【配信19日目】 同期とごはん! 帰るまでが顔合わせです 【音無せら/四季野すず】
「せらちゃん、こっち」
店の奥で、すずさんが小さく手を振った。
ついさっきまで、別の名前で呼ばれていた。
少しだけ反応が遅れてから、僕も手を上げる。
窓際のテーブルには、今日のレッスンで一緒だった人たちが座っていた。コップと、開かれたメニュー。空いている椅子の前にも、おしぼりが一つ置いてある。
「すみません。遅くなりました」
「大丈夫。先に飲み物だけ頼んでたところ」
すずさんが隣の席から荷物を下ろした。
「ほしな先輩、会えた?」
「はい。お話しできました」
「どうだった?」
椅子を引く手が、一度止まる。
何から話せばいいのか。
いや、話せるところからでいい。
「……優しかったです」
「よかった。行く前、すごい緊張してたもんね」
「ゲームの話も、少し」
「あ、それなら話せそう」
すずさんが笑った。
僕も、頷いた。
普通に話せることも、ちゃんとあった。
昔のことだけを、胸の内へしまっておく。
「せらちゃん、お腹すいてる?」
「……はい。結構」
「よかった。私、すごいすいてる」
メニューが、僕の前へ滑ってきた。
ハンバーグ。オムライス。グラタン。
写真を見た途端に、お腹が、自分の仕事を思い出した。
レッスンを受けて、夏希と会って、話して。
その間、ずっと、昼に食べたおにぎりだけで動いていたらしい。
「これ、迷ってるんだよね」
すずさんの指が、オムライスの写真へ伸びた。
「こっちの、とろとろのやつと、普通に包んであるやつ」
「どちらが好きなんですか」
「とろとろ」
「じゃあ、こっちでは」
「でも、包んであるのも好き」
問題は、好みが分からないことではなかった。
向かいの席から、「私、包んであるほうにする」と声がした。
「じゃあ、私こっち。一口ずつ交換してもいい?」
「いいよ」
解決した。
僕もメニューを閉じて、ハンバーグを頼んだ。
*
料理が届いたとき、テーブルの上が、急に静かになった。
さっきまでは、腕が重いとか、帰ったらお風呂から出られなくなりそうだとか、そういう話をしていた。
今は、みんな、それぞれの皿を見ている。
「待って、写真だけ」
すずさんがスマートフォンを持ち上げた。
僕も、真似して取り出す。
普段は、一人の夕食を撮ることはない。
でも、今日は、あとで送ってみたい相手がいた。
皿へ画面を向けると、隣のグラスが大きく入り込んだ。
スマートフォンを少し近づけて、撮り直す。
すずさんは、まだ、撮っていた。
「どうしたんですか」
「湯気が。おいしそうなんだけど、写真だと白くて」
「少し待ったら、落ち着くと思います」
「……それは、冷めるってこと?」
「そうですね」
すずさんは、迷わずスマートフォンを伏せた。
「いただきます」
写真が負けた。
僕も、温かいうちにナイフを入れた。
切ったところから、ソースへ肉汁が混ざる。
一口食べて、ご飯を口へ運ぶ。
ちゃんと、お腹がすいていた。
「おいしい?」
「はい。ソース、少し甘いんですね」
「そういうの好き?」
「好きです。ご飯と一緒に食べるなら、これくらいが」
「あ、分かる。私も、ケチャップ多めのほうが好き」
すずさんは、自分の皿の赤い部分を少しすくった。
向かいからは、酸味があるほうが好きだという声が返ってくる。
同じオムライスを頼んでも、ソースの減り方は違うらしかった。
僕はもう一口食べてから、すずさんへ向き直った。
「あの。ありがとうございます」
「ん?」
「辛くないお店にしてもらって。帰りも、駅まで近いですし」
「ああ、その話。よかった、食べられるのあって」
「日曜に開いてるかも、確認してくれたんですよね」
「うん。電話しただけだけど」
「助かりました」
頭を下げると、すずさんが少しだけ姿勢を正した。
「……いえいえ。こちらこそ、今後ともよろしくお願いいたします」
急に、仕事のやり取りになった。
つられて、僕の背中も伸びた。
「こちらこそ。また、よろしくお願いします」
「次の幹事も決まったね」
向かいから言われて、すずさんが顔を上げた。
「待って。私、今、次の予約まで受けた?」
テーブルの向こうで、笑い声が重なった。
僕も、口元を押さえた。
確かに、そういう返事だった。
「次は、僕も探します」
「本当? じゃあ、一緒に探して」
「はい」
「よかった。せらちゃんのおすすめも知りたい」
好きなお店と言われると、仕事帰りに一人で寄るところばかりだった。
みんなで入れそうなところも、少し探してみようと思った。
すずさんはグラスを持って、ふう、と息をついた。
中身は、氷の入ったオレンジジュースだった。
「炭酸は、飲まないんですか」
「あんまり得意じゃなくて。喉が、びっくりする」
「……喉が」
「うん。だから、お茶かジュース」
辛いものが苦手なのは、僕だけれど。
お店を探すなら、次は、そのことも覚えておこうと思った。
*
皿の上が少しずつ空いてくると、話は、今日配られた資料のことへ移った。
準備するもの。考えておくこと。
自分で描いた絵を使いたいという人もいれば、短い動画を作ってみたいという人もいた。
昼の自己紹介で聞いたことに、少しずつ、具体的な形がついていく。
僕は、グラスを両手で持った。
「すずさんって、前の配信では、何を話してたんですか」
「その日あったこととか。歌ったあとに、ちょっと話したり」
「話すこと、なくなりませんか」
「なくなるよ」
すぐに返ってきた。
そうなのか。
今のところ、一度も困っているようには見えなかった。
「最初のころなんて、話題、メモしてたのに足りなかった」
「いくつくらいですか」
「そのときは三つ。『最近買ったもの』『最近食べたもの』『休日の過ごし方』」
どれも、話しやすそうだった。
僕も、それなら少しは話せるかもしれない。
「それで、どんな話を?」
すずさんは、当時を思い出すように、少しだけ顔を上げた。
「『休みの日に鍋を買って、お鍋を作りました。おいしかったです』」
頷いて、続きを待つ。
すずさんも、僕を見た。
「……それで?」
「三つ、終わった」
隣の席で、誰かが飲み物を置いた。
向かいの子は、口元にナプキンを当てていた。
僕も、グラスから手を離した。
「一文に、全部入ってますね」
「そうなの! ちゃんと三つ用意したのに、一個しゃべったら全部なくなったの!」
もう、誰も我慢できなかった。
すずさんも笑いながら、指を三本立てた。
「そのときはね、一個終わって、次のメモ見て、あれって。三個目見て、また、あれって」
「順番に、なくなるのが分かったんですね」
「そう。準備してきた自分に、裏切られた」
少し前まで、何か三つ用意すればいいのかと思っていた。
内容も、確かめたほうがよさそうだった。
「それで、どうしたんですか」
「コメントで、『何鍋?』って聞いてくれた人がいて。そこから、いろいろ話した」
「何鍋だったんですか」
「寄せ鍋。……の、つもりだったんだけど」
すずさんは、自分の皿の上に、小さな丸を描いた。
「一人用のお鍋、買ったのね。そこへ、一袋の野菜と、お肉と、お豆腐を入れたら、ふたが閉まらなくなって」
「一人用にしては、多いですね」
「お鍋のほうには、一人用って書いてあったから」
それは、鍋が食べる量を決めてくれるという意味ではないと思う。
「お水入れる前に、もう、上がこんもりしてた」
向かいから、「それを最初に話せばよかったのに」と声がした。
「そうなんだよ。あとから聞くと、ちゃんと話せることあったんだよね」
すずさんは、少し照れたように笑った。
「そのとき、配信で話すことって、すごい出来事じゃなくてもいいんだなって思った」
僕は、彼女が指で描いた丸を見た。
たしかに、さっきから、鍋の話だけで笑っていた。
誰かが買った鍋の大きさを聞く時間が、こんなに楽しいとは思っていなかった。
「その鍋、今も使ってるんですか」
「うん。野菜、半分ずつ入れるようになった」
それなら、ふたも閉まりそうだった。
「せらちゃん、普段は料理する?」
「簡単なものだけです。平日は、買って帰ることも多いですけど」
「お仕事と両立する感じ?」
「はい。会社に勤めてます」
「そっか。じゃあ、帰ってからご飯作るの、大変な日もあるね」
詳しい会社名や、何時の電車で帰るのかまでは、聞かれなかった。
買い置きしてあると助かるものや、洗い物を増やしたくない日の話へ、そのまま進んでいった。
僕も、よく買うものを一つ話した。
向かいの席から、同じものを買うという返事がきた。
少しだけ、話しやすくなった。
*
食後のお茶が届いて、すずさんが僕の前へミルクを寄せてくれた。
「すずさん、話を聞くのも、上手ですよね」
「え。そう?」
「さっきも、質問してもらうと、話せることがあったので」
自分だけでは、料理は簡単なものだけです、と言って終わっていたと思う。
そこから、平日の晩ご飯の話になった。
僕にも、話せる日常は、あるらしかった。
「気になったから聞いただけだよ」
すずさんは、カップへ両手を添えた。
「せらちゃんも聞いてくれるじゃん。その鍋、今も使ってるのって」
「それは、本当に気になったので」
「うん。私も、それ」
あまりにも普通に言われて、僕は、一度、カップを見た。
そういうことで、よかったのか。
「配信だと、もっと、面白いことを言わないといけない気がして」
「分かる。私も、変なオチつけようとして、何の話だったか分からなくなったことある」
すずさんが、苦い顔をして笑った。
「でも、最初から全部できなくてもいいと思う。一緒に遊んでたら、勝手に話したくなることもあるし」
「……そうですね」
昼に、ゲームの窓の使い方を説明したときのことを思い出した。
聞いてくれる人がいると、続きまで話したくなった。
少し、話しすぎたくらいだった。
「私は、せらちゃんみたいにゲームのこと分かるほうが、いいなって思うけど」
「僕も、全部分かるわけではないですよ」
「うん。でも、私、昼の話、すごく分かりやすかった。同じ窓から出ないとか、遠くまで離れなくてもいいとか」
すずさんが、僕のほうへ身体を向けた。
「今度、実際にやってみたい。ゲームの中で」
「じゃあ、一緒にやりましょう」
自分から言ってから、少しだけ驚いた。
昼にした約束だった。
でも、今は、早く続きをやってみたいと思っていた。
「歌のほうは、また教えてもらってもいいですか」
「私で分かるところなら。レッスンのあと、一緒に練習しよ」
「お願いします」
「じゃあ、教え合いっこだ」
すずさんが、うれしそうに頷いた。
隣から、動画のことなら少し手伝えるという声がした。
絵の話にも、別の声が加わった。
まだ、誰もデビューしていない。
それぞれ、できることと、これから覚えることを持って、このテーブルに座っていた。
僕にも、一つくらいは、渡せるものがありそうだった。
*
店を出ると、空はもう暗くなっていた。
駅へ向かいながら、みんなで次のレッスンの予定を確かめた。
すずさんが、隣へ並ぶ。
「ゲーム、平日だと大変かな」
「夜なら大丈夫だと思います。ただ、帰りが遅くなる日もあるので」
「じゃあ、空いてる日、分かってからでいいよ。最初は、ちょっとだけでも」
「はい。今週の予定を見て、連絡します」
「うん。待ってる」
できるかどうか分からない時間を、今、決めなくてもいい。
それだけで、返事がしやすかった。
駅の案内を確かめようと、スマートフォンを開く。
横から、すずさんが画面をのぞいた。
「あ、こっちの改札だね」
肩が、近かった。
彼女にとっては、一緒に帰る女友達との距離なのだと思う。
僕は画面を少し彼女のほうへ傾けてから、半歩だけ位置を変えた。
「分かりますか」
「うん。そこの階段、下りたところ」
すずさんは、行き先を指した。
その指の先から、別の路線へ向かう人たちが手を振ってくれた。
僕も、手を振り返す。
「またね、せらちゃん」
「はい。また」
名前を呼ばれてから、今度は、すぐに返事ができた。
*
家へ帰って靴を脱ぐと、急に、足が重くなった。
今日は、よく動いた。
よく話したし、よく、人の顔を見ていた。
ソファへ座りかけて、その前に、明日のシャツを出す。
月曜日の僕が困らないようにしてから、ようやく、腰を下ろした。
スマートフォンには、新人用の連絡先へ届いた、今日のお礼が並んでいた。
僕も短く返事をしたところで、別の通知が出た。
『もう帰れた?』
夏希だった。
僕は、文字を打った。
『はい。ほしなさんも――』
そこまで打って、消した。
画面の上にある名前を、もう一度見る。
ここでは、その名前でよかった。
『今帰った。夏希は、もうご飯食べた?』
少し迷ってから、さっき撮ったハンバーグの写真も送った。
『みんなで、これ食べた』
返事は、すぐに来た。
『いいな。私も今から』
『食べたら配信の準備する』
いつもの配信が始まるまでに、こんな時間がある。
知っていたはずのことを、初めて、少しだけ近くに感じた。
『うん。あとで見る』
送ってから、スマートフォンを置いた。




