【配信10日目】 優勝賞品、聞いてた話と違いませんか? 【nemui/月乃ほしな/月杜しおり】
水路の底を、低く進んだ。
足を動かすたび、浅い水が鳴る。
小さな音だった。
聞こえていないと、思い込めるほどではなかった。
右の縁。
その上の壁。
頭を上げれば、向こうを確かめられる。
今は、上げない。
自分から見えなくなったのと同じように、彼女からも僕は見えなくなっている。
その数秒を、先へ進むために使った。
ポンプ小屋の奥側で、硬い足音がした。
水の中ではない。
地面の上。
止まりかけた指を、動かす。
音だけでは、正確な場所までは分からない。
でも、彼女も動いていた。
さっきまで僕が隠れていた角を、見張り続けてはいない。
水路をまたぐ壁の下へ入る。
一瞬、視界の上半分が暗くなった。
抜けると、すぐ先に、浅く上る傾斜が見えた。
ここだ。
来る前に見ておいた、出口。
僕は勢いのまま駆け上がらず、足を止めた。
背中側では、煙がまだ広がっている。
その向こうから、区域の境界が近づいていた。
戻れない。
残っている体力で、外側を大回りする余裕もない。
出口の傾斜を、少しだけ上がった。
身体を起こす。
前を塞いでいた低い壁の縁が、照準の下へ落ちた。
小屋の奥の角が見える。
その角から、次の壁へ渡るまでの、短い空間。
まだ、誰もいない。
僕は、そこへ銃を向けた。
来るなら、ここ。
違う方へ回っていたら、僕が先に見つかる。
足音が、止まった。
小屋の角は、静かなままだった。
僕は、マウスを握り直さなかった。
ここで手の位置を変える方が、怖かった。
壁の端に、影が伸びる。
銃身。
肩。
こちらへ向きかけた、ヘルメット。
いた。
照準の中へ、相手が入った。
僕は撃った。
最初の弾が当たる。
彼女は、止まらなかった。
横へ動きながら、銃がこちらを向く。
早い。
もう、見つかった。
僕も、照準を動かした。
逃げる肩へ。
銃声が重なる。
目の前の壁が欠けた。
次の一発で、画面の縁が赤くなった。
残りは、もうほとんどない。
身体が、反射的に引こうとする。
下がれば、一度は隠れられる。
けれど、向こうも壁へ届く。
次に出るときは、もう待たれている。
入った以上、引き返す道はない。
あの頃も、そう決めて入っていた。
僕は、照準を戻した。
跳ねた分だけ、下へ。
横へ動く分だけ、追いかける。
体力の残りを、見なかった。
銃を持つ腕。
その奥の、肩。
まだ、見えている。
撃ち続けた。
向こうの銃声が、止まった。
人影が、壁へ届く直前に崩れる。
僕の銃だけが、もう二発鳴った。
指を離す。
静かになった。
画面の端に、通知が出ていた。
nemui。
nanahoshi。
自分の名前が、倒した側にある。
それを読んでいるうちに、画面の真ん中へ、大きな文字が重なった。
WINNER。
一位。
九十六人のうち、最後の一人。
「……っ、よし!」
声だけが、部屋に落ちた。
椅子の背へ身体を預けようとして、まだ力が入っていることに気づく。
手が、マウスから離れない。
画面の端で、体力が細く残っていた。
もう一発、当たっていたら分からなかった。
いや。
最初の一発を、僕が先に当てていなかったら。
水路へ下りず、同じ高さから顔を出していたら。
途中まで考えて、息が漏れた。
笑っていた。
今さら、指先が震え始める。
勝った。
ほしなに、勝った。
*
『あああっ、負けた!』
ほしなの声が、配信に響いた。
画面には、二位の表示。
アバターが大きく仰け反り、そのまま少し揺れた。
『あと一発! 今、あと一発だったのに!』
『決着です! 優勝は、nemui選手!』
しおりの声も、いつもより高かった。
〈うおおおお〉
〈GG〉
〈ねむいさんおめでとう!〉
〈今の撃ち合い熱かった〉
〈ほしな惜しいいい〉
コメントが、次々に流れていく。
しおりが、胸の前で手を重ねた。
『……私、最後、息を止めていました』
『ほしなも! 撃ってるのに息してなかった!』
大きく息を吸う音。
それから、ほしなが笑った。
『あー、悔しい。ちゃんと悔しい!』
画面が、最後の場面のリプレイへ変わる。
白い煙。
その端から排水路へ下りる、白髭の選手。
『こちらを通っていたんですね』
『そう、ここ! 小屋から出る方を見てたら、もう向こう側にいるの!』
映像が、ほしなの視点へ切り替わる。
角を出る直前、視点がわずかに水路側へ向いた。
その先で、銃口が光る。
『音で気づいたんだけど、もう銃こっち向いてるんだよね』
〈先に構えてたのか〉
〈それであそこまで返すのもすごい〉
〈あの体力で引かないの怖すぎる〉
〈二人ともナイス〉
ほしなが、少し黙った。
リプレイの中で、照準が白髭の選手へ重なる。
重なったまま、画面が暗くなる。
『……うん。うまかった』
短く言ってから、いつもの明るい声へ戻った。
『もう一回やりたい!』
『このあと、賞品の対戦がありますよ』
『ある!』
返事が早かった。
〈切り替えw〉
〈再戦する気満々〉
〈優勝者休ませてあげて〉
『休憩はしてもらう! 水も飲んで! そのあとで、もう一回!』
『ほしなちゃんも、飲んでくださいね』
『飲みます!』
ほしなが画面の外へ少し傾き、しおりが改めて結果を読み上げた。
*
結果画面を、保存した。
保存された小さな画像を見て、もう一度だけ、一位の文字を確かめた。
五人撃破。
最後の一人だけは、名前を見るたびに、まだ変な感じがした。
nanahoshi。
あの人と戦った。
しかも、勝った。
机の水を飲む。
思ったより喉が渇いていて、半分くらい一気に減った。
背もたれへ、ようやく身体を預ける。
ゲームを終えたあとの部屋は、こんなに静かだっただろうか。
時計の音が聞こえる。
パソコンのファンも回っている。
さっきまで、まったく気づかなかった。
もう誰かの足音を探さなくていい。
銃を構え直す必要もない。
僕は両手を開いて、膝の上へ置いた。
「……楽しかった」
誰に言うでもなく、口に出た。
言ってしまうと、笑いがもう一度こみ上げた。
難しかった。
何度も、負けると思った。
それでも、今すぐ最後のところをやり直してみたいくらいには、楽しかった。
通知が鳴る。
大会用の連絡画面だった。
〈試合終了・結果確定。公式配信の視聴を再開していただけます〉
その下に、優勝者宛ての案内も届いていた。
〈賞品対戦へのご案内を、この連絡先へお送りします。そのままお待ちください〉
僕は背中を起こした。
そうだ。
まだ、終わっていなかった。
大会へ出た理由を思い出した途端、さっきまでとは別の緊張が戻ってきた。
公式配信を開く。
音が出た。
『改めまして、nemuiさん。優勝、おめでとうございます!』
ほしなが、こちらを向いて笑っていた。
画面の下に、自分の名前が大きく載っている。
参加者一覧の、一行ではなかった。
優勝者として。
『めっちゃ強かった! 最後のところ、あとでどう考えてたか聞かせてほしい!』
椅子の上で、背中が伸びた。
最後に、呼んでもらえた。
それだけで、うまく息ができなくなりそうだった。
*
『さて。それでは、優勝されたnemuiさんへ、もう一つのお知らせです』
しおりが言った。
もう一つ。
僕は、水を持ったまま画面を見た。
賞品対戦以外にも、何かあっただろうか。
ゲーム内の特別な衣装とか。
大会の記念品とか。
そういうものなら、少しうれしい。
『今回の大会は、リプラインの新人タレントを見つける、オーディション企画も兼ねていました』
水を、机へ戻した。
飲んでいなくてよかった。
〈え?〉
〈そういう企画だったの!?〉
〈急に話でかくなった〉
配信の画面が変わる。
見覚えのある事務所のロゴ。
女の子たちの、華やかな立ち絵。
大会の案内ページで、隣に出ていた広告と同じものだった。
『大会でのプレイは、事務所の審査スタッフも拝見していました。そして、優勝されたnemuiさんには――』
しおりが、一つずつ言葉を置いた。
『新人タレントオーディションの、最終審査へご招待いたします』
画面に、大きく文字が出る。
最終審査への特別招待。
その下に、nemui。
僕の名前だった。
参加者一覧にも、結果画面にも、ちゃんと同じ名前が出ていた。
だから、別の人の話だとは思えなかった。
「……何の?」
書いてある。
新人タレントオーディション。
読める。
読めるけれど、意味がつながらない。
僕は、ほしなとゲームをするために応募した。
その事務所に入るために応募した記憶はない。
〈ねむいさんスカウトじゃん〉
〈あの強さなら納得〉
〈おじいちゃんが後輩候補に〉
『最終審査ですので、所属が決まったわけではありません。詳しいご案内は、ご本人へ個別にお送りします』
しおりが、念のため付け加える。
僕も、強く頷いた。
そう。
決まっていない。
そこは、とても大切だった。
『でも、もし一緒に活動できたら、また遊べるってことですよね!』
ほしなが言った。
僕の頷きが止まった。
『ねむいさん、お話しできるの楽しみにしてます!』
推しが、楽しみにしている。
それは、うれしい。
うれしいのに、どこへ連れていかれようとしているのかが分からない。
ついさっきまで、次の安全区域は地図に出ていた。
今は、どのボタンを押しても出てこなかった。
*
個別の案内は、本当にすぐ届いた。
件名を見て、目を細める。
〈REPLINE 新人女性タレントオーディション 最終審査へのご招待〉
女性。
そこだけ、もう一度読む。
やっぱり、女性と書いてある。
リプラインが、女性のアイドルVTuberの事務所であることは知っている。
毎日見ているのだから、そこを勘違いしていたわけではない。
僕に届いたことが、おかしい。
……いや。
大会の応募フォームに、性別を書く欄はなかった。
この国で、ゲームの大会を最後まで勝ち残った誰かがいれば、たいていは女の子だ。
十人いれば、九人はそうなる。
向こうが間違えたというより、僕の方が、確率の外にいた。
画面の端では、優勝記念の画像が表示されていた。
白い髭。
立派な肩。
事情を聞いてくれそうな眉。
この人なら、どちらかというと審査する側に座っていそうだった。
もちろん、ゲームの見た目は関係ない。
問題は、その前に座っている僕の方だ。
男なので、対象外。
それを説明すればいい。
僕は、ようやく小さく息を吐いた。
招待の案内の下には、賞品対戦についての連絡が続いている。
このあと、運営担当者のいる個別通話へ入る。
音声を確認してから、ほしなと対戦。
配信には、一切流れない。
よかった。
最終審査のことは、そのときに話せる。
お礼を言って、事情を説明して、招待は辞退する。
そして、当初の予定どおり、ほしなとゲームをする。
やることを順番に並べれば、そんなに難しくないはずだった。
配信では、しおりが参加者と視聴者への挨拶を始めていた。
僕は、そちらへ目を戻す。
『予選から参加してくださった皆さん、最後まで見届けてくださった皆さん、本当にありがとうございました』
『ありがとう! ほしな、めっちゃ楽しかった!』
隣で、ほしなが大きく頷いた。
『負けたけど! それも含めて、今日は楽しかったです!』
〈おつかれさまー〉
〈いい大会だった〉
〈次も参加したい〉
〈ねむいさん楽しんで!〉
『ねむいさんも、最後まで戦ってくれてありがとう。お水飲んで、少し休んでね』
ほしなの声が、少し柔らかくなる。
『……このあと、待ってます』
僕は、もう一度マイクが切れていることを確かめた。
まだ返事は、できない。
でも、このあとなら。
しおりが手を振り、ほしなもそれに続いた。
『それじゃ、ご褒美はオフレコで!』
終了画面に切り替わる。
短い音楽が流れて、配信が終わった。
今度は、最後の言葉まで聞けた。
僕は空になりかけたコップへ水を足し、椅子に座り直した。
開くのは、もう一度の配信画面ではない。
運営から届いた、個別通話の案内。
画面には、参加するためのボタンが一つある。
さっきまで、銃を撃つために押していた指を、その上へ置いた。
いつも、配信を見ています。
今度こそ、それを本人に言える。
そして、もう一つだけ。
僕は男なので、オーディションの方は辞退します。
言うことは、決まっていた。
あとは、声にするだけだった。




