第7話 ──「利用して、やるよ」
「――いくぞ、ガロウ!」
ドラゴが、大剣を構え、床を踏み込もうとした。
しかし――
「邪魔だ」
ガロウの腕が、横からドラゴを乱暴に突き飛ばした。
「なっ……お、おい、ガロウ!?」
「俺の獲物だ。手を出すな」
低く、鋭い声だった。
「お前、まだそんな――」
その瞬間、ぞわりとガロウの全身から、黒い闘気が噴き上がった。
それは、ただの闘気じゃない。
まるで、生きた炎みたいに、めらめらと立ち昇り、ガロウの体を黒く覆い尽くしていく。
空気が、ずしりと、重くなった。
漆黒の刀『鬼哭』が、その主に応えるように低い唸りを上げる。
「『悪鬼羅刹』」
その言葉が、合図だった。
ガロウの目から、すうっと、理性の光が抜け落ちていく。
残ったのは、獣みたいに血走った、ぎらぎらと光る赤い瞳。
喉の奥から漏れるのは、もう、人の声とは思えない、低い唸り声だけ。
「……おいおい。マジかよ」
ドラゴの背筋を、ぞくりと、冷たいものが走った。
次の瞬間。
ガロウの姿が、ふっと、掻き消える。
ドンッ、と床が爆ぜた。
踏み込んだ足が、硬い石の床を、ぐしゃりと砕いている。
漆黒の刃が、まっすぐ、ルシアンの首めがけて、真横から走った。
目で追うのがやっとの、神速の一撃。
その刃は、ルシアンの首を捉える寸前で、ふいに逸れた。
指先から伸びた、見えない細い糸が、その軌道を、するりと横へ流したのだ。
「おや。ずいぶんと、荒々しい」
ルシアンは、涼しい顔のまま、一歩も動いていない。
ガロウが、吠えた。
止まらない。右、左、頭上。
漆黒の刃が、うなりを上げて、ルシアンへと、雨みたいに降り注ぐ。
その一撃、一撃が、常人なら、体を真っ二つにする、必殺の重さだ。
しかし、そのことごとくが、見えない糸にからめ取られ、逸らされていく。
振り抜かれた刃が、背後の壁を深々と抉る。
かわされた斬撃が、太い石の柱を豆腐みたいに、すっぱりと斬り飛ばした。
部屋が、丸ごと、壊れていく。
それでも、その嵐のど真ん中にいるルシアンには、傷ひとつついていない。
だが――ガロウの際限のない暴走は、まだ底を見せていなかった。
黒い闘気が、さらに体積を増す。
その一振りが、限界を超えて加速していく。
ルシアンの糸が、いつものように刃を逸らそうとする。
その、コンマ数秒。
ガロウの刃は、糸の速さを超えた。
ルシアンの頬に、赤い線が、一本、走った。
「……ほう」
初めて、ルシアンの足が、後ろへ一歩引いた。
頬を伝う赤いしずくを、指先でそっと拭う。
「これは、驚きました。……なかなかのスピードですね」
「今だ……! ガロウ、畳みかけるぞ!」
好機と見た、ドラゴが地面を蹴った。
援護に、割り込もうとする。
――しかし。
振り向きざま。ガロウの刃が、目の前に飛び込んできたドラゴめがけて、容赦なく薙ぎ払われた。
「うおっ!?」
とっさに、大剣で防ぐ。
凄まじい衝撃。後ろへと弾き飛ばされる。
「くそっ、ガロウ! オレだ! 味方だぞ!?」
返事がない。
あの血走った目には、敵も、味方も、映っていない。
ただ、目の前で動くものを――壊すだけ。
「おやおや、仲間割れですか」
ルシアンが、静かに、自分の頬の傷を、なぞる。
「今の一太刀は、見事でしたが……それと引き換えに理性を失う、制限付きの技、といったところでしょうか」
その視線が、獣のように吠えるガロウへ、そっと注がれる。
「もはや――ただの、獣ですねえ」
ふう、とルシアンが、細く息を吐いた。
「いいでしょう。……では、私も、少しだけ本気を、出しましょうか」
その、瞬間だった。
ルシアンの周りの空気が、ぴん、と張り詰める。
だらりと下げた両手、その十本の指すべてから。
無数の糸が、いっせいに、こぼれ落ちた。
鋼みたいに冷たく光る糸が、部屋中に、幾重にも張り巡らされていく。
まるで、巨大な蜘蛛の巣のように。
「――さあ。踊ってください」
ガロウが、吠えて、突っ込む。
だが、今度は、逸らされるだけじゃなかった。
振るった刃が、糸にからめ取られる。
右腕が、止まる。
次の糸が、足に、首に、胴に。
もがけばもがくほど、鋼の糸が、その巨体に、きりきりと、食い込んでいく。
「が……ぐっ……!?」
あれほどの力が、蜘蛛の糸に捕らわれた獣のように、身動きひとつ取れない。
「乱暴者には、少し。おとなしく、してもらいましょう」
ルシアンの指が持ち上がった。
張り巡らせた糸が、いっせいに引き絞られる。
鋭く光る糸が、じり、じりと締まっていく。
黒い闘気に覆われた、その肌へ。
少しずつ、少しずつ――食い込んでいく。
「このまま。……ゆっくりと、切り分けて、差し上げましょう」
糸が、肉に食い込む。
その巨体の輪郭に沿って、幾筋もの赤い線が、にじみはじめた。
「――させるかァ!」
ドラゴが、大剣を大きく振りかぶる。
刃に、燃えるような赤い魔力が、ぶわりと集まっていく。
ガロウの斬撃を、ことごとく受け流してきたあの糸。
しかし、今は、獲物を絞め上げるために、限界まで張り詰めている。
しなって力を逃がす、あの"遊び"は、もうない。
「『竜の爪』!」
振り下ろされた、渾身の一撃。
赤い閃光は、ガロウを絡めとる糸の束を、まとめて断ち斬った。
「――ほう、私の糸を斬るとは、なかなかの馬鹿力ですね」
張り詰めていた無数の糸が、いっせいに弾け飛ぶ。
拘束を失ったガロウの巨体が、床へ崩れ落ちた。
同時に、全身を覆っていた黒い闘気が、ふっと、ろうそくの火みたいに掻き消える。
血走っていた赤い瞳から、すうっと、獣の光が引いていく。
「……っ、ぐ」
床に、手をつく。肩が大きく上下している。
全身のあちこちが、糸で切り裂かれ、じくじくと痛んだ。
「……ちっ、これでも、だめか。だったら――」
また、一人で立ち上がり、剣を構えようとする。
そこに――
「ガロウ!」
ドラゴが、その隣に駆け寄った。
「一人でやろうとすんな。……悔しいが、オレたち一人じゃ、こいつには敵わねえ」
「……だまれ」
ガロウが、よろよろと、前に進もうとする。
「群れなきゃ戦えねえ奴に、なるつもりはねえ。俺は、俺の力で――」
「この戦いはな。オレたちだけのもんじゃねえんだよ!」
ドラゴの声が、その言葉をまっすぐ遮った。
「スイ姫が。この国の未来が、かかってんだ!」
拳を、握りしめる。
「……それによ」
ドラゴが、にっと笑った。
「初めての任務で、オレは確信したんだ」
まっすぐな、嘘のない目だった。
「オレたち十人は、最高の仲間だ。オレたちが力を合わせれば、もっと強くなる。オレたちに倒せない敵はいない!」
ガロウの頭の中に、ふと、あの時の光景がよぎった。
圧倒的強者を相手に、ボロボロになりながらも、ともに戦った――あの、初めての任務の。
「……ふん」
ガロウの口の端が、ゆっくりと、吊り上がる。
「勘違いするな。俺は仲間ごっこをする気は、これっぽっちもねえ」
刀を、握り直す。ぎり、と柄が鳴った。
「だがな。……俺が、強くなれる、ってんなら。話は、別だ」
血のにじむ足で、ぐっと、床を踏みしめる。
「お前だろうが、何だろうが――強くなるためなら。利用してやるよ」
ドラゴが、にっと、歯を見せた。
「いいぜ! 盛り上がってきた!」
二人が、並び立つ。
ドラゴの体から立ち上る、燃えるように熱い闘気。
ガロウから放たれる、冷たく研ぎ澄まされた殺気。
まるで正反対の、二つの力。
それが、混ざり合い、ぶつかり合って、壊れかけた部屋の空気を、ビリビリと震わせた。
その光景を見ても、ルシアンの笑みは揺らがない。
「話は終わりましたか? 面白いものでも見られるかと思って、見守っていましたが……ただの根性論ですか」
十本の指から、無数の糸が広がった。
「勢いだけで強くなれるのなら――誰も、苦労はしませんよ」
ドラゴの大剣が。
ガロウの刀が。
同時に、地を蹴った。
最強の敵へと。最高に、相性の悪いコンビが。
真っ向から、向かっていった。




