【配信4日目】 二次予選! 挨拶の準備だけはできています 【nemui/月乃ほしな/月杜しおり】
「いつも、お世話になっております」
違う。
日曜日の朝、僕は録音を止めた。
ほしなと話すとしたら、最初になんと言えばいいのか。
試しに声へ出したら、仕事が始まった。
もう一度、録音のボタンを押す。
「はじめまして。いつも配信を拝見しており――」
止めた。
少しだけ休日になったけれど、まだ取引先だった。
もっと普通でいい。
いつも見てます。応援してます。昨日のトロフィーも保存しました。
そのくらいなら言えるだろう。
「いつも見てます。あの、歯も……」
止めた。
「トロフィーだろ」
本人が訂正したことを、初対面の一言で蒸し返そうとしている。
僕は録音ファイルを消した。
一つ目も、二つ目も消す。
録音を始める前の状態に戻るまで、十五分かかった。
まだ、二次予選も終わっていない。
優勝してから困ればいいことに、ずいぶん先回りしていた。
昨日の試合でも、それくらい先を考えればよかった。
ゲームを起動し、手をマウスへ移す。
声を出さなくていいことに、少し安心した。
*
十四時。
二次予選は、八十人で始まった。
今日は、どこへ降りるかだけでは決めなかった。
降りたあと、どこへ行くか。
道路までどれくらいあるか。車がなければ、歩いてどちらへ抜けるか。
地図の端に近い、小さな家並みを選ぶ。
遠くに大きな町があるけれど、そちらへは行かない。途中の農道から、川を渡れる。
下りながら、周りを見た。
近くのパラシュートは一つ。
向こうは二階建てへ。僕は、少し離れた平屋へ入った。
ライフル。弾。防具。
回復と、投げ物。
隣の家へ行けば、もっといいものがあるかもしれない。
思ったところで、地図を開いた。
今の装備でも、戦える。
僕は裏から外へ出た。
二階の窓が開く音がしたけれど、見に戻らなかった。
道路脇に、車があった。
運転席側へ回る。
乗る。
目の前にハンドル。
「よし」
今日、最初の成功だった。
大会の記録には残らない種類の成功だけれど。
車を出すと、後ろで何発か銃声がした。
窓を割られる前に家の陰へ回り、そのまま農道へ抜けた。
最初の安全区域の、中へ。
橋を渡りきったところで、車を止めた。
川が、道路の下を流れている。
よく見てから、地図にも目を落とした。
橋のすぐ脇に、河原から上がる階段がある。
もう少し先には、緩い坂。
ここなら、川沿いへ下りても戻れる。
そこまで確かめて、車から降りた。
昨日より早く着いた。それだけで、見ておけるものが増えていた。
橋を一台、別の車が走ってくる。
窓越しに人が見えた。
撃てる。
でも、撃ったあとに隠れるのは、さっき止めた自分の車くらいだ。
外したら、相手がどこから撃ち返してくるか分からない。
見送った。
車は僕のいる方へ曲がらず、そのまま道の先へ走っていった。
銃を下げて、土手へ移る。
見つけた人を全員止めていたら、検問所になってしまう。
僕は五人の中に残りたいのであって、交通量を調べに来たわけではなかった。
*
土手の階段を上がりきった左に、崩れかけた低い石塀があった。
その奥には、小さな物置。
僕は石塀へ寄る前に、物置の裏まで回ってみた。
向こう側からは、階段の上がり口が見える。
さらに先へ抜ければ、次の丘へ移れる。
撃たれたら、ここへ。
確かめてから、石塀のところへ戻った。
川沿いに、人がいた。
橋の下を通り、こちらへ走ってくる。
橋の上を渡るより、見つかりにくい道だ。僕も地図だけ見ていたら、そちらを選んだかもしれない。
足元で、水が跳ねる。
次に、乾いた砂利の音。
階段へ来る。
僕は腰を落とし、上がり口へ銃を向けた。
頭の出る高さ。
少し、下げる。
ここから撃つなら、的を追いかける必要はない。
相手のヘルメットが見えた。
撃った。
一発、当たる。
相手はすぐに戻った。
階段を数段下りる音。そのあと、静かになった。
もう一度出てくるまで、ここで待てばいい。
そう考えて、やめた。
こっちがどこにいるか、もう知られている。
階段の下で、小さな金属音がした。
空へ、黒いものが上がった。
僕は石塀を離れた。
物置の裏へ。
地面で何かが跳ね、背中側で爆発した。
画面の端に、土煙。
体力は減っていなかった。
石塀へ戻ろうとした左手を、止める。
元の場所へ顔を出したら、向こうはそこを見ている。
物置の、反対側へ回った。
階段を駆け上がる足音がする。
相手が出てきた。
銃は、さっき僕がいた石塀へ向いている。
横から、肩が見えた。
狙った場所へ、短く撃つ。
相手がこちらを向いた。
速い。
今度は、僕の肩も揺れた。
赤くなった画面の奥で、照準が少し上へずれる。
戻す。
次の数発が当たり、相手が倒れた。
指を離す。
周囲を見る。
道路の向こうに、車の音がした。
荷物を取りに行くのは、やめた。
まだ弾はある。回復も残っている。
僕は物置を回り、その先の丘へ下がった。
そこでようやく、息を吐く。
回復薬を使いながら、さっきいた場所を見た。
上がり口。石塀。物置。
敵が来てから探していたら、どこへ逃げるか決める前に、爆発していたかもしれない。
早く着いた分だけ、先に考えられた。
それが、撃つときの余裕になった。
遠くから、さっきの物置へ弾が打ち込まれた。
僕はその音を聞きながら、次の丘へ移った。
*
残り十人。
次の円が出たとき、僕はもう、その内側にいた。
低い丘の斜面に、大きな岩が一つ。岩の向こうへ下がれば、反対側の畑まで身を隠して移れる。
昨日、あの黒いヘルメットの人が使っていた場所に、少し似ていた。
岩へ身を寄せて、谷の方を見る。
一人が走ってきた。
向こうはまだ、僕を見つけていない。
銃を向ける。
遠い。
今撃ったら、追いかける照準が遅れるかもしれない。
僕は引き金に触れたまま、待った。
相手は木の陰へ入り、少しして出てきた。
次に隠れられる場所は、こちら側の細い窪みだ。
そこへ下りる直前、斜面の上に身体が出る。
動く相手を追わず、その場所へ先に照準を置いた。
まだ。
もう少し。
人影が、狙っていた場所へ重なった。
撃つ。
何発かが当たり、相手が向きを変える。
僕の方を見た。
その間に、もう一度撃った。
倒れた。
九人。
当たった場所から視線を外し、岩の反対へ回る。
遅れて、下の畑から弾が飛んできた。
さっきまで僕がいた場所を、弾が通り過ぎる。
間に合った。
それが、倒したことと同じくらいうれしかった。
次の縮小が始まった。
畑の人が動く。別の場所から、そこへ銃声が飛ぶ。
僕は二人の撃ち合いへ入らず、岩の裏から、見ておいた窪みへ下りた。
八人。
七人。
次に顔を出したときには、撃ち合っていた片方の姿しか見えなかった。
追いかけない。
先に、円へ入る。
六人になったのは、木の陰へ着いてからだった。
昨日と同じ数字。
でも、今日は、目の前に出口を塞ぐ人がいない。
待っている間も、次に走る場所が分かる。
少し遠くで、銃声がした。
五人。
僕は数字を見て、息を一つ吐いた。
通過した。
まだ、生きている。
それなら、もう少し先まで。
木の向こうを、一人が走った。
こちらへ来る。
僕は銃を構え直した。
*
三位。
最後は、撃ち合いで負けた。
四人になってから別の二人が争い、撃ち勝った方と向き合った。こっちが先に見つけたのに、狙いを戻す間に相手の弾が届いていた。
動く人を、遠くから正確に撃つ。
それは、まだうまくできなかった。
今日倒したのは、三人。
階段を上がってきた人。谷を渡ってきた人。最後に、木へ向かってきた人。
どのときも、相手が出てくる場所を、先に見ていた。
全部戻ったわけではない。
それでも、今の手でできることがあった。
僕は、マウスから右手を離した。
昨日より、力が入っていなかった。
水を飲む。
そのまま、もう一口。
「……本戦だ」
口に出してみると、急に落ち着かなくなった。
ほしなが実況する大会。
その画面に、今度は僕もいる。
昔の名前は使っていない。声も出していない。画面に映るのは、困った眉の大男だけだ。
それでも、ただ見るだけだった場所へ、自分の名前が一つ増える。
僕は机の上を見た。
車は運転席から。
昨日、四角で囲った文字。
その横へ、小さく丸をつけた。
今日、ちゃんとできたことを、一つ。
*
「で、大会どうだった?」
月曜日の昼、朝倉先輩に聞かれた。
僕は弁当の蓋を開ける手を止めた。
「通りました。次、本戦です」
「おお。おめでとう。何位だったの?」
「土曜が五位で、日曜は三位でした」
「じゃあ、次は一位だ」
弁当の卵焼きを取るのと、同じくらい気軽に言われた。
「二つずつ上がる仕組みではないので」
「でも、上がったんでしょ?」
「上がりましたけど」
「なら、楽しみじゃん」
そう言われてしまうと、否定する理由はなかった。
僕は弁当を開けた。
先輩が、持ってきた小さな菓子袋を机に置く。
「お祝い。一個取っていいよ」
「ありがとうございます」
「昨日、買いすぎた」
「……ありがとうございます」
二度目は、少しだけ感謝の種類が変わった。
小さなチョコレートを一つもらう。
「そういえば、優勝すると何かもらえるの?」
包装を開けかけた指が、止まった。
「その、主催してる配信者と、一対一で遊べるそうで」
「え、その人、好きな人?」
「好きな配信者です」
「うん。それ」
間違ってはいなかったので、訂正の続きができなかった。
「喋れるの?」
「声は、つなぐみたいです」
「いいじゃん。何話すか考えた?」
今度は、包装の端がうまく切れなかった。
「……少し」
「まだ優勝してないのに?」
「今、聞かれたので」
先輩は楽しそうに笑った。
僕は、もう片方の端からチョコレートを開けた。
「そんなに構えなくても。いつも見てます、今日はよろしくお願いします、ぐらいでいいんじゃない?」
「それは、分かってるんです」
「じゃあ、一回言ってみて」
弁当を前にしてやることだろうか。
先輩は、こちらを見ている。
僕は少しだけ声を落とした。
「いつも、見てます」
「知ってる。席、隣だもん」
「練習させる気あります?」
先輩が口元を押さえた。
そのまま、しばらく返事がなかった。
僕はチョコレートを食べた。
おいしかったので、今日のところは許そうと思った。
午後の電話では、いつもの挨拶が、一度も詰まらずに出てきた。
相手の用件を聞き、手元の資料を確かめ、返事をする。
話す順番も、言うことも、分かっている。
電話を置くと、先輩と目が合った。
「それでいいじゃん」
「取引先じゃないんです」
僕は小声で答えた。
仕事の電話なら、好きです、と言わずに済む。
そこが、ずいぶん違っていた。
*
その夜の配信は、レッスン帰りの雑談だった。
画面に、二人の立ち絵が並んでいる。
いつものほしなと、長い髪を肩へ流した先輩。
月杜しおり。
同じリプラインの所属で、落ち着いた歌声と、話し方が好きな人だった。ほしなと一緒に歌う配信も、何度か見ている。
『今日は二人とも、よくがんばりました』
しおりが言うと、ほしなが大きく頷いた。
『がんばりました! 今日は足も間違えてない』
〈おつかれさま〉
〈えらい〉
〈今日は〉
『今日はってとこ、拾わなくていいんだって』
画面の中で、ほしなの顔がコメントへ向いた。
しおりは少し笑ってから、続けた。
『でも、最後の練習はおもしろかったわね』
『……それ、言う?』
急に声が小さくなった。
〈何したの〉
〈聞きたい〉
『ライブの、曲の間の呼びかけを合わせていたんだけど』
しおりの声が、少しだけ明るく張った。
『みなさん、次の曲も盛り上がっていけますかー! って、私が言ったらね』
『行けます! って言いました』
ほしなが、自分から答えた。
『すごく元気な返事だったわ』
僕は笑った。
〈客席にいるw〉
〈元気でよろしい〉
〈草〉
『だって、行けるから! しおり先輩の次の曲、めっちゃ好きだし!』
『ありがとう。でも、あなたは私の隣で歌う人なの』
『そうなんだよねえ……』
本人も笑い始めて、言い訳の続きが出てこなくなった。
少しして、ほしなが咳払いをした。
『じゃあ今やる。ほしなが呼びかける方ね』
『ええ。どうぞ』
『みんな、今週の本戦、準備いいですかー!』
〈はーい!〉
〈見るぞー〉
〈出ます!〉
『行けます!』
しおりが、さっきのほしなと同じくらい元気に答えた。
『ほら! 先輩も言ってるじゃん!』
『私は今回は、応援する人だもの』
『ずるい! それ、立場がずるい!』
コメントが、一気に流れた。
僕も笑いながら、コップを置いた。
机の端には、昨日の通過通知を開いたままのスマートフォンがある。
あの「出ます」の中に、自分も入っている。
まだ、少し変な感じがした。
『でも、呼びかけはよかったわよ。画面の前の人まで、元気になるでしょう』
『ほんと?』
『今のコメント、見てごらんなさい』
ほしなが画面の外へ目を動かす。
まだ、準備できてる、楽しみ、という言葉が流れていた。
『……へへ。よかった』
照れたように笑ったあと、すぐに話し始める。
『じゃあ、本番もこの感じでいく。次は返事しない』
『返事はしてちょうだい。出番の合図とか』
『あ、そっか』
僕はまた笑った。
ゲームをしていないときのこの人は、どうしてこんなに忙しいんだろう。
それでも、こうして声を聞いていると、明日も帰ってこようと思える。
今日は配信を見終わってから、短く練習をした。
動く的へ、少し先回りして照準を置く。
外れたら、どちらへ外れたかを確かめる。
タイマーが鳴ったところで、終わりにした。
*
本戦までの平日は、いつもより早く過ぎた。
朝、会社へ行く。
帰って、ご飯を食べて、配信を見る。
練習できる日は、短くゲームをする。
できない日は、昨日の映像を一つだけ見直す。
昔のように、夜中まで何試合も回すことはできなかった。
それでも、明日確かめたいことがあると、仕事が終わってからの時間に、ちゃんと続きがあった。
金曜日、本戦の参加案内が届いた。
出場者は、九十六人。
一般参加九十五人と、シークレットゲスト一人。
一覧の中から、自分の名前を探した。
nemui。
その少し上に、HATCHの文字があった。
思わず、マウスを止める。
黒いヘルメットに、赤い線。
あの二発。
また会うことになった。
今度は、木の下で見物料を払うだけでは終わりたくない。
自分の名前へ戻って、参加確認を済ませた。
続けて、当日の注意事項を読む。
試合中は、公式配信や、ほかの参加者の配信を見ないこと。
ほしなの実況も、聞けない。
当たり前なのだけれど、そのことに、少しだけ残念な気持ちになった。
自分が戦っているとき、彼女が何を言うのか。
それは、あとで見る楽しみにしておこう。
画面の端に、リプラインの新人募集の広告が出ていた。
女性タレントオーディション。
僕はその横の、大会日程を開いた。
用事があるのは、こちらだった。
明日、土曜日。
ここまで来たら、もう上位五人では足りない。
勝たなければ、話せない。
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主催、月乃ほしな。
出場者、nemui。
同じページに並んだ二つの名前を、少しのあいだ見ていた。
僕はヘッドホンのマイクを、口元へ下ろした。
「いつも、配信を見てます」
今度は、仕事にならなかった。
「明日は、よろしくお願いします」
言えた。
誰にもつながっていないマイクを、また上げる。
少し、笑ってしまった。
この続きまで言えるかどうかは、明日の自分次第だった。




