【配信15日目】 推しからDMが来たので、一回落ち着きます 【音無せら/月乃ほしな/四季野すず】
月曜日、会社では白瀬さんと呼ばれた。
夜、家に帰ると、音無せらさん宛ての案内が届いていた。
どちらも、返事をするのは僕だった。
昨日もらった名前の案には、今日の昼休みに、そのままでお願いしますと返していた。声に出して何度か読んだ。自分で思いついた名前より、ずっとちゃんとしていると思った。
久我さんからは、了承の返事と、次の日曜日の予定が送られてきた。
〈十三時から、新人の皆さんとの顔合わせを行います。その後、歌とダンスの初回レッスンを予定しています〉
仕事のカレンダーを開く。
その日は、空いていた。
昨日、空いていると答えたところだった。
空いていた場所へ、ちゃんと予定が入っている。
何もおかしくはなかった。
歌とダンス以外は。
続きには、持ち物が書いてあった。
動きやすい服。
室内用の靴。
タオルと、飲み物。
僕は椅子に座ったまま、クローゼットを見た。
スーツならある。
仕事に着ていけるシャツも、何枚かある。
でも、人前で踊るための服は、買ったことがない。
そういえば、大学へ持ってきたジャージが、まだ残っていたはずだ。
探すと、引き出しの奥にあった。
広げた。
高校の名前と、僕の名字が、胸に大きく刺繍されていた。
初対面の相手へ、出身校まで一度に伝えられる。
何も喋らなくても、自己紹介が進んでしまう服だった。
僕は、そっと畳み直した。
買おう。
紹介する情報は、自分で選びたかった。
買い物のメモに二つ追加してから、久我さんへ返事を送る。
〈確認しました。日曜日、よろしくお願いします〉
仕事でも使う文章だった。
ただ、今回は会議室へ資料を持っていくだけでは済まないらしい。
*
夕食を食べている間に、新人用の連絡グループへ招待された。
久我さんから、準備期間中の連絡や相談に使ってほしい、と案内がある。
表示する名前は、もう、音無せらへ変えていた。
挨拶を書こうとしたところで、先にメッセージが届く。
〈四季野すずです! すずって呼んでください。よろしくお願いします!〉
しきのすず。
名前の下には、桃の形をしたアイコン。
続けて、ほかの人からも挨拶が来た。
僕も箸を置いて、スマートフォンを両手で持つ。
〈音無せらです。分からないことばかりですが、よろしくお願いします〉
送った。
自分で名乗ると、紙で読んだ時とは違う感じがした。
間を置かず、すずさんから返事が来る。
〈せらさん、日曜日お会いできるの楽しみです!〉
せらさん。
僕だった。
今度は、呼ばれた方でも確かめることになった。
〈ありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願いします〉
〈せらちゃんって呼んでもいいですか?〉
返事を考えている間に、もう一段近くなった。
〈はい。大丈夫です〉
〈やった! 私もすずで大丈夫ですよ!〉
〈分かりました。すずさん〉
〈さん、残ってる笑〉
残してしまった。
会ってもいない人を、いきなり呼び捨てにするのは難しかった。
画面の向こうで笑っている様子が、少しだけ想像できた。
〈あと、レッスンが終わったら、みんなでご飯に行きませんか?〉
食事。
そこまでは、予定表になかった。
でも、日曜日に用事がないことは、ついさっきも確認した。
〈はい。ご一緒できれば〉
〈よかった! 苦手なものあります?〉
〈辛いものは、あまり得意ではないです〉
〈了解です! じゃあ、二軒目に送ったお店はなしで!〉
二軒目。
画面を少し戻す。
僕が返事を考えている間に、お店へのリンクが三つ届いていた。
いつの間に。
〈駅に近いところにしておけば、帰りも楽かなと思って〉
その下で、ほかの人も、一軒目が気になる、と返している。
まだ自己紹介を終えたばかりなのに、帰り道まで決まり始めていた。
僕は一軒目のメニューを開いた。
定食があった。
辛そうではなかった。
〈僕も、こちらのお店で大丈夫です〉
〈せらちゃん、僕っ子なんだ!〉
〈かわいい〉
別の人からも、続けて届いた。
訂正しようとして、指が止まった。
何を訂正すればいいのか、分からなかった。
僕は男なので、僕と書いた。
ここでは、それがかわいいことになるらしい。
〈じゃあ、当日また相談しましょう! レッスン、一緒にがんばろうね〉
小さな桃が、画面の中でぴょんと跳ねた。
続けて届いたスタンプだった。
僕も何か返そうとして、手元にあるものを開く。
了解、と書かれた、やけに深く頭を下げている鳥。
仕事の連絡で使っているものだった。
少し迷って、送った。
鳥は、新人たちの挨拶の下で、精いっぱい頭を下げた。
僕も、日曜日はたぶん、あんな感じになる。
*
食器を片づけ、パソコンの前へ戻った。
ほしなの配信までは、あと十分。
待機画面を開いてから、日曜日の予定をスマートフォンへ移す。
顔合わせ。
歌。
ダンス。
食事。
入れるたび、空いていたところが短くなった。
最後の予定を保存した時、別の通知が出た。
月乃ほしな。
僕は、パソコンを見た。
まだ配信は始まっていない。
スマートフォンへ目を戻す。
動画の通知ではなかった。
事務所の連絡用アプリだった。
〈こんばんは! ほしなです。久我さんから聞きました。これからよろしくお願いします!〉
送り先を確認した。
グループではない。
僕へのメッセージだった。
姿勢を直す。
誰も見ていない部屋で、少しだけ頭も下げた。
それから、返事を打つ。
〈ご連絡ありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願いします〉
続けて、いつも配信を見ています、と打ちかけた。
知っている。
それは、もう本人へ話した。
消した。
〈配信の準備中に、ありがとうございます〉
送ってから、配信までの時間を見た。
あと八分。
返事を長くしすぎただろうか。
〈大丈夫! 準備、終わってるよ〉
すぐに届いた。
〈今日はちゃんと飲み物も置いた〉
報告までしてくれた。
僕は机のコップを見て、少しだけ笑った。
〈日曜日、ほしなも事務所に行くんだ。時間が合ったら、お話ししよ〉
日曜日。
僕は、いま埋めたばかりの予定を開き直した。
文字は読める。
内容だけが、頭へ入るのに少し時間がかかった。
ほしなと会う。
通話ではなく。
同じ場所で。
何度も見てきた立ち絵が頭に浮かんで、それから、違う、と気づく。
来るのは、あの画面の中にいる人だ。
どんな顔をしているか、僕は知らない。
それでも、会いたいと思った。
〈ぜひ、お願いします〉
短すぎたかもしれない。
でも、今はそれ以上、うまく書けなかった。
〈うん! レッスン終わったら、久我さんに聞いてみて。こっちの時間も伝えておくね〉
〈ありがとうございます〉
予定が重なっていないか、もう一度見る。
すずさんたちとの食事は、そのあとで相談できる。
どれくらい話せるのだろう。
最初に、何を話そう。
考えていたら、ほしなから、もう一通来た。
〈この前のゲームの続きも、またやろうね〉
僕の指が止まった。
あの時、確かに約束した。
事務所の人になったから、別の話に変わってしまうわけではなかった。
〈はい。今度は、もう少し勝ちたいです〉
送ってから、少しだけ慌てた。
最初の挨拶で、先輩へ勝ちたいと書いてしまった。
返事は早かった。
〈言ったな?〉
思わず、笑った。
声がなくても、どんな調子で言ったか分かった。
〈ほしなも練習しとく。じゃあ、そろそろ配信行ってきます!〉
〈見に行きます〉
〈ありがと!〉
そこで会話が終わったと思った。
スマートフォンを置きかけたところで、最後の一通が届いた。
〈今度は、直接会おうね〉
画面を、しばらく見ていた。
公開されるコメントではなかった。
何万人もの誰かへ向けた挨拶でもなかった。
返事をするのは、僕だった。
〈はい。楽しみにしています〉
送ってから、スマートフォンを机へ伏せた。
少し間を置いて、また表に返した。
もう一度、読むくらいはよかった。
*
いつもの音楽が流れた。
待機画面が切り替わり、月乃ほしなが現れる。
『こんばんはー! 来てくれてありがと!』
コメントが、一気に増えた。
〈こんばんは〉
〈きたー〉
〈おつかれさま!〉
僕も、挨拶を一つ送った。
ほかの人の挨拶に混ざって、すぐに流れていく。
『今日はね、先に一個だけ聞きたいんだけど。配信のタイトル、日付合ってる?』
〈合ってるよ〉
〈今日は大丈夫〉
『今日は、って何! ……いや、昨日は間違えたけど。直したから!』
ほしなが笑う。
僕も、いつもの椅子で笑った。
机の端には、事務所からもらった資料がある。
スマートフォンには、新しく知った人たちとの連絡先。
誰にも見せるつもりのない、推しとの短いやり取り。
配信が始まっても、それらは消えなかった。
日曜日には、初めて会う人たちがいる。
たぶん、みんな、僕を女の子だと思っている。
久我さんへ相談したいことが、一つ増えた。
それから、歌の先生に、ダンスの先生。
食事へ誘ってくれた同期。
最後に、ほしな。
順番に考えていたら、推しに会えるうれしさだけでは済まなくなってきた。
まず、何を着ていけばいいのだろう。
挨拶は。
歌は。
踊りは、そもそも、どこから練習すればいい。
画面の中のほしなが、ゲームを起動する。
僕はマウスを握りかけて、手を戻した。
今日は、こちらが戦う日ではなかった。
代わりに、日曜日の予定表を開く。
ダンスの文字が、ちゃんと残っている。
推しと一戦したかっただけなのに。
どうして次の日曜日、僕のほうが歌って踊る予定になっているんだ。
ほしなの声を聞きながら、僕は、室内用の靴を買い物リストの一番上へ動かした。
一章の本編はこれにて完結ですが、おまけ(サイドストーリーとあとがき)がもう一話続きます。
引き続きお楽しみください。
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