【配信2日目】 久しぶりのFPS! 設定だけ見たら寝ます 【白瀬直人/月乃ほしな】
十分で終わる予定だった。
その十分を、僕はキャラクターの眉毛に使った。
「……どれでもいいんだけどな」
言いながら、三番と四番を往復する。
大会は一人称視点だ。自分の顔を見る機会はほとんどない。ヘルメットを拾えば髪型も隠れる。分かっているのに、最初に選んだ顔がずっと不機嫌そうなので、少しだけ直したかった。
眉を下げると、困っている人になった。
今の僕と同じだった。
諦めて決定を押す。
ようやく入った訓練場には、銃が並んでいた。
配信で見慣れたものもある。ほしながよく拾う、長い銃身のライフル。建物の中で持ち替える短い銃。自分ならどれを使うかなんて、昨日までは考えもしなかった。
手近な一丁を拾い、正面の的へ向ける。
右へ動かしたマウスを、左へ少し戻す。
照準が通り過ぎた。
「速い」
設定を開く。銃を構えたときの感度を下げ、的へ戻る。さっきよりは近い。今度はほんの少し届かない。
また設定を開く。
懐かしい作業だった。
数字が正しいかどうかは、撃ってみないと分からない。机の上で手を動かした距離と、画面の中で向きを変えた角度が、ようやく同じものになるところを探す。
十分後、止まっている的なら、狙った場所へ当たるようになった。
移動する的に切り替えたら、当たらなくなった。
左から右へ走る人型を追う。照準を乗せた瞬間に撃ったつもりが、弾は後ろへ抜けていた。
次は早く撃ちすぎる。
三度目で胴体に当たって、思わずもう一度試す。
四度目は外れた。
「今のは当てたいな……」
椅子を少し引いた。肘の位置を変える。机にあった冷めたお茶を、倒さないところへ移す。
時計を確かめるために出したスマートフォンは、画面をつけずに伏せた。
*
設定が終わっただけでは、実際の試合で困るかもしれない。
そう考えた時点で、もう寝る気はなかったのだと思う。
最初の練習戦は、町から少し離れた農場へ降りた。
近くに開いたパラシュートは二つ。一つは道路の向こうへ、もう一つは南側の大きな納屋へ下りていく。
僕は一階建ての家に入り、床から銃を拾った。
弾を込める。
途中で別の部屋に防具が見えて、拾おうとした指を戻した。まずは撃てるようにする。昔は迷わなかった順番を、いちいち考えないと動けない。
装填が終わる。
玄関の外で、砂利を踏む音がした。
早い。
納屋へ下りた方だろうか。確かめるために窓へ寄りかけて、やめる。ここから覗けば、向こうからも見える。
台所へ下がった。
玄関が開く。廊下を進む足音。
僕は台所の入り口へ照準を置いた。
胸の高さ。
違う。昔のゲームで、廊下の先に立っている相手を待つときの高さだ。この距離なら、もう少し上。
直すより先に、人影が出た。
撃った。
最初の二発が肩へ当たる。銃口が思ったより高く跳ねた。引き下げすぎて、次の弾が床を削る。
相手も撃ち返してきた。
画面の縁が赤くなる。
僕は壁へ隠れた。あと少し当たれば、倒れていた。
「……うわ」
心臓が速い。
分かっていた。入ってくる場所も、タイミングも。
それでも倒せなかった。
向こうが廊下を走る。距離が詰まる前に、僕は奥の勝手口から外へ出た。
家の裏を曲がる。
そのまま逃げようとして、足を止めた。
追ってくる足音が、まだ屋内にある。
外壁に沿って、さっきより少し離れた。勝手口からまっすぐ走り出す人が、僕を探して右を向く、その横を取れる場所。
照準を合わせる。
今度は、動かさない。
相手が出た。
予想より手前で一度止まった。でも、銃口はまだこっちを向いていない。
短く撃つ。
数発で指を離し、上がった照準を戻して、もう一度。
相手が倒れた。
画面の端に、小さく名前が出る。
nemui。
その横に、一人倒したことを示す数字。
「……よし」
口にしてから、周囲を見た。
もう一人、近くへ下りていた。
道路の向こうの家は静かだった。窓にも人影はない。だからいない、と決めつけるのは、昔の僕でもしなかったはずだ。
倒した相手の持ち物は後回しにして、家の中へ戻る。
拾ってあった包帯を使った。
動かせる左手を、膝に一度押し当てる。
少し汗をかいていた。
たった一人、倒しただけだった。
それなのに、次の足音を聞きたくて、音量を一つ上げてしまった。
その試合は、二十八位で終わった。
死因は、安全区域の外に居続けたこと。
遠くに見つけた相手を追いかけ、撃ち合いを切り上げたときには、地図の円がずいぶん小さくなっていた。近道のつもりで選んだ川岸には、上れる場所がなかった。
橋まで引き返す途中で、体力が尽きた。
最後まで、銃は撃たれなかった。
観戦へ切り替わった画面で、残った人たちが車を降りている。
「車か……」
ほしなは毎回、探していた。
盗まれたときのことばかり、覚えていた。
時計は、午前二時十七分だった。
*
「体調、悪い?」
翌朝、隣の席の朝倉先輩に聞かれた。
入社してから、仕事のほとんどはこの人から教わっている。
僕は開きかけた口を閉じた。あくびの途中だった。
「いえ。ちょっと寝不足で」
「忙しかった?」
「ゲームをしてました」
言ってから、正直すぎたと思った。
先輩は少し驚いた顔をして、それから笑った。
「そういうので夜更かしするんだ」
「久しぶりにやったら、つい」
「分かるけど、ほどほどにね。私も昨日、ドラマが終わんなくて」
ほら、と目元を指すので、僕は曖昧に笑った。そこまでまじまじ見るのも失礼な気がした。
「午前の確認用、できてる?」
「共有フォルダの、本日確認用に入れてあります。変更箇所は色をつけました」
「助かる。じゃあ、コーヒー飲んでおいで」
僕は礼を言って、席を立った。
給湯室で、お湯が落ちるのを待つ。
瞼は重い。それでも、目を閉じると勝手口が見えた。
最初に照準を上げすぎなければ、家の中で終わっていた。外で待った場所も、あと一歩だけ離れておけば、もっと余裕があった。
そして、あの川には近づかない。
コーヒーを受け取って、スマートフォンのメモに三行だけ打った。
最後に、もう一行足した。
平日は零時まで。
いちばん守れるか怪しい約束だった。
*
夜、パソコンの前に座ると、やることが多かった。
武器の撃ち方。回復にかかる時間。地図の読み方。拾った荷物がいっぱいになったとき、何を捨てるか。
昨日は包帯を拾おうとして、同じ種類の照準器を四つ持っていることに気づいた。
店でも開くつもりだったのだろうか。
全部を今週中に覚えるのは無理だ。使う銃を二種類に絞って、まずはそれで撃てるようにする。
そう決めても、訓練場に入ると気になることが増えた。
遠い的には弾が落ちる。走る相手は少し先を狙う。同じように見える二丁でも、続けて撃ったときの揺れ方が違う。
昔は、どうやって練習を切り上げていたっけ。
ゲームをいったん閉じ、古いフォルダを開いた。
消してはいなかった。
何年も前の日付が並ぶ。大会の映像。練習用の地図。誰かが作った、ふざけた名前の音声ファイル。
カーソルが、その上で止まった。
開かずに、下へ送る。
探していたのは、研究会で使っていた練習記録の控えだった。
日付ごとに、試したことと、その結果が書いてある。
勝敗より先に、何を確かめたかったのか。
できたら次へ。できなかったら、明日も同じものを。
昔の僕は、思ったよりまめだった。
何ページか進めたところで、画面の端に名前が見えた。
左階段――星野夏希。
右廊下――NIL。
矢印を何本も引いた見取り図だった。五人全員の入る場所が決まっていて、僕のところだけ、途中で矢印が折り返している。
この練習は覚えている。
右から攻めるふりをして、一度戻る。相手の注意が右へ寄ったところで、左階段から中へ入ってもらう。
打ち合わせの途中、隣の椅子が寄ってきた。
『ここ、私一人?』
『最初の一人はこっちを見るはずだから。奥だけお願い』
『分かった。じゃあ、そっち外さないでね』
頼んだ方へ、そのまま行ってくれた。
一回目は、僕が先に倒された。
申し訳なくて隣を見たら、彼女はすでに自分の映像を戻していた。
『もう一回やろ。今ので、奥の人が出てくるとこ分かった』
小さな机に、二台のモニターを並べていた。彼女が画面を指すたび、袖が僕の肘に触れた。
その距離が気になって、説明を一度聞き逃した。
記録の最後には、成功した、とだけある。
何度目だったかは、書いていなかった。
僕は次のページへ進まず、ファイルを閉じた。
画面の下に、昔使っていた連絡アプリのアイコンがあった。
カーソルを近づけると、名前が出る。
まだ入っていたのか、と思った。
消していないのだから、当たり前だった。
アイコンの隅に、小さな赤い数字がついていた。
開いていない連絡の数だった。
最後の一件が誰からなのかは、たぶん、知っている。
少しだけ、手を止める。
開かないまま、新しいメモを開いた。
少しだけ、手を止める。
それから、新しいメモを開いた。
訓練場、十五分。
今日は近い相手に、短く区切って撃つ。
書いたあとで、スマートフォンのタイマーをセットした。
*
翌日の練習戦では、先に敵を見つけて、先に撃った。
負けた。
土手の上を走る相手の、頭ひとつ後ろを撃っていた。配信ではもっと簡単そうに見えていたのに、自分でやると、遠い人間はずいぶん小さい。
遮蔽物へ戻るのも遅れた。
近距離の練習は、試す前に終わった。
その次は、ちゃんと近くで戦えた。
一人を倒したあと、手近な塀に隠れて回復した。完了までの残り時間を見ながら、向こう側の足音を聞いていた。
四秒。
近い。
三秒。
塀を回ってくるまでに、間に合うか。
二秒。
やめるべきだ。
そう思った指が、一秒ぶん遅かった。
回復を中断して銃を構える前に、相手が角から出てきた。
「……欲張った」
ヘッドホンを外して、背もたれへ身体を預けた。
昔なら、という言葉が浮かんだ。
口には出さなかった。
昔のゲームでは、この回復アイテムを使ったことがない。塀の向こうから走ってくる時間も、このマップでは初めて測った。
知らないことは、知らない。
そこまで昔の自分に押しつけても、困るだろう。
メモに、回復を始める前に次の逃げ道、と書いた。
スマートフォンが鳴った。
試合を始める前に決めておいた、今日の終了時刻だった。
ゲームを閉じると、配信の通知が残っていた。
ほしなは、もう一時間以上前から話している。
急いで開く。
『――だから、アーカイブでも全然いいんだって。ほしなも自分の配信、あとで見ることあるし』
コメントに、今来た、仕事終わった、が続いた。
『お仕事おつかれさま。今ね、なんでこんな時間になっちゃったんだろうって話してた』
〈おつかれー〉
〈歌は?〉
〈ずっと雑談してる〉
『歌うよ! 歌うって言ってから、三十分くらい経った?』
〈一時間〉
〈もう一時間たつ〉
ほしなが画面の外へ目を向ける。
『……ほんとだ。ごめん、曲出すね』
少し声が遠くなって、キーボードの音がした。
僕は飲み物を取りに立った。
戻ると、まだ伴奏は始まっていなかった。
『「予選の練習してた」。お、やってる? どう?』
〈むずい〉
〈初めて一人倒せた〉
〈ずっと負けてる〉
『初めて倒せたの? ナイスー。……そう、むずいよね。配信見てるといけそうな気がするんだけど、自分でやるとさ』
僕はコップを置いた。
『ほしなも別のゲームやると、あれ、これなんで動かないのってなる。普段どんだけ身体で覚えてるか分かるよね』
〈わかる〉
〈キー違うだけで無理〉
〈扉閉めようとして武器捨てた〉
彼女が吹き出した。
『武器捨てたの? それは……ふふ。相手もびっくりするよ』
笑いが落ち着くまで、少し待っていた。
『練習してくれるの嬉しいけど、寝るんだよ。大会の日に眠かったら、もったいないからね。……あっ、そうだ。寝る前に一曲だけでも歌わせて』
〈待ってた〉
〈たのしみ〉
〈寝る前の一曲だったのか〉
『違う、もっと歌う! これはほしなが喋りすぎたのが悪いです。はい、歌います』
ようやく伴奏が流れた。
さっきまで笑っていた声が、息を吸うところで静かになる。
歌い出しを、僕は椅子に座り直して聞いた。
ゲームのメモは、もう閉じてある。
少し高いところで、彼女の声が揺れた。けれど止まらず、次の言葉へつないでいく。
曲が終わってから、難しいねえ、と笑った。
僕は拍手の絵文字を一つ送った。
たくさんの拍手に混ざって、すぐ見えなくなった。
その晩は、零時になる前にパソコンを落とした。
*
予選までのあいだに、少しずつ分かることが増えた。
建物から出る前に、次の行き先を決めること。
持てるからといって、弾を全部拾わないこと。
白い円の中に入っていても、その端で安心していると、次の移動がつらくなること。
分かったことと、できるようになったことは、まだ同じ数ではなかった。
頭では先へ行こうと思っているのに、銃声が近づくと足が止まる。敵を見つければ、倒せるかどうかを先に考えてしまう。
撃てば、こっちの居場所も知られる。
当たり前のことを、誰もいない背中から教わる日もあった。
少しうまく逃げられた日もあった。
丘の上にいる相手から撃たれ、僕は道沿いの低い石垣へ隠れた。向こうがこちらを見ているのは分かる。石垣の端から出ようとすると、その手前へ弾が飛んできた。
すぐ脇に、細い水路があった。
身を低くすれば、石垣の下に続いている。
僕は手持ちの煙幕を、石垣の端へ投げた。
煙が広がる。
そこを走って抜けるつもりで用意したのに、白くなった向こう側から、また銃声が聞こえた。
やめた。
煙へは入らず、水路に下りる。石垣に沿って、反対へ動いた。
曲がり角まで進んでから振り返っても、銃弾はまだ煙の中へ飛んでいた。
僕はそのまま離れた。
何も倒していない。弾も当てていない。
それでも、ロビーへ戻ってから、煙の置き方をメモに足した。
訓練場では、動く的に続けて当たることが増えた。
実戦では、そうでもなかった。
そのまま、予選の週になった。
*
木曜日、運営から参加案内が届いた。
一次予選、第一八七組。
土曜日、十四時開始。
専用ページから参加確認を済ませ、当日は指定された部屋へ入る。ゲームの運営会社の名前と、大会窓口が並んでいた。
参加案内に並ぶ部屋の数は、三百を超えていた。
一部屋に、最大百人。
画面の下まで見てから、いちばん上に戻す。
自分の参加名を探すだけでも、少し時間がかかった。
nemui。
まだ一度も会ったことのない名前たちの間に、それがあった。
応募した夜は、眠かった。
いま読み直すと、大会に出る気があるのか分からない名前だった。
変更の締め切りは過ぎていた。
「まあ、いいか」
試合開始に間に合えば、名前まで起きている必要はない。
参加確認のボタンを押すと、受付完了の表示が出た。
念のためもう一度開いて、受付済みであることを確かめた。
翌日の昼休みも、確かめた。
*
土曜日は、午前七時に目が覚めた。
早すぎた。
二度寝をしようとしたけれど、うまくいかなかった。起きて洗濯機を回し、朝食を食べる。まだ八時にもなっていない。
試合前に疲れるほど練習するのはやめようと、前の晩に決めていた。
守ると、することがなかった。
部屋を片づけた。机を拭いた。マウスの下に敷いた大きなマットの、端の埃を取った。
昼食まで済ませると、今度は手を洗った。
試合に出る前、いつもそうしていた。
思い出して、蛇口を閉めた。
タオルで指の間まで拭く。
鏡の中の僕は、会社に行く日より少しだけ顔色がよかった。
十三時四十分。
パソコンで参加ページを開いた。
登録名と同じ名前を使うこと。指定時刻までに入室すること。試合中の協力行為は禁止。順位は運営が集計し、次の案内は登録先に届く。
練習戦と違って、負けてすぐ次へ行くボタンはない。
今日、六位以下になれば、それで終わりだ。
飲み物を、マウスから遠い場所へ置いた。
ブラウザーには、ほしなのチャンネルも開いてあった。
今夜の配信予定と、大会の告知。
予選に出る人、がんばってね。
短い応援の投稿に、何千もの反応がついていた。
僕も一つつけて、ページを閉じた。
部屋番号を確認する。
入室を押した。
海辺の待機場所に、自分のキャラクターが立っていた。
いつもの練習戦と同じ景色だった。
錆びた柵。草の生えた滑走路。向こうで、何人かが跳びはねている。
参加者は九十三人。
見ているうちに、九十四人になった。
画面の隅に、挨拶が流れる。
〈よろしくお願いします〉
〈よろしくです〉
〈緊張してきた〉
僕はキーボードに手を置いた。
よろしくお願いします、と打つ。
一度、見直した。
それだけの文章を見直す必要はなかった。
送ると、nemuiの名前で挨拶が出た。
その下へ、また誰かの挨拶が続く。
九十七人。
僕の前にいたキャラクターが、しゃがんだ。
もう一度、立ってしゃがむ。
挨拶だろうか。
僕も一度しゃがむと、相手は満足したように走っていった。
数分後には、見つけ次第、撃ち合う相手だった。
いまは同じ配信を見ていた人でしかない。
どういう人だろう、と思った。
僕よりずっとこのゲームをやっているかもしれない。賞品を見て、初めてダウンロードした人かもしれない。
少なくとも、さっきの人は、あの配信の誰かだった。
参加者の数字が、百になった。
運営から開始の通知が出る。
全員の姿が消え、画面が暗くなった。
ヘッドホンの中で、輸送機のエンジンが鳴り始める。
左手が、キーボードのいつもの位置へ戻った。
右手は、古いマウスを握っていた。
力を入れすぎないように、指を一度伸ばす。
五位でいい。
九十九人全員に、勝たなくていい。
そう言い聞かせながら、地図を開いた。
飛行機の通る線をなぞる。
降りる場所を決める前に、どこなら武器を拾えて、どこから敵が来るかを考えていた。
その先に逃げられる道はあるか。
川を渡らずに済むか。
隣の町から来る相手を、どこで待てるか。
「……だから、五位でいいんだって」
自分に言った。
輸送機が、島の上へ入った。




