第八話 子守唄
『ソイツは顔も頭もいいし、大暴走も小さいものならいくつも収めている。人間相手にも強いよ』
「この方も神涙獣様の愛し子なのですか?」
長椅子に眠る青年の顔は、エルトン王太子殿下とは違った方向の美しさです。
端正ですが野趣が強く、目を開けて睨まれたら私は縮み上がってしまうでしょう。
『なに言ってるんだい。アタシの愛し子はアンタだけさ。でもまあ、コイツを気に入っているのは事実だよ。コイツはアタシを見てもほかの人間のように媚びることも怯えることもなかったからね』
顔見知りではあるようです。
「ん……?」
寝返りを打った皇帝に、私は飛び上がりそうになりました。
幸い起きたわけではないようで、彼は自分の顔の上に太い腕を押し当てました。
南のプリンキピウム帝国の太陽は北にあるフィーニス王国よりも激しく熱く、私も少し汗ばんできました。きっと眩しかったのでしょう。
「……」
私は息を潜めて彼に近づき、長椅子の近くにあった、ただでさえ植物がいっぱいの庭に置いてある鉢植えの観葉植物の位置を移動させました。大きな葉が特徴の植物です。
これで彼の顔に葉の影がかかるはずです。
青年は私よりも年上……ひとつ上だと聞いています……ですが、その顔は大人と言い切るにはまだあどけなく思えました。影になったことで腕を降ろした彼の眉間には、深い皺が刻まれていました。さまざまな問題を内包した国の主ということで、日々疲れているのでしょう。
「……泣かないで、赤ちゃん。お星様が見てるお月様が見てる、お日様もあなたを見てる。優しい神様の涙が、あなたの揺り篭揺らしてくれる……」
未来を思うと彼が気の毒になり、せめて今だけでも安らかに眠って欲しいと思ったとき、自然に口から子守唄が零れ落ちました。
神涙獣様は楽しげな表情を浮かべて、ゆっくりと尻尾を揺らしています。
さっき寝返りを打ったときから怪しい状態だった掛け布が皇帝の体から落ちたので、なんの気なしに拾ってかけ直してあげようと思って近づいたときです。
「……だれが赤ちゃんだ。余は泣いてなどおらんぞ」
「きゃ」
『アタシの愛し子に乱暴はやめてくれないかい、坊や』
「だれが坊やだ。人の昼寝場所へ勝手に入るな。余以外のものが来ていたら、うぬらを不法侵入で捕まえてフィーニス王国への宣戦布告に利用するぞ?」
言いながら、彼は私の腕を掴んでいた手を離しました。
そうですよねえ、不法侵入ですよねえ。密入国でもあります。
神涙獣様はともかく、私はかなり良くない状況です。
『あらあら、恩知らずな坊やだねえ。この場所への入場料は、蛇を捕まえたことで払ったと思うんだけど』
……そう言えば幼いころ、神涙獣様は私にも蛇やトカゲを獲って来てくださいました。
私は蛇もトカゲも苦手なので、いつも怯えて泣いてしまいましたっけ。申し訳ないと思う反面、神涙獣様は楽し気な顔だったのも覚えています。からかわれていたのでしょう。
皇帝は起き上がり、真っ赤な髪をガシガシとかき混ぜました。
「まあな、あれは感謝している。あの毒蛇に噛まれていたらイチコロだった」
どうやら政敵が放った暗殺用の毒蛇のことだったようです。
「で? うぬはどうやって余を誑かすつもりなんだ」
「あの会話のときから起きてらっしゃったのですか? 申し訳ありません! あなたを誑かす気はありません」
『アタシが勝手に言ってただけだよ』
「なんだ、残念だな。この赤みがかった綺麗な髪は余の好みだ」
彼は私の髪を取り、そっと口付けました。
フィーニス王国では受けの悪い髪色なので、こんなことを言われるのもされるのも初めてです。どんなに手入れをして整えていても、王太子殿下と側近候補の方々にはボサボサだと嘲笑されました。
頭に血が昇ります。心臓の動悸が激しくなりました。おかしなことです。婚約を解消して生き返ったはずなのに、私の命が今目覚めたような気がします。
「こ、皇帝陛下っ!」
「ガイだ。うぬにはそう呼ぶことを許そう」
「ガ、ガイ様っ!」
「うむ」
「あ、あなたはもうすぐ死にます!」
「……」
私の言葉に、皇帝はぽかんとした顔になりました。
「もうすぐ規模の大きな、ドラゴンを元凶とする大暴走が起こるのです」
『ああ、そうだったねえ』
神涙獣様が頷いたことで真実だと察したのか、皇帝は真剣な表情になりました。
「いつだ。いつ、どこで起こる」
「フィーニス王国にある魔導学園の卒業式の一ヶ月ほど前、場所は王国とプリンキピウム帝国の国境沿いにある魔の森です。だから、気をつけて……」
くださいと言う前に、神涙獣様の長い長い尻尾が私に巻き付きました。
『雨と晴れの狭間のときだよ』
そして──
「お嬢様っ! ご無事で良かった! 神涙獣様がご一緒なら大丈夫だと皆様おっしゃったのですが、どうしても心配で」
気がつくと、伯爵領にある屋敷の庭、遊歩道に立っていました。
傘を手にした侍女が駆け寄ってきます。
けれど傘は必要ありませんでした。おそらくこちらへ戻ってきた瞬間に、雨が止んだのです。
「神涙獣様……」
呼んでみましたが、どこにもお姿はありません。
侍女に無事を伝えて一緒に屋敷へ向かいます。父と母ももう帰ってきているそうです。
私は、やけに動悸がうるさい自分の胸に手を当てました。なにがあったというわけでもないのに、胸から消えないのです。私の腕を掴み、真っすぐに見つめて来た皇帝の黄金色に煌めく瞳が──
※明日からは18時の1回更新に戻ります。




