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推しに勝ったご褒美はオフレコで!? ~元FPS日本代表、男なのに女性限定VTuber事務所に採用されました~  作者: ぽんさん
【アーカイブ02】 「はじめまして」の続きは二人きりで

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18/23

【配信17日目】 推しと初対面。……はじめまして? 【音無せら/月乃ほしな/四季野すず/久我】

「何か、歌い慣れている曲はありますか」


 身体をほぐしたあと、先生は電子ピアノの前へ座った。


 順番に短く歌って、今の声を聞いてもらうらしい。


「ほしなさんの曲なら、覚えています」


「どの曲にしましょうか」


 考えた。


 昨日聞いた曲。一昨日、帰り道に聞いた曲。その前の配信で、本人が歌っていた曲。


「……だいたい、どれでも」


 隣で、すずさんがこちらを向いた。


 言ってから、少し答え方を間違えた気がした。


「上手に歌えるという意味ではなくて、歌詞を覚えているというか」


「うん。好きなんだなって思っただけ」


 訂正したところまで、全部含めて伝わっていた。


 先生は笑って、『きみ待ちステップ』の歌詞を用意してくれた。


「では、この曲の最初から。途中までで大丈夫ですよ」


 知っている曲だった。


 それなのに、鍵盤から出てきた前奏は、いつもよりずっと短く感じた。


 歌い出しは合った。


 次の言葉も、ちゃんと出た。


 その次の、少し長いところで、急に息が足りなくなった。


 あと二文字。


 知っている。何の言葉かも、どう歌うかも。


 その二文字が、やけに遠かった。


 なんとか最後まで伸ばしたところで、伴奏が止まった。


「ありがとうございます。声、きれいですね」


「……ありがとうございます」


「途中、苦しくなりました?」


「最後の方が、少し」


「ここで一度、息を吸ってみましょう。つなげようとしなくて大丈夫です」


 先生の指が、歌詞の途中を示した。


 そこに、小さく線を引く。


 ほしなが歌っている時、ここで息を吸っていたかどうか、僕は覚えていなかった。


 歌詞は知っていた。


 振りも、画面で何度も見ていた。


 自分がどこで息をするかは、今日、初めて考えた。


「もう一度、今のところだけ。肩も、少し楽にして」


 背筋を伸ばし直すと、先生が小さく首を振った。


「そこまで頑張らなくていいですよ」


 姿勢をよくしようとした分を、少し戻す。


 鍵盤が鳴った。


 さっき線を引いたところで、息を吸う。


 今度は、最後の二文字まで届いた。


 歌い終わると、すずさんが膝の上で小さく手を叩いた。


「最後まで聞こえた」


「はい。今の方が、出しやすかったです」


 僕は歌詞の線を、もう一度見た。


 知っている曲の中に、自分のための印が一つできていた。


     *


 すずさんの番になると、部屋の音が変わった。


 声が大きい、というだけではなかった。


 鍵盤の音に重なっても、言葉の終わりまで、はっきり聞こえる。


 先生の伴奏に合わせて、すずさんの足先が少し動いた。歌っている間も、さっき隣で話していた時の表情が残っていた。


 楽しそうだった。


 僕は、手元の歌詞を見るのを忘れた。


 短い歌が終わる。


 先生がいくつか話すのを聞いてから、すずさんはこちらへ戻ってきた。


「どうだった?」


「すごかったです」


 言ってから、これでは何も伝わらないと思った。


「聞いていて、歌詞がちゃんと分かりました。楽しそうなのも」


「ほんと?」


 すずさんの目元が、少し緩んだ。


「よかった。最初、声が小さくなりそうだったから」


「そうだったんですか」


「うん。でも、せらちゃんが聞いてるのが見えて、ちょっと安心した」


「僕、見ているだけでしたけど」


「最後まで聞いてくれたでしょ。あれ、うれしかった」


 彼女は自分の歌詞の紙を、膝の上で揃えた。


 その端が、少しだけ曲がっていた。


 歌う前、僕が自分の紙を持ち直していた時、彼女も同じように緊張していたのかもしれない。


「次は、もうちょっと顔を上げて歌いたいな」


 そう言って、すずさんは先生の方へ向き直った。


 できる人にも、次に練習したいことがあった。


 僕は、息継ぎの印をつけた紙を、折れないように置いた。


     *


 休憩を挟み、今度はダンスの先生が前へ立った。


 最初に習うのは、短い八拍分の動きだった。


 右へ一歩。足を揃える。


 左へ一歩。揃える。


 それを、もう一度。


「まずは足だけで、やってみましょう」


 できた。


 鏡に映る自分を見ながら、もう一度やってみる。


 できた。


 そこに手がついた。


 できなくなった。


 最後の二拍で、両手を斜め上へ開く。


 それだけなのに、手を上げた瞬間、足が止まった。


 隣のすずさんは足を揃えて、すっと元の位置へ戻っている。


 僕だけが、両手を上げたまま取り残されていた。


「音無さん、そこで終わりじゃないですよ」


「はい」


 腕を下ろし、位置へ戻る。


 終わりにしたつもりはなかった。


 足への連絡が途切れただけだった。


「足は、さっきできていた動きで大丈夫です。手をつける時も、リズムを続けてみましょう」


 先生が、ゆっくり数える。


 右。揃える。左。揃える。


 次の右。


 ここまでは合っている。


 その次。


 手を上げる方を考えたら、足を揃えるのが遅れた。


 遅れた足を戻すために、下を見る。


「そう。お顔も、少し上げられるといいですね」


 顔。


 まだあった。


「表情までできると、もっとよくなります」


 鏡を見た。


 そこには、極めて真剣な顔で、間違った場所に立っている人がいた。


「すみません」


「はい」


「笑顔は、足が戻ってからでもいいですか」


 先生が口元を押さえた。


 隣からも、こらえ損ねた声がした。


「はい。順番にいきましょう」


「ありがとうございます」


「せらちゃん、交渉しないで」


 すずさんは、笑いながら目尻を拭いていた。


「全部は、まだ難しくて」


「分かるけど。そんなにちゃんとお願いすると思わなかった」


 自分でも、おかしくなって笑った。


 先生がこちらを指した。


「表情は、今のでいいです」


 踊っていない間に、一つだけ合格をもらった。


     *


 音楽が止まり、各自で少し確かめる時間になった。


 ほかの新人たちも、鏡を見たり、隣の人と数えたりしている。


 僕は床のテープのそばで、自分の靴を見下ろしていた。


 頭では、どこへ動くか分かっている。


 先生がやれば、違いも分かる。


 それを自分でやると、覚えた順に動かすだけで精いっぱいになった。


 ゲームなら、見てから指を動かせる。


 今日は、その先に肘も膝もあった。


「最後のところ、もう一回やる?」


 すずさんが隣へ来た。


「あ、大丈夫で――」


 言いかけて、自分の足を見た。


 大丈夫だったところは、さっきまでだ。


「……すみません。手を上げるところ、見てもらってもいいですか」


「うん。私、横でやるね」


 すずさんは僕と同じ方を向いた。


 鏡の中で、二人が並ぶ。


「最初は、手を上げなくていいから」


「はい」


「最後まで足だけ。私が上げるところ、見てて」


 彼女が、小さく数え始めた。


 右。揃える。


 左。揃える。


 もう一度、右。


 すずさんの手が、最後の一歩と一緒に上がった。


 僕の足も止まらずに、元の幅へ戻った。


「ここですか」


「そう、今のところ。止まってから上げるんじゃなくて、一緒」


 僕は、さっきの自分を思い出した。


 足を間違えないようにと考えて、一歩ずつ確かめていた。その確認が終わってから、手を動かそうとしていた。


 それでは、間に合わない。


「一度、ゆっくりやってもいいですか」


「もちろん」


 すずさんの数える声が、遅くなった。


 歩幅を小さくする。


 手を上げる一歩の、少し前から準備する。


 左へ出るのと一緒に、腕を開いた。


 足を寄せた。


 両方、動いた。


「そう!」


 すずさんの声が近くで弾んだ。


 つられて横を見ると、彼女も両手を上げていた。


 鏡に映った形は、まだ、だいぶ違っていた。


 僕の肘は少し曲がっているし、開いた足の幅も狭い。


 でも、途中で止まらなかった。


「今、最後の足も揃ったね」


「はい」


「もう一回、できそう?」


「……やってみたいです」


 すずさんが頷いて、腕を下ろした。


 教えてもらったばかりの動きを、同じ速さでもう一度。


 今度も、最後までいけた。


 先生の見回りが僕たちのところへ来る。


「よくなりましたね。次は、音に合わせてみましょう」


 音楽が戻ると、また少し遅れた。


 それでも、どこで遅れたかは分かった。


 次は、手の準備をもう少し早くする。


 うまくいかないところに、次に試すことができた。


     *


 終わった頃には、壁際に置いていた水が半分以下になっていた。


 タオルを首へ当てて、息を整える。


 鏡の中の僕は、朝より少しくたびれていた。


 何時間か前まで、終わったあとに推しと会うことばかり考えていた。今は、その前にシャツを着替えられるのがありがたかった。


「お疲れさま」


 すずさんが、自分の水を取りに来た。


「お疲れさまでした。教えてくれて、ありがとうございます」


「ううん。最後、一緒にできてよかった」


 彼女は水を飲んで、ふたを閉めた。


「歌とダンス、どっちが難しかった?」


「ダンスです」


「即答だった」


「歌は、少なくとも立っている場所は合っていたので」


 すずさんが、また笑った。


 それから、自分が使った歌詞の紙を鞄へ入れた。


「ゲームの時は、私の方がいっぱい聞くと思う」


「はい。僕で分かることなら」


「手と足が止まっても?」


「ゲームなら、足は止めていて大丈夫です」


「そっか。私、それは得意かも」


 鞄を持ち上げた彼女に、僕は床を指した。


「タオル、落ちています」


「あっ、ありがとう。ちゃんと持ってきたのに、ここで忘れるところだった」


 すずさんが拾って、鞄へしまう。


 僕も歌詞と水を袋へ入れた。


 帰ってから見る紙が、仕事以外で増えていた。


 部屋の入口から、久我さんの声がした。


「音無さん。お着替えが済んだら、ご案内できます」


「……はい」


 返事が、少し遅れた。


 すずさんがこちらを見る。


「いよいよだね」


 さっきまで、手と足のことでいっぱいだった。


 空いたところへ、予定の続きが一度に戻ってきた。


 ほしなに会う。


 今日のレッスンは、その前にあったのだった。


「私たち、着替えたら先にお店へ行ってるね。グループにも送っとく」


「分かりました。終わったら、連絡します」


「うん。いってらっしゃい」


 すずさんが手を振った。


 僕も小さく振り返して、個別の着替え部屋へ向かった。


     *


 シャツのボタンを留めるのに、いつもより時間がかかった。


 指が疲れているわけではなかった。


 姿見を見て、襟を直す。


 直したあとで、もう一度見た。


 朝と同じ服だった。


 特別なものは着てこなかったし、今から変えることもできない。


 せめて、前髪が変な方へ向いていないか確かめた。


 机の上には、Tシャツから外した『音無せら』の名札があった。


 それを、シャツの胸元へつけ直す。


 会ったら、何を言おう。


 この間は、ありがとうございました。


 今日から、お世話になります。


 これからも、配信を楽しみにしています。


 最後の一つが、少し違う気がした。


 楽しみにしているのは本当だけれど、これからは同じ事務所で活動する側でもある。


 先輩として、どう挨拶するのがいいのだろう。


 決めきれないまま、荷物をまとめた。


 廊下では、久我さんが待っていた。


「体調は大丈夫ですか」


「はい。思っていたより、身体を使いました」


「初日ですから、今日は帰ったらゆっくり休んでくださいね」


 歩きながら、久我さんが予定を確かめる。


「このあと、月乃さんとお話ししていただいて、その後は皆さんのお食事へ。お荷物は、お部屋に持って入って大丈夫です」


「分かりました」


 手元の袋を持ち直す。


 室内用の靴も、タオルも、もう役目を終えていた。


 これから会う人は、画面の中にいない。


 夜空色の髪も、三日月の髪飾りも、たぶん、今日はついていない。


 どんな顔をして、どんな服を着て、いつもあの声を出しているのだろう。


 考えようとしても、思い浮かぶのは、配信で見慣れたほしなの笑顔だった。


 素顔を知っている人は、僕よりずっと前からいる。


 これまで一緒に仕事をしてきた人たちには、それが普通のことなのだ。


 その普通の中へ、自分も入っていく。


 楽しみだった。


 ただ、胸の奥が落ち着かなくて、歩く速さを久我さんに合わせることばかり気にしていた。


 廊下を曲がったところで、久我さんが足を止めた。


「こちらです」


 扉を、軽く叩く。


「お待たせしました。音無さんをお連れしました」


「はい。どうぞ」


 扉の向こうから、声がした。


 ヘッドホンも、スピーカーも通っていない声だった。


 返事をする準備もないのに、背中が伸びた。


 久我さんが扉を開ける。


「失礼します」


 彼女に続いて、僕も部屋へ入った。


「こちらが、月乃ほしなさんです」


 机の向こうにいた女性が、立ち上がった。


 明るい色のブラウスに、薄手のカーディガン。


 肩から流れた髪を耳へ掛けて、こちらを見た。


 目が合った。


 知っている顔だった。


 配信で見たことのない顔を、僕は知っていた。


 隣の椅子が寄ってきた時。


 二台並べたモニターの、向こう側を指していた時。


 勝ったあと、僕より先にヘッドセットを外して笑った時。


 何度も、見ていた。


「……えっ」


 声が出た。


 彼女の唇も、わずかに開いた。


 目が、少し大きくなった。


 星野夏希だった。


 何年も会わずにいた、昔のチームメンバー。


 隣に座るだけで、話の続きを一度聞き逃してしまうくらい、好きだった人。


 その人が、机を挟んだすぐ向こうにいた。


 夏希。


 名前が声になる前に、彼女が小さく息を吸った。


「……はじめまして。月乃ほしなです」


 明るい声だった。


 仕事から帰って、毎晩のように聞いていた声。


 大会で、僕の名前を呼んでくれた声。


 それが、見覚えのある唇から出ていた。


 ほしな。


 夏希が。


 頭の中で、別々だった二人の姿が重なった。


 彼女は胸元の名札へ目を落とし、すぐに僕の顔へ戻した。


 笑っていた。


 けれど、机の端へ添えた指は、そこで止まっていた。


「音無さん、緊張されますよね。ゆっくりで大丈夫ですよ」


 久我さんの声がした。


 僕は、ようやく隣に人がいることを思い出した。


 紹介してもらったばかりなのに、まだ、挨拶を返せていなかった。


 夏希は、僕を見ていた。


 その視線から、目をそらせなかった。


 会いたかった。


 会えたら何を言えばいいのか分からなくて、ずっと会わずにいた。


 今日、その人に会うために、僕はここへ来ていた。


 知らないまま。


 口の中に残っていた名前を、飲み込んだ。


 胸元の『音無せら』に、一度だけ指を触れた。


 少しだけ、頭を下げる。


「……はじめまして。音無せらです」


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