第13話 ──「約束、っす」
こうして、アクア・ヴィータの内乱は、幕を閉じた。
あれから、カイトもスイ姫も、無事に目を覚ました。
ハングラルが残した言葉から、スイ姫の『浄化の力』によって、おかしな思考に染まった者を、元に戻せることが分かった。
拘束されていた兵士たちも、一人残らず、目を覚まし、元の自分を、取り戻した。
理由があったとはいえ、王族に剣を向けた罪は、消えない。
本来ならば、その罪は、命をもって償うもの。
けれど――兵士たちに下されたのは、国を追われる、という処分だけだった。
レガリスをはじめ、ほかの国々で、もう一度、一からやり直す。
その道が、残されたのだ。
誰一人として、命を奪われはしなかった。
それは、最後まで「これ以上、血を流したくない」と願った、この国の――スイ姫の、優しさの、かたちだった。
命がけで姫を護ろうとした、護衛団長のグランヴェルも。
深い傷を負いながら、どうにか、一命を取り留めた。
水の国に、ふたたび、穏やかな日々が戻ってきた。
◆◆◆
それから、数日後。
傷も癒えたドラゴたちは、レガリスへ帰るため、城門の前に集まっていた。
空は、よく晴れている。
雲ひとつない、澄み切った青空。
湖の水面が、朝の光を受けて、キラキラと、まぶしく輝いていた。
「世話になったな、お姫様!」
ドラゴが、にっと笑って、手を振る。
「あんたの国、メチャクチャきれいだったぜ。また絶対、遊びに来るからな!」
「ふふ。ええ、いつでも、お待ちしています」
スイ姫も、やわらかく、笑い返す。
その隣で、サシャが「ちょっとドラゴ、王女様になんて口の利き方よ」と小突き、ガロウは相変わらず、無言で、馬車に寄りかかっていた。
いつもの、賑やかな空気。
そんな中、一人の男が、杖をつきながら、ゆっくりと、カイトのほうへ歩いてきた。
まだ傷の癒えきらない、護衛団長のグランヴェルだった。
「……カイト殿」
グランヴェルは、足を少し引きずりながら、カイトの前に立つ。
そして、深く、頭を下げた。
「あのハングラルを、倒すとは。……正直、まだ、信じられない気持ちだ」
顔を上げた彼の目には、感謝と――それから、ほんの少しの、影があった。
「どうだろう、カイト殿。よければ、このまま、うちの国に来ないか」
カイトが、眠たげな目を、ぱちくりと、させる。
「全く役に立たなかった、私なんかより。よほど、君のほうが、優秀だ」
グランヴェルの声が、少しずつ、沈んでいく。
「君なら……すぐに、団長にだって、なれるだろう」
自嘲するように笑う。
握った杖の先が、わずかに震えていた。
カイトは、しばらく、その顔を、見ていた。
それから、いつものように、ぽりぽりと、鼻の頭を掻いて。
「……いやいや。あの人に勝てたのなんて、偶然っすよ」
へらり、と気の抜けた声で言う。
「何日も前から、念入りに準備して。死ぬ、ぎりぎりで。……最後は、スイ姫の力まで、借りて。やっと、っす」
カイトは、肩をすくめた。
「それに――あの人、途中から、ちょっと、動きがおかしかったっすからね」
「……動きが?」
グランヴェルが、眉を寄せる。
カイトは、その顔を、まっすぐに、見た。
「なんだか、片足を気にしてる感じがしてたっす。多分、グランヴェルさんたちと戦ったときに――足、痛めてたんっすかね」
グランヴェルの、目が、見開かれる。
「そうでもなきゃ、おいらなんて。……最初から最後まで、相手にも、なってなかったっすよ。あの人の、本気には」
カイトの言葉は、ただ、淡々としていた。
慰めでも、世辞でもない。
ほんとうに、そう思っている、という口ぶりだった。
グランヴェルは、何も言えなかった。
ずっと、思っていた。
姫を護れず、ただ、倒れただけ。
自分は、何もできなかったのだと。
だが――命を捨てる覚悟で、最後に斬り込んだ、ハングラルの足への、あの一太刀。
あれが、姫を護る力に、なっていた。
「……そう、か」
やがて、絞り出すように、呟く。
「私の、戦いにも。……意味が、あったのか」
杖を握る手に、ぎゅっと、力がこもる。
うつむいた、横顔。
その目尻に、光るものが滲んでいた。
カイトは、それには気づかないふりをして。
「っす」とだけ、短く答えて、空を見上げた。
その、少し後ろで。
スイ姫が、ふと、二人のやりとりを見守っていた。
それから、小さく息を吸って――カイトのほうへ、歩み寄る。
「……カイトさん」
「ん。なんすか、お姫様」
水筒を肩にかけたカイトが、いつもの眠たげな目で振り返る。
スイ姫は、少しだけ、言いにくそうに。
それでも、まっすぐに、カイトを見上げて、言った。
「あの……もし、よかったら。このまま、わたしの国に……残ってくれませんか?」
その頬が、ほんのり、赤く、染まっている。
「あなたみたいに、強くて、優しい人が、いてくれたら……わたし、すごく、心強いんです。あなたさえ、よければ……ずっと」
精一杯の勇気を、振り絞った言葉だった。
周りのドラゴたちが、おっ、という顔で、そっと二人を見守る。
カイトは、少しのあいだ、黙っていた。
それから――ぽりぽりと、いつものように、鼻の頭を掻いて。
へらり、と、笑った。
「いやー、それはちょっと、無理っすね」
「……っ」
「おいら、これでも一応、レガリスの守護者っすからね。それに――」
カイトは、肩をすくめて、冗談みたいに続けた。
「おいらは、事件もない、魔獣も来ない、そんなところで、のんびりスローライフをしたいっす。さすがに、王女様の護衛なんて、ハードすぎるっす」
「そう、ですか……」
スイ姫の顔が、ふっと、曇る。
そんな姫を見て、カイトは、やわらかく、笑った。
「――だから、いつか、この国を、争いなんか起きない、姫様に護衛なんて要らないくらい、平和で豊かな国にしてほしいっす」
スイ姫が、顔を上げる。
「その時は、ぜひ、おいらを、この国の警備軍として、雇ってほしいっす」
その、少しおどけた、あまりに、いつも通りの、ゆるい返事に。
スイ姫は、一瞬、きょとんとして――それから、ふっと、肩の力を、抜いて、笑った。
少しだけ、寂しそうな。
けれど、どこか、嬉しそうな、笑顔だった。
「……ふふ、分かりました。約束、ですよ、カイトさん。わたし、この国を、もっともっと、平和にしてみせますから」
「約束っす!」
二人は、それきり、多くを、語らなかった。
◆◆◆
馬車の車輪が、回りはじめる。
ドラゴたちを乗せた馬車が、ゆっくりと、城門を後にしていく。
スイ姫が、いつまでも、小さく手を振っているのが見えた。
馬車の中。
ドラゴは、膝の上で、拳を握りしめていた。
その目は、まだ、どこか遠くを睨んでいる。
「……あの商人」
ぽつり、とこぼす。
「次に会ったときは、絶対に、ぶっ飛ばす。あの剣ごと、まとめてな」
腕を組んだガロウが、ふん、と鼻を鳴らした。
「それは、無理だな。……あいつは、俺が斬る」
「あぁん? なんだと!?」
その様子を、ちらりと見て、サシャが、小さくため息をつく。
「……あんたたち、せっかく二人で力を合わせたって、聞いたのに、またいがみ合ってるの?」
「「うるせえ!」」
声が、見事に、重なった。
ドラゴとガロウは、気まずそうに、ぷい、と、顔を背ける。
車内に、小さな笑いが、こぼれた。
その、少し離れた席で。
カイトは、窓の外の景色を、じっと見つめていた。
白い城が。
白い街並みが。
きらめく湖が――少しずつ、後ろへと遠ざかっていく。
いつもの、気だるげな顔のまま。
半分閉じたような、眠たげな目で。
けれど――その胸の奥には、彼自身にしか分からない、静かな熱が灯っていた。
……強く、なろう
遠ざかる城を見つめながら、カイトは、心の中で、そっとつぶやく。
この世界には、まだ、おいらの知らない、とんでもない化け物が、いる。
そして、あの優しい姫は、これからも、その渦の中で、国を背負って生きていくのだ。
次に、会うときまでに。
もっと、もっと、強くなる。
あの子の隣に立っても、恥ずかしくないくらいに。
第5章、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
想定よりも長くなってしまいましたが、無事、書ききることができました。
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