【配信16日目】 顔合わせだけで、もう予定がいっぱいです 【音無せら/四季野すず/久我】
「で、最終回はどうなったんですか」
「そこなんだけど、まず第一話でね」
結末だけ聞くつもりだったけれど、先輩のドラマ解説は第一話から始まるらしい。
朝倉先輩は、お弁当の横に小さなメモ帳を置いていた。紙には人の名前がいくつかあって、線でつながっている。
先週、最終回の話を聞くと約束した。僕は見ていないので、誰と誰が付き合ったかまで遠慮なく話せるらしい。
その、誰と誰かを説明されている。
「この人が主人公で、こっちが同じ会社の子。で、この子は昔から知り合いなんだけど、再会するのが三話」
「はい」
「この二人が会っちゃった時に、店長がね」
「……先輩」
「うん?」
「この店長さん、全員から好かれてませんか」
メモの真ん中にいる人へ、あちこちから矢印が向いていた。
今のところ、圧倒的だった。
「あ、それ、パンを買ってる線」
「パンを」
「みんな、ここのパン屋さんに来るの。商店街が舞台だから」
恋と買い物を、同じ線で描かないでほしかった。
「ここだけ点線にしてもいいですか」
「あはは。ごめん、そこから分かんないよね」
先輩がペンを貸してくれた。
パン屋さんへの線を直すと、恋愛の行方は急に読みやすくなった。店長には、本業に専念してもらうことにした。
「先輩は、どの人を応援してたんですか」
「この子。自分からは、あんまり言わない子」
ペンの先が、一人の名前を叩く。
「相手の都合ばっかり気にしてさ。今じゃない、今じゃないって。で、最終回でやっと言うの」
「よかったですね」
「そう。その話がしたかったの」
先輩が笑って、お弁当へ箸を戻した。
壁の時計を見る。まだ、少し時間があった。
「何て言ったんですか」
先輩の箸が、もう一度止まった。
聞きどころを間違えなかったらしい。
午後の始業まで、今度は僕から質問をする番になった。
*
日曜日。
リプラインの受付で、僕は靴の入った袋を持ち直した。
この建物へ来るのは、三度目だった。
一度目は、断るつもりで。
二度目は、書類に名前を書くために。
今日は、歌って踊るために来ている。
通うたびに、持ち物がおかしくなっていった。
新しく買った室内用の靴は、まだ底まで白い。動きやすい服も、昨日のうちに袋へ入れた。
「白瀬さん。お待たせしました」
久我さんが、廊下の奥から来た。
「こんにちは。今日も、よろしくお願いします」
「こちらこそ。着替えのお部屋、先にご案内しますね」
ほかの人と会う前に、小さな部屋へ通された。
机と椅子、姿見。壁にはハンガーが二本掛かっていた。
「中から鍵を掛けられます。お荷物も、今日はここへ置いていただいて大丈夫です」
「ありがとうございます」
「それと、こちらを。着替えたあとで、つけてください」
渡された名札には、『音無せら』と印刷されていた。
僕はそれを、机の上へ置いた。
月曜日の夜に気になったことは、その週のうちに久我さんへ相談していた。
ほかの新人たちは、たぶん、僕を女性だと思っている。
こちらから説明するのか、と尋ねると、事務所から個人の情報をまとめて伝える予定はない、という返事だった。必要なことは、その都度相談して決めましょう、とも。
着替える場所をどうするかは、それで一つ片づいた。
顔を合わせて、何を話すかは、まだ残っていた。
僕は男だ。
白瀬直人、二十二歳。普段は会社で、数字や日付の間違いを直している。
その僕が、女性限定のアイドルVTuber事務所で、新人の顔合わせに参加することになった。
書類に間違いはない。
久我さんも社長も、知っている。
知ったうえで、今日の予定が組まれているのだった。
「着替えが終わったら、隣のお部屋へどうぞ。まだ少し時間がありますから」
久我さんが出ていってから、僕はシャツを脱いだ。
灰色のTシャツと、紺色の動きやすいズボン。買う時に試したので、膝はちゃんと曲がる。
踊れるかどうかまでは、店で確かめられなかった。
靴を履き、袋を畳む。最後に、胸元へ名札をつけた。
姿見の前で、一度だけ背筋を伸ばした。
もらったラフの中のせらには、灰銀色の髪と、青灰色の目がある。
ここにいるのは、いつもの黒髪の僕だった。
それでも今日は、あの名前で呼ばれる。
扉の前で、小さく息を吐いた。
*
隣の部屋では、もう話し声がしていた。
開いていた扉を軽く叩く。
「失礼します」
「あ、せらちゃん?」
窓側にいた女の子が、こちらを向いた。
明るい茶色の髪を、後ろでひとつに結んでいる。顔の横で少しだけ残った髪が、振り向いた拍子に揺れた。
白いTシャツに、淡い桃色のパーカー。胸の名札には、丸みのある字で『四季野すず』と書いてあった。
「四季野すずです。グループで話してた、すず!」
「はい。音無せらです。はじめまして」
「はじめまして! やっと声で話せたね」
笑うと、目元も一緒に動いた。
スマートフォンの画面で想像していた人が、そのまま声を出したようだった。
「今日、来るの迷わなかった? レッスン、どっちも初めてなんだよね。あ、歌は普段から歌ったりする?」
「ええと」
答えを、三つ並べた。
迷ってはいない。
初めてだ。
歌は、部屋で小さく歌うくらいなら。
「飲み物、そこにあるよ。お茶とお水。どっちがいい?」
四つになった。
「お水を、お願いします」
「あ、うん。はい」
ペットボトルを渡しかけたところで、すずさんが止まった。
「私、今、いっぱい聞いた?」
「少し」
「ごめん。会ったら話そうと思ってたこと、一気に言っちゃった」
「道は、大丈夫でした」
「ちゃんと一個目から答えてくれてる」
すずさんが口元を押さえて笑った。
僕も、水を受け取りながら少し笑った。
「じゃあ、一個ずつにするね」
彼女は隣の椅子を指した。
「ここ、座ってもいい?」
「はい」
「よし。一個目、終わり」
椅子が引かれる。
今度は、次の質問がすぐには来なかった。
僕が荷物を脇へ置いて、ペットボトルのふたを開けるまで、すずさんも自分の飲み物を持って待っていた。
「歌もダンスも、習うのは初めてです」
「普段は歌ったりする?」
「一人のときに、少し口ずさむくらいです」
「そっか。人前だと、ちょっと緊張するよね」
「すずさんは、慣れてるんですか」
「歌うのは好き。でも、こういう場所は私も緊張する」
そう言って、彼女は膝の上の紙を見せた。
持ち物の一覧だった。
靴。タオル。飲み物。
それぞれの横に、チェックがついている。
「駅でも確認したのに、さっき、また見ちゃった」
靴の項目へ目を落としてから、すずさんは自分の足を見た。
もう、履いていた。
僕は笑いかけて、鞄へ伸ばしていた手を引っ込めた。
タオルを持ってきたか、もう一度確かめるところだった。
「僕も、あまり人のことは言えません」
「じゃあ、お互い何か忘れてたら貸そうね」
「はい」
まだ緊張はしていた。
でも、何かあった時に話しかける相手は、ひとりできた。
*
十三時になり、久我さんが部屋の前へ立った。
机の周りには、ほかの新人も集まっている。僕と同じように配られた名札をつけた人も、先に着替えを済ませていた人もいた。
歌が好きな人。
絵を描く人。
動画を作っていた人。
自己紹介が進むたびに、名前の下へ、覚えることが増えていった。
次は、すずさんだった。
「四季野すずです。歌と、おしゃべりが好きです。前に少しだけ配信をしてたんですけど、ここでは初めてのことばっかりなので、一緒に覚えていけたらうれしいです」
さっき僕に話しかけた時より、少しだけ声がはっきりしている。
机の端にいる人まで、順番に見ていた。
「ゲームも好きです。上手ではないです。好きなのは、本当です」
そこを分けて言ったので、何人かが笑った。
「一緒に遊んでもらえたらうれしいです。よろしくお願いします!」
小さな拍手が起こる。
すずさんが座って、僕を見た。
次だった。
名札の字を、指先で一度なぞる。
「音無せらです」
名乗ると、何人かが顔を上げた。
「ゲームが好きで、主にFPSをやっています。歌とダンスは、これから教わります。配信も初めてなので、分からないことが多いと思いますが、よろしくお願いします」
頭を下げた。
拍手をもらって、座った。
用意したことは、全部言えた。
あまり長くもならなかった。
隣ですずさんが、小さく親指を立てた。
僕も返そうとして、なぜか軽く頭を下げてしまった。
それでも、伝わったらしい。
彼女は笑って、前へ向き直った。
予定の説明が終わると、レッスン前に少し休憩を取ることになった。
資料を閉じたところで、すずさんがこちらへ椅子を向ける。
「FPS、よくやるんだね」
「はい。最近は、LAST CIRCLEを」
「あ、それなら私もやった! 友達と一緒に」
「デュオですか」
「うん。私、離れるとすぐ迷子になるから、ずっと友達についていってた」
すずさんは、指で小さく人が歩く真似をした。
「でも、友達が撃たれると、私も一緒に撃たれるんだよね」
「同じ場所にいると、二人とも狙われやすいので」
「そうなんだ」
「少し横へずれると、相手がどちらを見るか迷います。味方が隠れている間に、自分が撃てることもありますし」
「へえ。後ろじゃなくて、横」
「はい。建物があるなら、同じ窓から二人で出るより、別の窓を使って――」
言いかけて、止まった。
ここには、ゲームの画面がなかった。
僕は机の上の水を見ていた。隣にすずさんのペットボトルがあって、資料の束があった。
危うく、全部を動かすところだった。
「……すみません。長くなりました」
「え、聞きたい。どの窓?」
すずさんが、資料を少し持ち上げた。
「これ、家にする?」
隣の席からも、笑い声がした。
僕は少し迷ってから、自分のペットボトルを置き直した。
「じゃあ、これが僕だとして」
「うん。こっちが私ね」
すずさんが自分の水を、その真後ろへ置いた。
「いつも、これくらい」
「近いですね」
「安心するから」
言いながら、本人はペットボトルのほうを見ている。
僕は自分の水を少し横へ動かした。
「これなら、お互いが見えます。何かあったら戻れますし」
「ああ。見えなくなるまで離れなくていいんだ」
「そうです」
「じゃあ、できそう」
そう言ってから、すずさんは顔を上げた。
「今度、一緒にやってくれる?」
「僕でよければ」
「やった。あとで予定聞いてもいい?」
「はい」
返事をしてから、また一つ増えた、と気づいた。
何も予定がなかった日曜日に、人と会う約束ができた。
会ってみたら、今度は別の日に遊ぶ約束ができた。
名前を覚えるだけでは、終わらないらしい。
*
「あ。今日のご飯なんだけど」
休憩の終わり際に、すずさんがスマートフォンを開いた。
「この前の一軒目、日曜も夕方からやってるって。皆も、そこがよさそうって」
「僕も、大丈夫です。ただ、その前に少しだけ、お話しする予定があって」
「うん。何時くらい?」
「久我さんに、確認してきます」
部屋の入口にいた久我さんへ声を掛けると、彼女はタブレットを見てから頷いた。
「月乃さんですね。レッスンが終わる頃には、お時間が取れるそうです。終わったらご案内します」
「ありがとうございます」
「皆さんとのお食事も、間に合うようにしましょう」
席へ戻る。
スマートフォンを持って待っていたすずさんへ、レッスン後に少し会ってから合流することを伝えた。
「ほしな先輩と?」
「はい」
「そっか。私、まだちゃんとお話ししたことないな」
彼女が、廊下のほうを見る。
そこにいるかもしれない人を、僕もつられて探してしまった。
もちろん、誰もいなかった。
「せらちゃん、好きなんだね」
「……分かります?」
「今、顔が変わった」
僕は口元へ手をやった。
すずさんは、楽しそうに笑っている。
「じゃあ、お話し終わったら連絡して。お店に移動してたら、場所送るから」
「ありがとうございます。遅くならないようにします」
「うん。でも、せっかくだから、ちゃんと話してきてね」
急がなくていい、と言われたわけではなかった。
それでも、少しだけ、肩の力が抜けた。
食事の約束も、推しとの面会も、どちらかを断らなくてよかった。
スマートフォンの予定を開く。
顔合わせ。
レッスン。
ほしなと会う。
皆で食事。
その下へ、すずさんとゲーム、と打ちかけて、日付が決まっていないことを思い出す。
ひとまず、メモへ移した。
画面を閉じる前に、『ほしなと会う』をもう一度見た。
もう、今日のことだった。
*
練習室は、思っていたより広かった。
壁一面の鏡に、新人たちの姿が並んでいる。床には色のついたテープが貼られ、端にはスピーカーと、椅子が何脚かあった。
置いていいと言われた場所へ、水とタオルを置く。
すずさんは、僕の隣へ来た。
「ここ、大丈夫?」
「はい」
さっきまで机の上に並んでいた水が、今は壁際に並んでいる。
本人たちの間には、腕を広げられるくらいの隙間があった。
レッスンの先生が、僕たちの前へ立つ。
「こんにちは。今日は最初なので、まず身体をほぐすところから始めましょう」
明るい挨拶に、返事が重なった。
僕も、声を出した。
ここまでなら、できた。
「歌もダンスも、まずは力を抜いて。肩をゆっくり回してみてください」
先生の動きを見て、真似をする。
鏡の中のすずさんは、自然に肩を動かしていた。
僕は、片方を回すと、もう片方までついてきた。
普段、別々に使うようなことをしていなかった。
「せらちゃん」
隣から、小さな声。
「息、止まってるよ」
「……あ」
吐いた。
すずさんが笑う。
「まだ、準備運動だよ」
「準備が、思ったより必要でした」
彼女の笑い声が、少し大きくなった。
僕も笑って、それでようやく、肩が少し下がった。
ゲームのことなら、さっきは僕が話す側だった。
今は隣の動きを見て、先生の声を聞いて、自分の身体へ一つずつ伝えている。
ほしなに会うまでに、まだ歌とダンスがある。
まずは、息をするのを忘れないところからだった。
二章、スタートです!
【アーカイブ02】「はじめまして」の続きは二人きりで、どうぞよろしくお願いします。
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二章からはキャラ同士の掛け合いも増えてきますので、そちらもお楽しみに!
*
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