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推しに勝ったご褒美はオフレコで!? ~元FPS日本代表、男なのに女性限定VTuber事務所に採用されました~  作者: ぽんさん
【アーカイブ02】 「はじめまして」の続きは二人きりで

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19/23

【配信18日目】 この話は、二人だけの秘密です 【白瀬直人/月乃ほしな】

「このお部屋は、あと三十分ほど使えますので」


 久我さんが、壁の時計を見ながら言った。


「私はこのあと打ち合わせに入ります。お話が終わりましたら、受付にお声掛けください」


「はい。ありがとうございます」


 夏希が、少しだけ頭を下げた。


 僕も遅れて、同じようにした。


「音無さん、今日はお疲れさまでした。お渡しした資料は、帰ってからで大丈夫ですからね」


「……はい。お疲れさまでした」


 久我さんは普段どおりの声でそう言って、部屋を出ていった。


 扉が閉まった。


 最後に小さく鳴った音まで聞こえなくなってから、僕は、もう一度、机の向こうを見た。


     *


 二人になったら、何を言おう。


 そう考える時間は、さっきまであったはずだった。


 今はもう、二人きりだった。


「……ほしな、さん」


 つい、口から出た。


 彼女の眉が、少し下がった。


 まずい。違う。今は、たぶん。


「直人」


 先に、呼ばれた。


 さっきの挨拶よりも、少し低い声だった。


 すぐそばにいる人へ話しかける、静かな声。


 胸の奥が、ぎゅっと縮んだ。


「……夏希」


「うん」


 唇がゆっくりと緩んだ。


「久しぶり」


「……うん。久しぶり」


 それだけ言って、また、言葉がなくなった。


 何年も会っていなかった。


 それなのに、昨夜も声を聞いていた。


 自分の中で、その二つが、まだうまく一緒にならない。


「本当に、夏希なんだ」


「私も、今、同じこと思ってた」


 彼女は僕を見て、それから、僕の手元へ目を落とした。


「……座ろっか」


「あ」


 室内用の靴を入れた袋を、ずっと握っていた。


 慌てて椅子を引く。


 袋を足元へ置いて、机を挟んで向かい合うと、ようやく、少しだけ息ができた。


 近くで見ると、昔より、大人っぽかった。


 けれど、髪を耳へ掛けたあと、その先を指で一度だけ整える仕草には、見覚えがあった。


 こんなところまで、覚えているんだなと思った。


「いつから、分かってたの?」


 聞くと、夏希は少し考えた。


「大会の、最後のほう。もしかして、って」


「ゲームだけで?」


「小屋の左から、一回だけ顔を出したでしょ」


 あの、小さな小屋。


 左を見せて、相手の注意をそちらへ引いたつもりだった。


「次は右かなって思って、そっちを見たら、本当に来たから」


「……だから、あそこに照準があったんだ」


「うん」


 思い出すだけで、肩のあたりが痛くなりそうだった。


 顔を出した瞬間に撃たれて、慌てて壁の裏へ戻った。


 こっちの動きを、前から知っているみたいに。


 本当に、知っていたのか。


「もう少し、優しく確認してほしかった」


「試合中だったから」


 そこは、即答だった。


 そういうところも、変わっていなかった。


「そのあと、通話で声を聞いて。たぶん、そうだと思った。でも、違ったらどうしようって」


「それで、言わなかったの?」


「それもあるし……急に昔の名前で呼んで、通話、切られたら嫌だったから」


 僕は、膝の上で、指を組み直した。


 返せる言葉が、すぐには見つからなかった。


 夏希は、そこで一度、息をついた。


「だから、今日、顔を見て。やっと、ちゃんと分かった」


 まっすぐに、目が合った。


「来てくれて、よかった」


 大会が終わったあとにも、聞いた言葉だった。


 あのとき、少しだけ間が空いた理由を、今になって考えた。


「僕は、全然、気づかなかった」


「うん。そんな感じだった」


「声も、ずっと聞いてたのに」


 言ってから、夏希の顔を見た。


 名前を呼ばれたときの声なら、知っている気がした。


 モニターを見たまま、隣へ何かを頼むときの声。夜の練習室で、他の人を起こさないように笑ったときの声。


「……今の声なら、分かる気がする」


「配信のとき、ちょっと違う?」


「うん」


 夏希は、すっと背筋を伸ばした。


「みんな、聞こえてるー?」


「あ、いつもの」


 反射で答えていた。


 夏希が、ふっと吹き出す。


 僕も、少しだけ笑った。


 たったそれだけで、目の前の顔と、毎晩聞いていた声が、ようやく同じ人のものになった気がした。


 月乃ほしな。


 星野夏希。


 頭の中で、二つの名前をゆっくりと読んでみる。


 ほしの、なつき。


 つきの、ほしな。


「……名前」


「あ、気づいた?」


「今、ようやく」


 毎晩のように見ていた名前だった。


 一度でも、並べて考えてみれば。


「せらちゃんも、そうでしょ」


 夏希が、僕の名札を指した。


「さっき、それ見て、あっ、て思った」


「僕のほうは、すぐ分かったんだ」


「だって、直人の名前は知ってるもん」


 僕だって、知っていた。


 少なくとも、知らなかったから気づけなかった、とは言えなくなった。


「配信って、いつごろから見てくれてたの?」


 夏希が聞いた。


「通話のときにも、見てるって言ってくれたけど」


「大学の、家にいる時間が長かったころ。最初は、おすすめに出てきて」


「そんなに前から?」


「うん」


「……そっか」


 夏希は、机の上で指先を重ねた。


 ちょっとだけ、うれしそうに見えた。


 それを見て、僕のほうが、目をそらしたくなった。


「今も、見てる?」


「見られるときは」


「休みの日とか?」


「うん」


「仕事の日は?」


「帰ってから」


「……残業の日は?」


「途中から」


 夏希が、ゆっくりと瞬きをした。


「見られるときって、ほぼ全部じゃない?」


「見逃す日もあるよ」


「そっか」


「アーカイブで見るから」


「逃してないじゃん!」


 あ。


 思ったより、見ていることが伝わった。


 別に、隠すことでもない。ファンなのだから。


 ただ、そのファンである相手が、昔から知っている女の子の顔で、僕の向かいに座っている。


 それは、ちょっと、話が違った。


「……ごめん。なんか、恥ずかしいね」


 先に言ったのは、夏希だった。


「それ、僕が言おうと思ってた」


「私だって。ほら、ゲーム以外の配信も、いろいろやってるし」


「雑談も、好きだよ」


 そこは、考えるより先に答えていた。


 夏希が、こちらを見た。


「疲れて帰ってきても、何も考えずに見られるから。晩ご飯を食べながら、今日は何があったんだろうって聞いて」


 話しているうちに、いつもの部屋が浮かんだ。


 仕事用の鞄を置く場所。


 着替えながら押す、配信の通知。


 その日あった、うまくいかなかったことが、声を聞いている間だけ、少し遠くなる。


「配信が終わるころには、一回は笑えてたから」


 夏希が、黙った。


「それで、じゃあ、明日も会社行くかって。……そんな感じで、ずっと見てた」


 言い終わってから、喉が急に乾いた。


 普段、思っていることだった。


 画面の向こうの月乃ほしなへなら、いつかコメントに書けたかもしれない。


 今、僕が話したのは、目の前の夏希だった。


 彼女は、カーディガンの袖口を少し引いた。


「……ちょっと待って」


「何か、変なこと言った?」


「言ってない。言ってないけど」


 目が合って、すぐに、彼女の視線が机へ落ちた。


 耳のあたりが、少し赤かった。


「こういうとき、コメント欄がないと困るね」


「え?」


「誰も次の話題くれない」


 僕まで、机を見た。


 当然だけれど、何も流れてこなかった。


 二人で、しばらく黙った。


 やがて、夏希が小さく笑った。


「……ありがとう。見てくれてて」


「うん。こちらこそ」


 それ以上言うと、また、お互いに顔を上げられなくなりそうだった。


     *


 少し落ち着いてから、僕は、膝に置いた手を見た。


 今なら、話せる気がした。


 言わないまま、ここを出てはいけないことがあった。


「夏希」


「うん?」


「連絡、返さなくなって、ごめん」


 椅子の背から、身体を少し離した。


「何も言わないで、急に。ずっと、そのままにして」


 彼女の指が、袖口から離れた。


「……最初、私、何かしたのかなって思った」


「違う。それは、絶対に違う」


 思ったより、強い声が出た。


 夏希が、わずかに目を開く。


 僕は、息を整えてから、続きを言った。


「夏希が何かしたとか、そういうのは、一度もない。僕のほうで、いろいろ、分からなくなって」


 あのころ、僕は、知っていた日本とは違う日本へ来てしまった。


 通っていた大学も、住んでいた部屋も変わらない。けれど、この世界では、男一人に対して女が九人いる。それが、昔から当たり前だった。


 昨日まで男だった友達の半分以上が、女の子になっていた。僕への話し方や距離は同じなのに、顔も声も、記憶と違う。昔の写真を開いても、そこに写っているのは、今の彼女たちだった。


 変わる前を覚えているのは、僕だけだった。


 確かめるものを増やすほど、間違っているのは僕のほうなのではないかと、思えてきた。


 夏希は、前から女の子だった。写真の中の彼女は、僕の覚えているままだった。


 それでも、夏希と話せば大丈夫だとは思えなかった。


 「あのとき、みんなで」と同じ思い出を話したとして、その「みんな」には、僕と彼女で違う顔が浮かぶのかもしれない。好きだった人とまで、その食い違いを確かめるのが怖かった。


 机の向こうで、夏希は、僕の言葉の続きを待っている。


 今でも、別の世界から来たのだと説明する勇気はない。でも、彼女を嫌いになって離れたわけではないことだけは、伝えたかった。


「人と話す余裕がなくなって。連絡が来ても、何て返したらいいか分からなくて。……そのまま、時間が経つほど、もっと返せなくなった」


 夏希は、途中で口を挟まなかった。


 最後まで聞いてから、静かに尋ねた。


「何があったかは、まだ、話しにくい?」


「……うん。どう話したらいいのか、分からない」


「そっか」


 机の端へ目を落として、彼女は一度だけ頷いた。


「元気なのかは、知りたかった」


「……ごめん」


「うん」


 すぐに、気にしなくていいとは言われなかった。


 だから、今度は、目をそらさずに聞こうと思った。


「また、返事できなくなったら、今は無理って、それだけでも送って」


「うん」


「それも大変なときは、遅くなってもいいから」


「……分かった」


 何でも話すと、約束することはできなかった。


 でも、何も返さずにいることとは、違う。


 今は無理だと、伝えてもいい。


 その言葉を、覚えておこうと思った。


「今は?」


 夏希が聞いた。


「こうやって話してても、大丈夫?」


「うん」


 今度は、すぐに答えられた。


「話せて、うれしい」


 夏希の肩が、少しだけ下がった。


「……私も」


 そこから先は、どちらも、言わなかった。


 言えなかったことなら、大学のころから、あった。


 隣でゲームをしているだけで十分だと思った日も、そのあと、もっと何か言えばよかったと思った日も。


 今、向かいの席で笑う夏希を見ていると、そのころの自分が、少しも遠くなかった。


「ねえ。久我さんには、私と知り合いだって……言えるわけないか。さっき、分かったんだもんね」


「うん」


「私も、まだ、何も言ってない。大会で話したことくらい」


 夏希は、少し声を落とした。


「昔のこと、話さないほうがいい?」


 僕は、胸元の名札を見た。


 音無せら。


 ついさっきまで、この名前で呼ばれるだけでも、不思議な気がしていた。


「……今は、そうしてもらえると、助かる」


 隠してほしいと頼むのは、身勝手かもしれない。


 それでも、曖昧に頷くだけには、したくなかった。


「男だってことは、社長と久我さんには話した。でも、昔のチームのこととか、NILだったことまでは、話してないんだ」


「うん」


「大学で一緒だったって話したら、そのころのことも聞かれると思う。何でやめたのかとか、今まで何をしてたのかとか」


 まだ、答えられないことが、いくつもあった。


 夏希にさえ、全部は話せていない。


「まずは、音無せらとして、やることを覚えたい。今日、初めてレッスンを受けて……それだけでも、結構、いっぱいだったから」


「そっか」


 夏希は、僕の名札へ目を落としてから、頷いた。


「分かった。じゃあ、他の人がいるところでは、今日が初対面」


「ありがとう」


「でも」


 彼女の視線が、戻ってきた。


「二人のときは、普通に話していいんだよね?」


「……うん。そうしてもらえたら、うれしい」


「直人って、呼んでも?」


 名前を聞いただけで、胸が忙しくなった。


「うん。僕も、夏希って呼んでいい?」


「もちろん」


 即答してから、夏希は少しだけ、唇を結んだ。


「……じゃあ、秘密の友達、だね」


 友達。


 その言葉に、ほっとした。


 もう一度、そう呼んでもらえることが、うれしかった。


 その先まで欲しくなる気持ちは、今は、胸の奥へ置いておく。


「仕事のときは、先輩と後輩で」


 僕が言うと、夏希は、ちょっとだけ背筋を伸ばした。


「そうだよ。私、先輩だから」


 知っている。


 登録者が二百万人を超えていて、ゲームも歌も、たくさんの人の前で披露している。


 僕が、その人と同じ事務所に入ったのだ。


「分からないことがあったら、聞いていい?」


「もちろん」


「今日、資料だけでも、結構もらって」


「……契約とか、手続きは、久我さんに聞こうね」


 頼れる先輩からの、一つ目の助言だった。


 少なくとも、間違いはなさそうだった。


「そうだ。直人、前の連絡先って、まだ使ってる?」


「残ってるよ」


 僕は、スマートフォンを取り出した。


 アプリのアイコンは、ずっと、同じ場所にあった。


 画面を開く。


 夏希の名前を探すのに、少し時間がかかった。


 見つけて、指を止めた。


 古い日付の下に、彼女からの短いメッセージが残っていた。


 僕の返事は、その下になかった。


「……あった」


「私、変えてないから。たぶん、それで届くと思う」


 文字を入力する。


 何度か消して、結局、短い文になった。


『今日は、ありがとう』


 送信を押した。


 向かい側で、夏希のスマートフォンが震えた。


「今、言ってくれてもいいのに」


 画面を見ながら、夏希が笑った。


「……返せてなかったから」


 笑い声が、少しだけ小さくなった。


 彼女は画面に指を滑らせた。


 今度は、僕の手の中で、スマートフォンが震えた。


『また話そうね』


 古い会話の続きに、今日の日付が増えた。


 僕は、その短い一文を、しばらく見ていた。


「お仕事の連絡は、事務所のほうでするとして」


 夏希が、自分の画面を指した。


「こっちは、用事なくても送っていい?」


「うん」


「今日、これ食べた、とか」


「うん。そういうので、いいよ」


 そういうのが、よかった。


 会わなかった間の全部を、今日中に埋めることはできない。


 でも、今日の晩ご飯の話なら、できる。


 それを聞いて、僕も何か返すことができる。


 画面の上に、新人用の連絡先から通知が出た。


 店の場所が届いていた。


 時計を見ると、久我さんが言っていた時間まで、もう、あまりなかった。


「このあと、同期のみんなと、ご飯に行く約束をしてて」


「あ、そうなんだ。じゃあ、行かないと」


 夏希も時計を見た。


「私も、配信の準備しなきゃ」


 椅子を引く音が、二つ重なった。


 僕は足元から袋を持ち上げた。


「直人」


 扉へ向かいかけて、振り返る。


「また、ゲームしようね。配信じゃないときに」


「うん」


「今度は、三本、全部取るから」


 大会のあとの一対一では、僕が一本、夏希が二本。


 あれで満足するつもりは、ないらしい。


「……僕も、次は勝ちたい」


 言うと、夏希は楽しそうに笑った。


 ああ、この顔だ。


 僕はまた、見てしまった。


「じゃあ、予定、あとで送るね」


「うん。待ってる」


 扉の前で、彼女が一度、足を止めた。


 僕の名札を見て、少しだけ、声を明るくする。


「今日は来てくれてありがとう、せらちゃん」


 急に、事務所の先輩になった。


 僕も背筋を伸ばした。


「こちらこそ。……ほしな先輩」


 呼んでから、お互いの顔を見た。


 夏希の口元が、わずかに緩む。


 つられて笑いそうになって、僕は、一度だけ下を向いた。


 扉を開ける前で、よかった。


「……またね、直人」


 最後に、静かな声で呼ばれた。


「またね、夏希」


 今度は、僕も、名前を返せた。


 廊下へ出ると、少し先に、資料を抱えたスタッフの姿があった。


 夏希はいつもの明るい声で挨拶をして、僕も頭を下げた。


 誰も、僕たちが昔から知り合いだったことを知らない。


 ポケットの中には、さっき届いたメッセージがある。


 また、話していい。


 その短い約束を持って、僕は、同期たちの待つ店へ向かった。


 何を食べるかより先に、あとで夏希へ何を送ろうかと考えていた。


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