃えるんだよ?』
推しが仕切ってくれた。
『せーの!』
僕はしゃがんだ。
隣は立った。
正面の一人が、空へ跳んだ。
『何するか言ってなかった!』
ほしなが一番大きく笑った。
僕もマウスから手を離して、口元を押さえた。
誰も合わせられなかったのに、なぜか、さっきより緊張が解けていた。
*
待機場所には、いろいろな名前があった。
短い英字。食べ物。読めないくらい長い言葉。
この前のHATCHもいる。
昔の競技で見覚えのある名前も、一つあった。同じ人かどうかは分からない。
その人の近くを通りかけて、足を止めた。
画面の向こうが誰でも、今の僕を知る理由はない。
そもそも、こんな髭は生やしていなかった。
僕は銃のない手元を見てから、少し離れた場所へ移った。
まだ、昔の知り合いに連絡する勇気はなかった。
でも、同じ試合には入れた。
そのくらいで、今日はいいと思った。
『さて! そろそろ、本戦の準備が整ったそうです!』
配信へ目を戻す。
ほしなの隣に、もう一人の立ち絵が並んだ。
長い黒髪に、小さな花簪。薄藤色の袖が、ふわりと揺れる。
『今日は、しおり先輩にも来てもらってます!』
『月杜しおりです。ほしなちゃんと一緒に、皆さんの試合を見届けますね』
月曜日にも聞いた、落ち着いた声だった。
『応援だけのつもりだった先輩に、進行もお願いしちゃいました。よろしくお願いします!』
『はい。皆さんの頑張り、ちゃんとお届けします』
並んだ二人の横には、大会ロゴと九十六人の参加者一覧。
いつもの部屋の背景とは違う。画面の下では、ゲーム会社とREPLINEのロゴが順番に流れている。
コメントも、いつもよりずっと速かった。
しおりが、参加人数から順に案内していく。
『予選を二回勝ち抜いた九十五人と、シークレットゲスト一人。今日は、この九十六人で戦っていただきます』
〈きたー〉
〈楽しみ〉
〈ゲスト誰だろ〉
ほしなが、コメントに答えた。
『ゲスト? もう入ってるよ。誰かは、もうちょっとだけ秘密です』
僕はゲームの一覧へ目をやった。
名前を見ただけでは分からない。
有名な選手だろうか。同じ事務所でゲームが得意な人かもしれない。
『それでは、優勝賞品のご案内を。ほしなちゃん、お願いします』
『はい!』
待ってました、と言いたそうな返事だった。
『優勝賞品は、大会が終わったあと、ほしなとのボイスチャット付きの対戦です。ここは配信されません。運営さんの案内で、お部屋に入ってもらいます』
昨日の夜に練習した言葉が、頭をよぎった。
いつも、配信を見てます。
言えるだろうか。
『あの、最初に言っとくけど、普通に撃つからね?』
〈知ってた〉
〈ですよね〉
〈ご褒美です〉
『そう、ご褒美だから! でも、お話もちゃんとする。せっかく二人で遊ぶんだし』
こちらを向いて、ほしなが笑った。
『いっぱい楽しんで帰ってもらえたら、うれしいです』
僕は、机の端の水を少し飲んだ。
対戦したい相手の話を聞いているだけなのに、もう心拍数が上がっていた。
始まる前から、ずいぶん不利だった。
開始五分前の案内が出た。
『試合中は、私が全体の実況を担当します。ほしなちゃんは、注目選手がいたらコメントをください』
『りょうかいです!』
〈水飲んでね〉
『飲んだ! お手洗いも行った!』
余計な報告もあった。
でも、僕も同じ確認をしたところだったので、笑うだけにした。
『参加者のみんなも、ここで配信は閉じてね。あとでアーカイブ、一緒に楽しみにしとこう』
カーソルを、配信タブの端へ動かす。
最後まで見ていたい気持ちが、少しだけ指に残った。
ほしなが、明るく声を張った。
『それじゃ、みんな! 最後まで、思いっきり――』
クリックした。
声が途切れた。
最後の一言を聞く前に閉じてしまった。
開き直そうとして、手を止める。
それも、あとで聞こう。
スマートフォンも伏せる。音が出ていないことを、もう一度確かめた。
残ったのは、ゲームの音だけだった。
ヘッドホンを掛け直す。
水は、手の届く場所。マウスの周りには、何も置かない。
右手を開き、閉じる。
昔の名前を、入力し直す必要はなかった。
nemui。
ついさっき、ほしなが呼んでくれた名前で、僕は輸送機に乗った。
*
島が見えた。
輸送機の下には、海沿いの大きな町。少し内陸へ行くと、道路が二本に分かれている。
僕が選んだのは、その分かれ道の手前にある、小さな整備場だった。
道路に向かって開いた、平屋の工場。
その向かいに二階建ての事務所。間の舗装された敷地には、古いトラックが止まっている。
建物の裏からは、畑へ抜けられる。大きな町へ寄らずに、内陸へ進める場所だった。
周りを見ながら、落ちていく。
大きな町には、いくつものパラシュートが開いた。
こちらへ来るのは、一人。
僕より、少し低い。
相手は二階建てへ向かっていた。
僕は工場へ降りる。
足が地面へつくより先に、次の操作へ指が動いた。
中へ入る。床を見る。
短い銃身のサブマシンガンと、その弾。
拾って、装填しながら奥へ進む。
ヘルメット。防具。包帯。
離れた場所を正確に撃つには心もとない装備だったけれど、近くなら戦える。
二階建ての窓で、何かが動いた。
僕は作業台の陰へ伏せた。
直後、開いた工場の入口を弾が通った。
工具箱のそばで、火花が散る。
早い。
こちらの窓際まで、一度も走ってこなかった。
僕が武器を拾った頃には、もう出口を見ている。
予選でも、強い人はいた。
今日は、その中でもさらに強い人たちが相手だ。
僕は床を這うのをやめ、壁の陰まで移ってから立った。
工場の裏口を開ける。
畑へ続く道まで、細い通路が一本。
そこへ出かけたとき、向かいの二階で、別の窓が開いた。
戻った。
足元のコンクリートが弾けた。
追いかけてきたのではない。
僕がこちらへ抜けると考えて、窓を変えた。
「……そっちも、見てるか」
声が漏れた。
裏口を閉め、壁へ背を寄せる。
撃たれたせいで、ここへ閉じ込められたのではなかった。
出ていく場所を、先に押さえられている。
二次予選では、僕がそれをやった。
今日は向こうも、同じことを考えていた。
*
――大会公式配信。
『こちらはnanahoshi選手の視点です。早速、UMPとM24スナイパーライフルを拾いました。』
しおりの声に合わせて、観戦画面が切り替わった。
画面には、民家の廊下が映っている。
床に落ちた弾を拾い、部屋へ入り、窓の手前で止まる。一人称の画面が、迷いなく動いていた。
『武器は揃っていますが、もう少し弾が欲しいところでしょうか。……ありましたね。隣のお部屋にも落ちています』
そこへ、ほしなの声が重なった。
『あっ、そのライフル! これ、好きなんですよね』
画面の選手が、床の銃を拾った。
『ほしなちゃんも、よく使っていますね。弾も十分に集まりました』
〈いつもの〉
〈いい装備〉
〈nanahoshiがんばれ〉
『ここでそれ拾えるの、いいなあ。……あ、来た』
窓の外に、人影が走る。
ほしなの声が止まった。
『外に一人。道を渡っています』
しおりが短く伝える。
銃が上がった。
窓の正面で足を止めることもなく、銃口が人影を追った。
向こうが塀へ隠れる直前、サブマシンガンによる連射の最後の一発が届いた。
『よしっ!』
ほしなの声が跳ねた。
倒した通知が出てから、咳払いが一つ。
『……いやあ、今のは、いいですねえ』
『塀に入る直前でしたね。nanahoshi選手、一人目の撃破です』
〈うま〉
〈今ので倒すのか〉
〈ほしなうれしそうw〉
『ふふ。ほしなちゃんの応援にも、力が入っていますね』
しおりはコメントを拾ってから、次の画面へ話をつないだ。
『別の場所でも、撃ち合いが始まっています。整備場の様子を見てみましょう』
カメラが切り替わる。
次に映ったのは、小さな整備場だった。
*
工場の壁の陰で、僕は手元を確かめていた。
短い銃。装填済みの三十発と、予備。
回復は、包帯しかない。
工場の奥には、まだ見ていない部屋があった。
もっといい武器があるかもしれない。
でも、見に戻ったところで、あの窓がなくなるわけではなかった。
僕は入口の横へ寄った。
外に、トラックが見える。
後輪までなら、走って四、五歩。
荷台は十分に高い。陰へ入れば、二階からでも僕の身体は見えなくなる。
そこまで行く。
窓が開いた。
少しだけ身を出し、上がってくる銃へ向けて撃った。
当たったかどうかは、分からない。
ただ、相手は窓の内側へ頭を戻した。
僕は走った。
一歩。
二歩。
後ろで、またガラスが割れる。
肩を叩かれたように、画面が赤くなった。
止まらない。
トラックの後輪へ滑り込んだ。
荷台の縁で、弾が跳ねる。
体力は少し減ったけれど、工場からは出られた。
二階の窓を、下から見上げる。
さっきより近い。
この陰を使えば、道路とは反対側の門へ進める。
そう思って動きかけたところで、事務所の中に足音がした。
窓から、人が消える。
走る音が、低い位置へ移った。
僕は銃を持ち直した。
一階の扉が開いた。
相手は、そのまま飛び出してはこなかった。
戸口から短く撃つ。
こちらが荷台の陰へ戻るのを見てから、トラックの前側へ移ってきた。
僕は後ろ。
相手は前。
間には、車一台。
あっさり門まで逃がしてはくれないらしい。
右へ、少し動く。
向こうから、靴音が一つ。
角を曲がる前に止まると、目の前を弾が通った。
銃身だけ見えて、すぐに消えた。
僕が次に顔を出す場所へ、先に撃っている。
そのまま撃ち合えば、また先に当てられる。
左へ回るか。
でも、足音を立てて一周したら、向こうも合わせてくる。
荷台へ背を寄せ、息を止める。
静かだった。
相手も、僕が動くのを待っている。
画面の下に、タイヤがあった。
その横から、車体の向こうの地面が見えていた。
僕はしゃがみ、さらに伏せた。
視界が、低くなる。
向こう側の前輪。その少し外に、靴が一つ見えた。
照準を下げた。
短く撃つ。
命中の表示。
靴が引っ込んだ。
そこで、立った。
さっきまで自分が見ていた隙間へ、向こうの弾が返ってくる。
今度は左。
後ろの角から身を出した。
相手が、もう銃を上げていた。
気づいている。
僕も撃った。
短い銃身が跳ねる。
近い。
動く相手を、遠くまで追いかけなくていい。
赤くなった画面の真ん中へ、照準を戻す。
向こうの銃声が止まった。
相手が膝を折り、そのまま倒れた。
僕は、すぐに荷台の陰へ戻った。
弾を込め直す。
足音。
別の銃声。
聞こえるのは、離れた町の方だけだった。
そこで初めて、体力を見た。
半分より、だいぶ少ない。
「……危な」
気づかれないまま倒せたわけではなかった。
向こうは下から撃たれたあと、すぐに狙いを戻してきた。
足へ先に当てた分と、近くまで寄れた分。
それがなければ、今の撃ち合いも負けていたと思う。
でも、指は間に合った。
車体の下へ撃ったあと、そこに残らずに立てた。
次の角へ出ながら、照準も戻せた。
練習で何度も遅れたところが、今はつながった。
僕は包帯を使いながら、画面の端を見た。
nemui。
誰かを倒した側に、自分の名前が出ていた。
さっきは屈伸しかしていなかった人間にも、少しは仕事があったらしい。
*
落ちた荷物を確かめるのは、周りをもう一度見てからにした。
ライフルと、その弾。
救急用品。
煙幕が二つ。
必要なものを拾い、トラックの陰へ戻る。
回復が終わるまでの数秒が、さっきの撃ち合いより長く感じられた。
その間に、地図を開く。
最初の安全区域は内陸側。整備場は、円の外だった。
すぐに動けば、間に合う。
銃声の多い町へ寄らず、畑を横切って、林の手前へ。
さらに先には、小さな住宅地がある。
行き先を決めてから、地図を閉じた。
工場の奥の、まだ見ていない部屋が目に入った。
もう、戻らなかった。
これ以上ここへ用事を増やしたら、いつまでたっても帰れない。
そういう仕事は、平日だけで十分だった。
門を抜け、建物に沿って走る。
窓を通るたび、銃口を少しずつ向け直した。
もう誰もいないと決めつけるのは、早い。
畑の畝へ下りたところで、ようやく、整備場が背中側になった。
右上に、HATCHが誰かを倒した通知が出た。
生存者が、八十一人に減る。
あの人も、まだいる。
さっき倒した相手も、ちゃんと強かった。
この先にいる人たちも、二回、五人の中に残ってきた人たちだ。
そして、その中の一人だけが、ほしなと話せる。
僕は林の手前で、一度止まった。
木の陰。奥の斜面。先へ続く道。
見てから、進む。
閉じた配信が、今、どこを映しているのかは分からなかった。
僕の顔も、声も、昔の名前も、あそこにはない。
あるのは、起きているか心配された名前だけだ。
さっき、彼女はそれを呼んでくれた。
もう一度、呼んでもらえるなら。
今度は、一番最後がよかった。




