【配信11日目】 推しと初通話! ここから先はオフレコで 【nemui/月乃ほしな】
参加のボタンを押す。
短い接続音のあと、丸いアイコンが二つ並んだ。
一つは、大会のロゴ。
もう一つは、見慣れた女の子の顔だった。
『nemuiさん、聞こえますか。大会運営です』
聞こえる。
こちらからは、まだ話せない。
僕はマイクのミュートを解除した。
「はい。お世話になっております。ねむいです」
思ったより、会社の声が出た。
『ありがとうございます。音声、問題ありません』
運営の女性が答える。
その隣のアイコンが、光った。
『……こんばんは。ほしなです』
いつもの声だった。
昨日も聞いた。今日も、ずっと聞いていた。
なのに、返事を待たれているだけで、知っている声ではなくなったみたいだった。
「こ、こんばんは。本日は、よろしくお願いいたします」
『はい。こちらこそ、よろしくお願いいたします』
ほしなの声まで、かしこまった。
一拍、間が空く。
『……なんでほしなまで固くなった?』
「すみません。会社の電話みたいになって」
『大丈夫。今、ほしなも座り直した』
椅子が小さく鳴って、笑い声がした。
僕も、ようやく少し息を吐けた。
『優勝、おめでとうございます。今日は来てくれて、ありがとう』
「ありがとうございます。あの」
『うん』
続きを、待ってくれた。
画面には、流れていくコメントがない。
自分の言葉が追い越されることも、誰かの言葉に混ざることもない。
僕は、練習したとおりに言った。
「いつも、配信を見ています」
『……ありがとう。うれしい』
届いた。
たったそれだけのことに、指先が熱くなった。
予選へ出た日も、本戦へ入る前も、ずっと言えるか心配していた。
言ってみたら、ほしなは、ちゃんと返してくれた。
*
『この通話と対戦は、配信には流れません。私は進行のため同席しますが、プレイ中はマイクを切っていますね』
運営の人が説明した。
『最終審査のご案内は、対戦のあとに少しだけお時間をいただければと思います』
「はい。そちらは、確認したいことがあります」
『承知しました。では、まず賞品の対戦をお楽しみください』
順番は変わったけれど、話す時間はあるらしい。
僕は届いた招待を開き、ゲームの部屋へ入った。
ロビーに、二人のキャラクターが並ぶ。
自分の白髭と、その隣のnanahoshi。
参加者の一覧ではなかった。
この部屋には、僕と、ほしなしかいない。
『狭い練習用のマップで、三本勝負にしようと思ってます。二本先に取った方の勝ち。大丈夫?』
「はい」
『武器と防具は同じ。回復と投げ物はなしで、一本終わるごとに場所を交代します』
説明しながら、設定が一つずつ変わる。
ゲームの話になった途端、ほしなの声は迷わなくなった。
僕はそれを聞きながら、マウスを握り直した。
『ねむいさん、緊張してる?』
「かなり」
『さっき、ほしなに撃たれてる時より?』
「今の方が」
『ええ? 今、まだ何もしてないよ』
返事をしようとして、困った。
何もしていなくても、そこにいるだけで十分だった。
「普段は、画面に向かって喋っても返事は来ないので」
『ああ。そっか』
少し考えるような間。
『でも、来た方がよくない? 返事』
「それは、すごく」
『ふふ。じゃあ、いっぱい返すね』
困った。
何一つ、緊張が解ける方向へ進んでいない。
『いつもは、どの配信を見てくれてるの? やっぱりゲーム?』
「ゲームもですけど、雑談も。歌も見てます」
『歌も!』
「仕事が終わってから、だいたい毎日」
『え、毎日はしてないよ?』
「ない日は、アーカイブを」
アイコンが、光らなくなった。
何か、よくなかっただろうか。
僕は慌てて付け加えた。
「全部を最初から見られるわけじゃないんですけど。帰るのが遅くなった日も、寝る前に少し見ると、笑えるので」
『……ちょっと待って』
「はい」
『それ、こっちも緊張するやつだ』
何かが机へ置かれる音がした。
『先に撃ち合おう。ほしな、褒められたまま待機するの苦手!』
開始のカウントが出た。
推しを褒めたら、戦闘が始まった。
*
小さな倉庫の敷地だった。
左右に並んだコンテナと、中央の木箱。
端から端まで、走ってもそれほど時間はかからない。
体力は満タン。同じライフル。同じ防具。
次の安全区域も、横から割り込んでくる誰かもいない。
向こう側に、ほしなだけがいる。
『いくよー』
「はい」
右のコンテナへ寄った。
角の先を見る。
向こうの木箱の横に、人影が出た。
照準を合わせる。
一発目は当たった。
相手が横へ動く。
追った照準が、肩を少し通り過ぎた。
戻す。
その間に、三発、続けて返ってきた。
画面が暗くなった。
『よしっ!』
「……うわ、強い」
声が、そのまま出た。
『ふふん。さっきの二位を、取り返しに来ました』
一本目。ほしなの勝ち。
狭い場所で、正面から撃ち合うと、反応の速さがよく分かった。
僕の弾が当たっても、照準がほとんど外れない。
やっぱり、うまい。
負けたのに、思わず笑ってしまった。
『あ、今、笑った?』
「すみません」
『なんで謝るの』
「思ってたより、楽しくて」
言ってから、意味が変だと気づいた。
楽しいだろうとは、思っていた。
そうじゃなかったら、ここまで来ようとはしない。
「見るのも好きなんですけど。一緒にやると、こんな感じなんだなって」
『……そっか』
短い返事だった。
それから、少し明るくなる。
『じゃあ、あと二本も楽しんでもらいます!』
「あと一本で終わらせる気は、ないんですね」
『あっ』
間。
『今のは、ねむいさんが強いことを踏まえた、慎重な予測です』
「分かりました」
『本当に分かってる? 笑ってない?』
僕は笑いながら、開始位置へ戻った。
まだ、敬語だった。
でも、さっきより、言葉が出てきた。
*
二本目は、先に姿を見せるのをやめた。
コンテナの横を進み、中央へ通じる隙間の手前で止まる。
足音がする。
近い。
さっきの僕がいた側から、彼女が寄ってくる。
隙間へ、照準を置いた。
すぐには撃たない。
向こうから見える、コンテナの角ぎりぎりではなく、半歩ぶん奥で待った。
人影が横切る。
こちらを向こうとする、その肩へ撃った。
撃ち返される。
僕も体力を削られたけれど、今度は最後まで残った。
『あー! そこ、そんなに引いてたんだ!』
「角を見てました?」
『見てた! そこにいると思った!』
一本ずつ。
同じ装備でも、違う位置から始めるだけで、まったく同じ勝負にはならない。
『さっきの本戦もさ、最後、あの水路から来たでしょ』
「はい」
『ほしな、待たれる場所に出ちゃったんだよね。あれ、来るの分かった?』
「そこを通ってくれたらいいな、くらいです。違う方から来てたら、僕が先に撃たれてたと思います」
『でも、来ると思ったんだ』
僕は、マウスから一度手を離した。
本人に説明するのは、少し恥ずかしかった。
「配信で、よく先に動いてるので。煙が消えるまで待つより、次の場所を取った方がいいって」
『あー、言ってる』
「今回も、区域が近かったですし。煙を出したら、ずっと同じ角では待たないかな、と」
『……待って。ほしな、自分で攻略法を配信してた?』
「攻略法というか、勉強にはなってました」
『それで本人を倒しに来たの!?』
「賞品が、ほしなさんだったので」
言ってから、失礼だったかもしれないと思った。
でも、向こうからは笑い声が返ってきた。
『そっかあ。それは、倒すしかないかあ』
そこで開き直ったらしかった。
『じゃあ、最後は、まだ教えてない方でいきます』
「そんなのあるんですか」
『今から考える!』
三本目が始まった。
*
最初の撃ち合いで、互いに少しずつ当てた。
ほしなが木箱の陰へ引く。
僕は追いかけず、コンテナの角から、反対側の出口を見る。
足音が、一つ。
視点を、そちらへ寄せた。
その瞬間、さっき撃った側から、銃口が出た。
戻した。
間に合わない。
こちらの一発が当たるより先に、体力がなくなった。
『やった!』
ほしなの声が跳ねた。
二対一。
今度は、僕が負けた。
「ああ……今の、逆を見にいった分か」
『うん。ちょっとだけ、音を出して戻った』
「もう一拍、待った方がよかったかな。動く前に、こっち見てた?」
返事がなかった。
僕は、結果の数字から目を離した。
通話は、切れていない。
ほしなのアイコンが、一度だけ光る。
『……ううん。待ってたら、今度はほしなが別の場所から出てたと思う。今のは、こっちの方が先に当てただけ』
ゆっくりとした、返事だった。
そこで、自分の言い方に気づいた。
「あ、すみません。途中から、普通に」
『いいよ』
今度は、すぐに返ってきた。
『そのまま、話してくれていい』
「……はい」
『はい、になっちゃった』
二人で、少し笑った。
画面の中では、僕のキャラクターが倒れている。
さっきは、この人を最後まで立たせるために必死だった。
今は負けたのに、もう一度遊びたいと思っている。
勝った時にしか楽しくないわけではなかったことを、久しぶりに思い出した。
『今日は、一勝一敗だね』
「本戦と、今ので?」
『そう。ほしなも一個、勝ったから』
「じゃあ、引き分けですね」
『うん』
ロビーへ戻ると、二人のキャラクターが、また隣に並んだ。
『……また、一緒に遊んでくれる?』
さっきまでより、少し静かな声だった。
「もちろんです。次の参加型も、応募します」
『大会じゃなくても、いいんだけどな』
僕は、返事に詰まった。
大会じゃなくても。
そんな遊び方は、考えていなかった。
『今すぐじゃなくていいから。運営さんを通して、またお誘いしてもいい?』
「はい。ぜひ」
今度は、考えるより早く答えていた。
『よかった』
その一言が、妙にはっきり聞こえた。
*
『お二人とも、お疲れさまでした』
運営のアイコンが光った。
僕は、反射的に座り直した。
『それでは、nemuiさん。最終審査の件について――』
「あの、その前に、一ついいですか」
ここからは、僕が説明する番だった。
賞品の対戦は、ちゃんと楽しませてもらった。
招待までしてもらったことも、ありがたい。
だからこそ、早めに伝えておいた方がいい。
「案内を確認したんですけど、女性タレントの募集ですよね」
『はい。リプラインの新人オーディションです』
「僕、男なので。対象外だと思います」
言えた。
今度も、ちゃんと届いたはずだった。
『男性、ですか?』
「はい」
少し間があって、運営の人が小さく笑った。
『そんな可愛らしいお声で言われても。ゲームのアバターのことですよね?』
「いえ、ゲームのキャラじゃなくて、僕自身が」
『ふふ。最終審査では、そういうキャラクター設定まで考えてこなくても大丈夫ですよ』
大丈夫ではなかった。
性別を説明したら、設定として処理されていた。
「設定じゃないです。本当に、男なんですけど」
『今も、普段どおりのお声ですか?』
「はい」
『でしたら、そのままで。声を作っていただく必要はありません』
違う。
声の出し方を相談しているのではない。
僕は、マイクを見た。
買った時から、声を勝手に変える機能などついていない。
会社の電話でも、初めて話す相手に女性だと思われることはある。
けれど、普段は訂正すれば、そこで終わる。
今日は、女の子が話しているという前提の方が、ずっと強かった。
「ですから、最終審査は辞退を――」
『あの』
ほしなの声がした。
明るく割って入る声ではなかった。
『一度、本人のお話を聞いてもらえませんか。ちゃんと』
運営の人が、話すのを止めた。
『もちろんです。初めてだと、分からないことも多いですよね』
声は、ますます優しくなった。
男かもしれない、と考え直した様子はない。
緊張している女の子を、ほしなが気遣っている。そう受け取られたらしかった。
ただ、ほしなは、さっきから一度も笑っていなかった。
僕が男だと言った時も。設定だと言われた時も。
その理由を考える前に、話の方が先へ進んだ。
『面談でしたら、平日と土日、どちらがご都合よろしいですか?』
進んだ。
話が、面談の日程まで進んだ。
「あの、僕、会社員なので」
『では、土日を中心に調整しますね。事前にご記入いただく書類も、お送りします』
そういう意味で言ったのではなかった。
ただ、書類があるなら、そこに正しく書ける。
目の前で話せば、声だけで冗談だと思われることもないはずだ。
少なくとも、通話の向こうへ何度も説明するよりは、伝わるだろう。
「それは、事情を説明するだけでも、いいんですか」
『もちろんです。活動内容や、ご不安な点も含めてお話しできればと。面談へいらしたからといって、その場で所属を決めていただくものではありません』
僕は、画面の案内を見た。
最終審査への招待。
その横に、ほしなの丸いアイコン。
『ねむいさん』
「はい」
『お仕事、忙しい?』
「平日は。でも、休日なら」
『そっか』
少し、間を置く。
『ほしなも、また一緒に遊べたらうれしい』
それから、急いで付け加えた。
『審査がどうなったかとは、別で』
胸の辺りが、少しだけ緩んだ。
断ったら、この時間までなかったことになる。
そんな心配を、自分がしていたのかもしれない。
「……ありがとうございます」
僕は、運営の人へ向き直るつもりで、画面の別のアイコンを見た。
「では、お話だけ。土曜日なら、空いています」
『ありがとうございます。候補のお時間をお送りしますね』
キーボードを打つ音がした。
僕はマウスから手を離した。
会えば、分かる。
顔を見て、書類を見て、男だと分かってもらえばいい。
ゲームのキャラクターではなく、僕自身に会ってもらえば。
*
案内が届いたことを確認して、通話は終わることになった。
『今日は、遅くまでありがとうございました』
運営の人の言葉に、僕も頭を下げる。
カメラはつけていない。
それでも、自然とそうなった。
「こちらこそ、ありがとうございました。ほしなさんも」
『うん』
「大会、すごく楽しかったです」
最初に練習していた挨拶には、なかった言葉だった。
でも、今は、それも伝えたかった。
「出てよかったです」
ほしなのアイコンが光った。
少しの間、何も聞こえなかった。
それから。
『……ほしなも。来てくれて、よかった』
僕は、水を飲もうとして、やめた。
もう少しだけ、聞いていたかった。
『またね、ねむいさん』
「はい。また」
今度は、最後の言葉まで聞いてから、退出した。
アイコンが消える。
通話の音も、なくなる。
僕はしばらく、その画面を見ていた。
負けた試合は、二本。
勝ったのは、一本。
今なら、どうすればよかったのか、いくつか思いつく。
でも、結果の見直しをする気には、なれなかった。
ほしなが、また、と言った。
僕も、また、と返した。
次の配信の告知とは、少し違う約束だった。
スマートフォンを持ち上げて、誰かに言いたくなった。
画面をつける。
それから、少し考えて、机へ戻した。
今日、ほしなと話した。
笑った。勝った。負けた。
それを説明する言葉は、今はまだ、うまくまとまりそうになかった。
代わりに、運営から届いた案内を開く。
来週の土曜日。
リプラインの事務所で、面談。
僕は返信欄へ、日程に問題がないことを打ち込んだ。
併せて、男性であることも、もう一度書き添える。
そのうえで会って話せば、お互い、すっきりして終われるはずだ。
少なくとも、今日の大会で一位になるよりは、簡単だと思った。




