第6話 ──「魔力なしで、あの崖を」
「次は、体力測定だ」
移された先は、見上げるほど高く切り立った絶壁の下だった。
首が痛くなるほど仰がなければ、てっぺんは見えない。
岩肌は、垂直に近い。掴めそうな出っ張りは、ぽつり、ぽつりとしか見当たらない。
崖の上から吹き下ろす風が、受験者たちの髪を乱していった。
「お前らには、この崖を登ってもらう。そのタイムを計る」
ざわつく受験者たちに、パウルは続けた。
「ただし――登る間、魔力の使用は一切禁止だ。純粋な体力のみで登れ」
そして、全員に、銀色の腕輪が渡される。
「これには、さっきの結晶のかけらが仕込んである。魔力が流れれば、光る。光った時点で、スタート地点からやり直しだ。さらに――十分を超えたら、強制終了。そこまで登った高さが、記録となる」
十分。その制限が、絶壁の高さを、いっそう残酷に見せた。
受験者たちの顔が、みるみる青くなっていく。
あちこちから、生唾を飲む音が聞こえた。
最初の五十人が、崖の下に並ぶ。
号令とともに、一斉に登り始める。
だが、進まない。
岩肌は無情なほど手がかりが乏しく、半分も行かないうちに、握力の尽きた者が次々と落下していく。
指先が、ずるりと滑る。踏ん張った足が、岩から離れる。
あとは、受け身を取る間もなく、砂地まで落ちていくだけだった。
十分以内に登りきれたのは、たった六人。
それも、八分台、九分台という、ぎりぎりのタイムだった。
登りきった者も、頂上で仰向けに倒れ込み、しばらく動けない。
ところが、次の組から空気が変わった。
筋骨隆々の肉体に鋭い眼光、そして額から角のようなものが生えた男。
周りからは鬼人族と呼ばれていたその男は、岩を蹴り砕くような跳躍で、てっぺんに到達した。
登っているというより、まるで、崖を駆け上がっているようだった。
そして、タイムは、わずか三分台。
「……ふんっ」
喜ぶ素振りは、まるでない。
それどころか、まだ登れずにいる者たちを、冷たく見下ろしている。
さらに、ぴんと立った猫の耳を揺らして、しなやかなバネで五分台を出す獣人族の女。
重装備のまま、太い腕だけでぐいぐいと、六分台でねじ登る国軍兵たち。
実力者は、たしかにいた。
だがそれでも、全体の多くが、崖の中腹で力尽きていった。
例の魔人族の少女の番も来た。
魔力を封じられた彼女は本領を出せず、途中で静かに手を止める。
「……体力勝負は、私の専門外よ」
誰に言うでもなく呟いて、涼しい顔で地面に降り立つ。
ぱん、ぱん、と手のひらの砂を払う。
取り乱しも、悔しがりもしなかった。
そして、ドラゴとトジの番が来た。
「おい、あいつ……さっきの魔力ゼロの奴だぜ」
「どうせ、体力もダメだろ」
陰口が、ちらほらと聞こえる。だが二人は、まるで気にしていなかった。
トジは、ただ崖を見つめている。
どこに足をかけ、どこを掴むのか。
その目は、もう登る道筋を追いはじめていた。
「トジ、競争だ!」
「うん。負けないよ!」
ごつん、と拳を突き合わせる。
パウルの号令がかかる。
号令とともに、ドラゴが岩肌を掴み、一気に駆け上がっていく。周りから歓声が上がった。
だが――それより、すごいものがあった。
隣を登るトジだ。
崖のわずかな出っ張りに足をかけ、その脚力で一気に押し上げる。
出前で鍛え抜いた体幹は、微塵もぶれない。
指は、ほんの浅い窪みに引っかけるだけ。足は、つま先しかかけていない。
それなのに、体が落ちない。
さらに街中の人を縫うような動きで、右に左に、次の足場をどんどん見つけ、とにかく凄まじい速さで、まるで地面を駆けるように飛び移っていく。
下から見上げる受験者たちが、ぽかんと口を開けた。
さっきまで嘲笑っていた連中が、声を失っている。
二人は、ほぼ同時に、てっぺんへ手をかけた。
岩を掴み、ぐっと体を押し上げ、転がり込むように頂上へ出る。
結果は――トジ、四分二十六秒。ドラゴ、四分二十九秒。
わずか、三秒差。
息を切らせたトジの顔に、会心の笑みが広がる。
「やった……勝った!」
「くっそー、負けたー!」
悔しそうに、けれどどこか誇らしげに、ドラゴが笑う。
トジは、誰かを見返そうなんて、これっぽっちも考えていなかった。
ただ、友人との競争に、夢中だっただけだ。
二人は頂上に並んで座り込み、肩で息をしながら、顔を見合わせて笑った。
最終組まで終え、十分以内に登りきれたのは、わずか三十五人。
三百人を超える受験者の、およそ十人に一人だった。
◆◆◆
受験者たちは、再び最初の広間へ集められた。
一次試験の、合格発表。
パウルが、名簿を手に、番号を読み上げていく。
「二十七! 五十九! 七十二!……」
呼ばれた者が、ほっと息を吐く。
呼ばれなかった者が、うなだれて、その場を離れていく。
先ほどの鬼人族の男や魔人族の女、国軍兵たちの番号も、当然のように呼ばれた。
そして、二人の番が近づいてくる。
トジが、両手を組んで祈った。
組んだ指に、ぎゅっと力がこもる。
「――三百三十四! 三百三十五!」
呼ばれた瞬間、トジが両手を突き上げ、天を仰いだ。
「やったああ!」
「よっしゃあ!」
ドラゴと、思いきりガッツポーズをぶつけ合う。
魔力ゼロの絶望からの、見事な大逆転だった。
「言っただろ、トジなら大丈夫だって!」
「うん!」
だが、喜びに浸る間もなく、番号を読み終えたパウルが次の言葉を口にする。
「合格者は、以上。――では、続けて二次試験の説明に入る」
ドラゴが、ふっと不敵に笑った。
「へっ。休ませてはくれねえらしいな」




