第9話 ──「鬼と、魔力ゼロ」
そこは深い森の中だった。
トジは身を低くしながら移動をしている。
木の陰、茂みの奥。気配を殺し、足音を立てず、誰にも見つからないように。
しばらく進むと、少しだけひらけた場所が見えた。
様子をうかがっていると、数人が立っているのが確認できる。
数えると、六人。
一人を、五人が囲んでいる構図だ。
囲まれている男には、見覚えがあった。
崖を三分台で登りきった、あの鬼人族。
トジは、木の幹に身を寄せて、息を潜めた。
五人が、じりじりと間合いを詰める。
そして、一斉に斬りかかった。
その瞬間。
「――『百鬼夜行』」
鬼人族の姿が、無数に増えたように見えた。
まるで百人はいるかのように。
そして漆黒の刀身が、空気を裂く。
冷たく、ぞっとするような音。
次の瞬間には、五人全員が、声もなく地に伏していた。
森が、しん、と凍りつく。
鳥たちが、一斉に羽ばたいて逃げていった。
……バケモノだ
トジの背に、冷たい汗が伝う。
気づかれないうちにここを去ろう――そう思って、そっと足を引いた、その時。
「そこに隠れてる奴。出てこい」
心臓が跳ねた。
トジは弾かれたように身を翻し、走り出そうとする。
――しかし。
「逃げるつもりか?」
声が、すぐ耳元でした。
次の瞬間、鬼人族はトジの正面に立っていた。
襟首を掴まれ、ひらけた場所へ叩きつけられる。背中に、鈍い衝撃。
「がはっ……!」
「お前、さっきの試験で、中々面白い結果を残してた奴だな。俺の名はガロウ。――よし。俺と戦え」
「――なっ!?」
トジに向かって刃が、振るわれる。どうにか必死に転がって避ける。
だが、避けるだけで精一杯だった。
一撃ごとに、地面が、木が、深く抉られていく。
逃げ場が、少しずつ奪われていく。
「っ、はぁ、はぁ……」
「なんだ。少しは楽しめると思ったが――逃げるだけの、ただの腰抜けか?」
ガロウが、つまらなそうに刀を構えた。
あの、先ほどの技――『百鬼夜行』の構え。
トジの心臓が、跳ね上がった。
「もういい。これで、終わりだ」
ああ、もう、だめだ――。
やっぱり自分には守護者は無理だったんだ、トジが諦めかけたその瞬間。
『よし、決めた! なあ、絶対に一緒に守護者になろうぜ!』
ドラゴの、まぶしい笑顔。
『あんたなら大丈夫! 自信持っていきな!』
父さんと、母さんの、温かい声。
全部が、一瞬で、頭の中を駆け抜けた。
――まだ、負けられない。
こんなところで、終われるか。
トジの瞳に、獣のような、強い光が宿った。
「『百鬼夜行』!!」
百の剣筋が、四方八方から襲い掛かる。
トジはそれを「見た」。
極限まで動体視力を研ぎ澄まし、その一本一本の剣筋を、はっきりと捉える。
肩を、腕を、脇腹を斬り裂かれ、血を散らしながら――それでも、そのスピードと、ぶれない動きだけで、致命傷だけは追わず生き延びた。
ガロウの目が、わずかに見開かれる。
「……ほう?」
初めてガロウの顔に驚きが走る。
その隙を見て、トジは木々の生い茂る方へと、転がるように走り込んだ。
「ちっ、少しはやるかと思ったが、やはり逃げるつもりか!」
「逃げない!」
トジは、二丁の拳銃を抜いた。
空気中の魔力が、銃口へと吸い込まれていく。
生い茂る木々に身を隠しながら、木の幹を蹴り、枝へ跳び、また別の幹を蹴る。
そして、撃つ。
撃っては、また跳ぶ。
まるで獣のように、立体的に、縦横無尽に飛び回った。
四方八方からガロウに向けて魔力の弾が放たれる。
ガロウは、それを刀で弾き返す。
……なかなかのスピードだが、こんな速さがいつまでも続くはずがない――
ガロウは、あえて受けに回り、トジのスタミナが尽きるのを待った。
だが――。
トジのスピードは、一向に落ちない。
木を蹴る鋭い音が、休みなく森に響き続ける。
血を流し、息を荒げながらも、その視線だけは、片時もガロウから外れなかった。
右の木から、左の枝から、頭上から、後ろの足元から――攻撃は永遠かのように続いた。
「ちっ……ちょこまかと!」
途絶えることのない攻撃にガロウも少しずつ余裕がなくなっていく。
「――『銃連弾』ッ!」
トジの必殺技。
ガロウに無数の弾丸が降り注ぐ。
そして、さすがのガロウも全てを防ぐことはできず、肩に一発を受けた。
すると、ガロウの口元がつり上がる。
「――く、くははっ……面白い。こんな戦い方をする奴は、初めてだ!」
ガロウのテンションが上がる。
「いいぞ! もっと、貴様の力を見せてみろ!」
まだまだ余裕を見せるガロウ。
トジは必死に攻撃を続ける。
しかし、ガロウは楽しんでいるかのようにトジの攻撃を防いでいく。
そして――弾の威力が少しずつ弱まっていく。
……そろそろ、限界か。これ以上のものは期待できなさそうだ――
やがて、攻撃がぱたりとやんだ。
「なかなか面白かったが、ここまでのようだな」
ガロウが、今度はこちらの番だと、刀を握り直す。
――だが、そこで気づいた。
やつが――いない。いや、気配は感じるが、ずいぶんと遠い。
……こいつ、渦を巻くように少しずつ俺から離れていやがった。弾が弱まったのは、力尽きたわけじゃない。ただ、距離が開いていただけか――
攻撃しながら、逃走ルートを確保していた。
その戦術眼に、ガロウはふっと笑った。
追う気は、起きなかった。
「面白い。……次は必ず仕留めてやる」
刀を鞘に納め、ガロウは悠然と、その場を後にした。
―― 一方のトジは、ガロウのいた場所から十分に離れて、ようやく足を止めた。
木の幹に、どさりと背中を預ける。
傷だらけの体で、肩を大きく上下させた。
「……はあっ、はあっ……なんとか、逃げ切った……」
それから、ガロウのいた方角をまっすぐ見据える。
荒い息の奥で、その瞳は、もう恐怖に揺れていなかった。
「……次は、逃げない。いつか絶対、あいつを倒せるくらい――強くなってやる」
木々の隙間から、日が沈み始めているのが見えた。
次回で第1章は最後です。
ぜひ最後までお読みください!




