【配信14日目】 ご報告。推しの後輩になりました 【白瀬直人/久我/榊/朝倉小春】
「面談、どうだった?」
月曜日の昼休み。
朝倉先輩が、お弁当のふたを開けながら訊いた。
僕は、箸の袋を持ったまま止まった。
考えておいた報告は、どれも変だった。
なので、一番短いものにした。
「受かりました」
「……おめでとう?」
先輩は少し考えてから、首を傾げた。
「待って。断りに行くって言ってなかった?」
「そのつもりでした」
「何があったの」
僕にも、全部は説明できなかった。
資料を作って、お芝居をして、歌った。
その順に話しても、途中で別の心配をされる気がする。
「向こうの話を聞いていたら、できそうな形を考えていただいて」
「うん」
「持ち帰って、考えることになりました」
「すごいな、その人」
採用された側ではなく、採用する側を褒められた。
正しいと思った。
「仕事を、もう一つする感じ?」
「始めるなら、副業になると思います。ゲームの配信とか」
先輩の箸が止まる。
「配信の、お手伝い?」
「する方、みたいです」
「あ、出る方なんだ」
少し驚いたあと、先輩は僕を見た。
「そっか。話すの、好きだもんね。好きなことなら」
「そんなに、話してます?」
「この前、五分くらい聞いたよ。最後の一人を倒すまでに、どう動いたか」
覚えていた。
自分では、短くしたつもりだった。
「でも、聞いてて分かったから。何も知らない私にも」
先輩は、そこで話を切って卵焼きを食べた。
普通に言われたので、普通にうれしかった。
何かを目指せと励まされるより、少し受け取りやすかった。
「忙しくなりそう?」
「まだ、準備に時間がかかるそうなので。すぐには」
「じゃあ、しばらくは大丈夫か」
先輩が、お弁当のふたを脇へ寄せる。
「例のドラマ、今週で終わるんだよね」
「ああ。この前、お話しされていた」
「最終回、たぶん誰かに言いたくなるから。来週、ちょっと聞いて」
「僕、見てないですけど」
「うん。だから結末まで話せる」
用途が、はっきりしていた。
まだ見ていない人への配慮が、一周して僕へ来たらしい。
「お昼なら、いつもいます」
「よし。予約した」
先輩が笑った。
僕の予定には、また一つ、話を聞く時間が入った。
そちらは、特に困らなかった。
*
事務所から届いた契約の案には、数字があった。
活動の内容も、収益の扱いも、期間も。
土曜日に聞いた話が、文章になっている。
僕は帰宅後、分からないところへ付箋をつけた。
機材をどうするか。
レッスンに通う曜日。
仕事が長引いて、予定していた時間に間に合わない時は。
まとめて送ると、翌日には久我さんから返事が届いた。
必要な機材は、手持ちを確認してから。
予定の変更は、分かった時点で連絡を。
最初のうちは、一人で始めず、担当と配信の準備を確かめる。
読んでは、付箋を外した。
外した跡には、やれそうかどうかを自分で考える余地が残った。
大きな夢を持った覚えはなかった。
でも、練習を手伝ってもらえて、今の仕事も続けられるなら。
そういう条件を一つずつ足していたら、全部に返事がついてしまった。
会社の副業に関する案内も確認した。
必要な申請には、事務所から届いた活動内容の説明を添える。
勤務時間外に行うことと、本業に支障を出さないこと。
担当から確認を受け、週の終わりには許可の連絡が来た。
活動名もキャラクターもまだ決まっていないのに、社内では先に、僕の副業の準備が整っていた。
最後まで机に残ったのは、練習と仕事を並べた予定表だった。
久我さんへの返信を書いた。
〈ご説明いただいた範囲からでしたら、取り組んでみたいと思います〉
言葉を大きくしないように、読み直す。
送ると、今度は、手続きの日程を尋ねる返事が来た。
日曜日なら、空いていた。
*
二度目の事務所訪問では、受付で迷わなかった。
来客用のカードを受け取り、椅子へ向かう。
壁には、前と同じ合同ライブのポスターがあった。
月乃ほしな。
衣装も、手を伸ばした姿も、変わっていない。
変わっているのは、そこへ書いてある事務所の名前に、自分の書類がつながりかけていることだった。
「お待たせしました」
久我さんが迎えに来てくれた。
今日は、前とは別の部屋へ通された。
テーブルの上には、確認用の書類と、ペン。
マイクは、なかった。
座ると、久我さんが前回の予定表を開いた。
メールでやり取りしたところには、書き込みが増えている。
「お仕事の方も、確認が取れたとのことで」
「はい」
「では、こちらの内容で進めます。公開する活動名や、配信の開始日は、準備をしながら決めていきましょう」
読み終えた箇所を、一つずつ確かめる。
性別の話で止まることは、もうなかった。
契約の担当にも、必要な情報は伝わっていた。
それだけで、今日はずいぶん短く済みそうに思えた。
途中で、扉が二度鳴った。
「失礼します。間に合った?」
榊さんだった。
「はい。最終の確認が終わったところです」
久我さんが答える。
榊さんは空いた席へ腰を下ろし、僕を見た。
「来てくれて、ありがとう。お返事も読みました」
「あの。本当に、できる範囲からになりますけど」
「その範囲を相談するために、今日も久我がいるの」
隣で、久我さんが小さく頷いた。
僕は、机の上へ目を戻す。
読み直した文章だった。
質問したところにも、返事をもらっている。
「……よろしくお願いします」
言ってから、ペンを取った。
日付と、本名を書く。
会社の書類に書く時と、同じ字だった。
ただ、上に印刷されている内容が違った。
タレントとしての活動。
その下に、僕の名前がある。
久我さんが書類を確かめ、控えを渡してくれた。
「お手続きは、これで完了です」
僕はペンを戻した。
終わった。
今度こそ、そう思った。
「それでは、早速ですが」
久我さんが、別の資料を取り出した。
厚さが、少し違った。
「活動の準備について、ご相談させてください」
完了したのは、始めるための手続きだった。
*
最初のページに、女の子がいた。
肩の辺りでふわりと広がる、灰銀色の髪。
片側だけ、小さく編み込まれている。
青灰色の目は、少し眠そうだった。
白を基調にした大きめの上着。その下に、濃い青のプリーツスカート。
首元には細いリボンと、ヘッドホン。
袖から少しだけ指先を出して、こちらを見ている。
まだ色のついていない線もあった。
横には、髪や衣装を変えた小さな絵が並んでいる。
「……かわいいですね」
思ったことが、そのまま出た。
久我さんが、うれしそうに頷く。
「よかったです。今のところ、こちらを中心にご提案しようと思っています」
「新しく入る方の、ですか」
言ってから、二人が僕を見ていることに気づいた。
新しく入る方。
今、この部屋にいる。
「……僕の」
「はい」
久我さんの返事は、短かった。
僕は、もう一度、紙を見た。
かわいい女の子だった。
さっきと同じ絵なのに、急に見方が分からなくなった。
「方向を考えるためのラフです。お話を伺ってからデザインを詰めますので、まだ動くモデルではありません」
久我さんが、横に並んだ小さな絵を指す。
「普段はゆったりしていて、ゲームになると目つきが変わる、という案ですね」
眠そうな顔の隣に、眉を少し下げた真剣な表情があった。
自分がゲームをしている時の顔は、よく知らない。
でも、気の抜けた方には、少し心当たりがあった。
「何か、気になるところはありますか」
訊かれて、紙の中の顔から衣装へ目を移す。
スカート。
リボン。
丸みのある靴。
絵の中の服だということは、分かっている。
それでも、自分の声がこの子の口から出るところを考えると、襟の辺りが落ち着かなかった。
「かわいいとは、思います」
「うん」
榊さんが頷く。
「ただ、それを僕が言うのが、合っているのか」
「好みを聞いているので、合ってる」
自分になる予定の女の子を、自分で褒めていた。
何か一つ、順番を間違えたような気がする。
久我さんが、次のページをめくった。
同じ女の子の横に、文字が添えられている。
〈音無せら〉
その下に、小さく、活動名候補、と書かれていた。
「おとなし、せら」
声に出して読む。
自分の声で、知らない名前が出てきた。
「はい。落ち着いた声や、こちらの見た目に合わせた案です。呼ばれた時の感じも、考えてみてください」
「呼ばれるんですよね。僕が」
「ええ」
紙に書いてある分には、かわいい名前だった。
僕が返事をするところまで考えると、急に難しくなる。
会社では、本名。
ゲームの中では、nemui。
そこへ、もう一つ増える。
名前を呼ばれて振り向くまでに、慣れが必要な仕事があるとは思わなかった。
「今日、ここで確定するものではありません。デザインと一緒に、ご意見をいただければ」
「……分かりました」
僕は、活動名候補の文字に助けられた。
少なくとも、この女の子はまだ、僕より先に自己紹介を済ませてはいない。
ページを戻し、もう一度、二つの表情を見る。
眠そうな顔と、相手をまっすぐ見ている顔。
声も、話し方も、今のものを使えると言われていた。
だとしたら、この見た目で、僕はいつものゲームをすることになる。
そこで、一つ気になった。
「ゲームの方のキャラクターも、変えた方がいいんでしょうか」
「大会で使われていたものですか?」
「はい」
白い髭。
剃り上げた頭。
大きな肩。
この女の子とは、だいぶ違う。
久我さんが手元のパソコンを開いた。
大会の資料から、僕のキャラクターが映った画像を出してくれる。
「こちらですね。変えなければいけないということは、ありませんよ」
画面の中で、白髭の男が立っていた。
久しぶりに会うような気がした。
実際には、家のパソコンを開けば、いつでも会える。
久我さんはその隣へ、さっきのラフを並べた。
灰銀色の髪の女の子。
その横に、事情を聞いてくれそうな大柄な男。
榊さんが、口元を押さえた。
「……保護者同伴みたいになった」
僕も、黙って画面を見た。
女の子は、これから遊びに行くところ。
白髭の男は、帰りの時間を確認しているところ。
そう言われると、そういう絵にしか見えなくなった。
「どちらも、僕なんですけど」
「そうなのよね」
榊さんが、とうとう笑った。
久我さんも、少しだけ口元を緩める。
「配信では、ゲーム画面の隅にこちらのモデルを表示することになりますので。実際にも、両方のお姿が並びます」
両方。
僕が一人でゲームをするだけで、画面の中には二人いる。
しかも、一人はもう一人の帰宅時間を心配していそうだった。
何とも言えない組み合わせを見ていると、僕も、少し笑ってしまった。
「じゃあ、こっちは、このままで」
白髭の方を指す。
格好いいキャラクターを作るつもりだったことは、もう、少し前の話だった。
今さら変える方が、落ち着かない。
「分かりました」
久我さんが頷いて、画像を閉じる。
これから変わるものばかりだった中で、一つだけ、そのまま使うものが決まった。
*
準備の説明は、そこから少しずつ進んだ。
今あるパソコンと、マイク。
配信で使うソフト。
声を出す時間と、部屋の音の入り方。
ゲームの設定なら、どこを開けばいいか分かる。
配信となると、見たことのない項目がいくつもあった。
「ご自宅で設定する時は、一度こちらと通話をつなぎましょう。公開しない状態で試してからです」
「はい」
「自己紹介や配信の進め方も、準備期間中に練習します。今日は、その予定をご相談するところまで」
僕は手元へメモを取った。
何を確かめるかが決まると、少し安心する。
安心するたび、やることが一つ増えていた。
途中で榊さんが、次の打ち合わせへ向かうと言って立ち上がった。
「じゃあ、あとはお願いします」
久我さんへ言ってから、僕を見る。
「改めて、これからよろしくね」
「よろしくお願いします」
僕も頭を下げた。
榊さんが扉を開ける。
誰かに呼び止められ、短く返事をして、そのまま廊下の向こうへ歩いていった。
僕を採った人は、もう次の仕事をしていた。
こちらは、まだ、採られたことを考えている。
「活動に関するご連絡は、当面、私が担当します」
久我さんが、こちらへ向き直った。
「お仕事との調整や、タレントの皆さんとのやり取りで困ったことも、ご相談ください」
「タレントの皆さんとの……」
「はい。ご挨拶の場も、後日設けます」
紙の上の女の子を見た時とは、別の緊張が来た。
画面で知っている人たちがいる。
その人たちに、見に来ました、ではない挨拶をする。
「最初に、何を言えばいいんでしょうか」
「普通に、ご挨拶いただければ大丈夫です」
普通に。
それが一番、準備の仕方が分からなかった。
「新人の方同士でお話しする時間も取りますので、皆さん、同じところからです」
「ほかにも、いらっしゃるんですね」
「ええ。通常のオーディションを経て入られる方たちです。皆さんとの日程も合わせて、改めてご案内します」
同期。
口に出す前に、頭の中へその言葉が浮かんだ。
同じ会社に入った人たち以外にも、そう呼ぶ相手が増えるらしい。
久我さんが、連絡用のアカウントの案内を出した。
登録は、手元のスマートフォンで進める。
活動名はまだ決まっていないので、表示する名前は当面、nemuiのままになった。
画面には、久我さんとの連絡先と、新人向けの案内が並ぶ。
自分の名前の下に、小さく、所属タレント、と表示されていた。
見慣れた五文字に、見慣れない肩書きがついている。
「届いていますか?」
「はい」
久我さんから、短いメッセージが来た。
〈本日はありがとうございました。今後はこちらでもご連絡いたします〉
僕も、挨拶を返す。
普通の連絡だった。
それなのに、その下へ増えていく案内の名前は、どれも普通の会社のものではなかった。
配信テスト。
ボーカルレッスン。
プロフィールの相談。
僕は画面を少し戻し、所属タレントの文字を見直した。
書類へ名前を書いた時より、今の方が、逃げ場のない感じがした。
*
説明が終わると、久我さんは資料を一つの封筒へまとめてくれた。
「次回は、準備の確認とレッスンの日程が決まりましたら。今日はありがとうございました」
「ありがとうございました」
席から立つ。
机の上に忘れ物がないか、確かめた。
ペン。
スマートフォン。
契約の控え。
それから、自分になるかもしれない女の子の絵。
最後の一つだけ、持ち物として慣れる気がしなかった。
廊下へ出ると、別の部屋から、誰かの笑い声がした。
知らない声だった。
そちらを見かけて、すぐ前へ向き直る。
この人も、後で挨拶する相手かもしれない。
そう思っただけで、歩き方まで少しぎこちなくなった。
ロビーへ戻る。
来客用のカードを返す前に、もう一度、合同ライブのポスターが目に入った。
ほしなは、相変わらず楽しそうに笑っていた。
僕は、ほんの少しだけ足を緩めた。
「ほしなにも、所属が決まったことは私からお伝えしますね」
久我さんが言った。
足が、完全に止まった。
「……僕が入ることを、ですか」
「はい。大会の企画をした本人でもありますので」
それは、そうだった。
同じ事務所に入って、当人だけが知らないまま、ということにはならない。
それでも、急に心拍数が上がった。
「今日のことを、どの辺りまで」
「所属が決まったことと、今後、ご挨拶の機会を調整することです。個人情報を添えてお送りするわけではありません」
「そうですか」
息を吐く。
それから、もう一度、ほしなを見る。
向こうは、ポスターなので、何も知らない顔をしていた。
「僕からも、何か」
「直接お話しする機会は作りますから、その時で大丈夫ですよ」
久我さんは、自然にそう言った。
その時。
今度は、もう、大会で優勝する必要はないらしい。
僕は来客用のカードを外し、受付へ返した。
「お疲れさまでした」
笑顔で、そう言われた。
エレベーターへ乗り、降りる階のボタンを押す。
扉が閉まった。
ここへ来る前は、事情を説明したら終わると思っていた。
事情は、全部説明した。
男だということも、会社員だということも、歌もダンスもできないことも。
分かってもらえた。
そのうえで、僕の名前が所属タレントの欄へ入った。
鞄の中には、かわいい女の子の絵がある。
スマートフォンには、事務所からの連絡先。
僕は、鏡のような扉へ映った自分を見た。
会社へ行く時と、同じ顔だった。
アイドルになったようには、とても見えなかった。
それでも、もう、ただの来客ではないらしい。
推しに直接会うより先に。
僕は、その後輩になってしまった。
本日もありがとうございました。
なんとなくお察しかと思いますが、明日で一章完結です!
明日も夜に2話更新いたします。
引き続き見に来てください!
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(筆者は現金なのでやる気スイッチ入れてくださいm(_ _)m)




