第6話 ──「水のあるところじゃ、負けない」
黒い剣を構えたハングラルと、水筒を提げたカイトが、屋上で向かい合う。
「ふん。……お前のような雑魚に、何ができる」
ハングラルが、口の端を歪めた。
「ま、確かにっすね」
カイトが、へらり、と笑う。
「おいらみたいな、か弱い新人守護者が、こんな化け物の相手とか。……ほんと、ついてないっす」
だが、その足は、すっと、低く沈んでいた。
「――でも。やるしか、ないっすよね」
まず、仕掛けたのはカイトだった。
「――『水弾』ッ!」
水筒から、鋭い水の弾丸が立て続けに飛び出す。
キラキラと光を弾きながら、ハングラルめがけて、まっすぐに突き進んだ。
ハングラルは、避けようともしない。
黒い剣を、無造作にひと振り。
その、瞬間だった。
あれほど鋭く輝いていた水の弾丸が、剣に触れた途端、ぴたりと勢いを失った。
光が、すうっと消える。
そして――ただの重たい水の塊になって、ぼたぼたと、無力に床へ落ちた。
「……は?」
カイトの目が、見開かれる。
「無駄だ」
ハングラルが、にやりと笑った。
「この剣に、触れたものは。ことごとく、力を失う。……お前の魔法など、ただの水遊びだ」
――力を、吸う剣。
グランヴェルが言っていたことを、目の当たりにする。
「……なるほどねえ。魔力を吸い取る感じっすか。厄介な剣、持ってるっすね」
軽口を叩きながら、カイトは、素早く頭を回転させる。
あの剣に、触れさせないようにしないといけない。
ならば――物量で、押す。
「――だったら、これは、どうっすか」
カイトが、両手を広げた。
水筒の水が、いっせいに噴き出す。
さきほどよりも、さらに大量の水の弾丸。
それを、四方八方から、ハングラルに放つ。
剣一本では、捌けない数。
「無駄だと、言っている」
だが、ハングラルは、動じない。
黒い剣を、旋回させる。剣圧が、渦を巻く。
触れた水は、片端から光を失い、無力なただの水と化していく。
相手は騎士団長、厄介なのは黒い剣だけでなく、その戦士としての実力もだ。
「く……っ、さすがっすね……!」
ハングラルが一気に距離を詰める。
カイトは、水の壁を、張った。
迫る黒い剣を、防ごうとする。
「――『水壁』!」
だが。
ずぶり、と黒い刃が水の壁をいとも簡単に貫いた。
触れた水が、力を失い崩れ落ちる。
そのまま、刃がカイトの頬をかすめた。
「っ、あぶな……!」
紙一重で、身を、よじる。
頬に、つう、と赤い線が走った。
攻撃は、通じない。防御も、貫かれる。
カイトは、じり、じりと、後ろへ下がるしかなかった。
斬りかかってくるハングラルを、いなし、かわし、しのぎながら。
「ぐ……っ。これは、さすがに、まずいっすね……!」
ちらり、と腰の水筒を見る。
あれだけ、たっぷり入っていた水が。
もう、ほとんど、残っていない。
攻撃に、防御に、使うたび、ただの水に変えられていく。
カイトの、たった一つの武器が、底を突きかけていた。
「どうした、新人。……もう、終わりか?」
ハングラルが、ゆっくりと間合いを詰めてくる。
気づけば、カイトは、屋上のいちばん端まで、追い詰められていた。
背後は、もう何もない。
ただ、はるか下に、湖が広がっているだけ。
「……はぁ。ほんと、面倒くさい相手っすね。あんた」
カイトが、ため息をついた。
そして――空になった水筒に蓋をして、閉じ、片手を、すっと上へ突き出した。
「正直、これ、使うのは。最後にしたかったんすけどね」
「……?」
ハングラルが、足を、止めた。
何かを、警戒するように目を細める。
だが――何も起きない。
カイトのてのひらの、その先には。
ただ、青い空が、広がっているだけ、だった。
「……ふん。ハッタリか!」
ハングラルが、黒い剣を振り上げ、とどめとばかりに、一気に踏み込もうとした。
その、瞬間だった。
城全体が、地鳴りとともに、地震みたいに、激しく揺れはじめた。
「な、なんだ……っ!?」
ハングラルが、思わず足を止める。
屋上から見下ろした、城の周り。
白亜の城を、ぐるりと取り囲む、巨大な湖。
そこから。大量の水が、ぶわり、といっせいに、空中へと浮かび上がっていく。
「なっ……湖の水だと……!?」
とんでもない量だった。
見上げるほどの、水の壁。
それが、もりもりと、盛り上がり、うねり、渦を巻いて、空を覆い尽くしていく。
太陽の光が遮られ、屋上に巨大な影が落ちた。
そして、その膨大な水が、ゆっくりと、ひとつの形をとっていく。
長く、太く、うねる、胴体。
鋭い、爪。ぎらりと光る、双眼。
大きく、裂けた――顎。
龍だ。
水でできた、天を衝くほどの巨大な龍が、今、その姿を、空に現した。
ずしん、と空気が震える。
見上げるハングラルの顔に、龍の落とす影が覆いかぶさった。
「な、なんだ、それは……! バカな……ありえん……っ!」
あれほど、余裕を崩さなかったハングラルが、初めてその声を引きつらせた。
「カ、カイトさん……!」
スイ姫も、屋上の隅で目を丸くしている。
「でも、なんで……!? カイトさんは、ご自身の魔力を流した水しか操れないはずじゃ……!」
「あー。……それ、なんすけどね」
カイトが、突き出した手を、くいっと動かす。
その動きに合わせて、空を覆う水龍が、ぐねり、と巨大な身をくねらせた。
「スイ姫と、別れてから、今日まで、ずっと。……おいら、毎日、こっそり。ちょーっとずつ。あの湖の水に、自分の魔力を流し込んでたんすよ」
ぱちん、と。片目を、つぶってみせる。
「もしものときの、保険に、ってね。……この国に着いた、初日から、子どもに水芸を見せるふりして。ずーっと、仕込んでたんす」
いつもの、気だるげな顔が。ほんの少しだけ、得意げに、笑った。
「毎日、魔力切れでしんどかったっすけど……準備しといて、よかったっす」
「た、たかが、水ごときで――!」
ハングラルが、黒い剣を天へとかざす。
あの、力を吸う剣で、この水の龍すら無力化しようと。
だが。
「いくらなんでも、この量は簡単には、無力化できないっすよね」
カイトの、突き出した手が、ぐっ、と握りしめられた。
「――喰らえ。『水龍』ッ!」
天を覆う、巨大な水龍が、凄まじい地響きと、水しぶきを上げて、まっすぐにハングラルめがけて落ちてくる。
黒い剣が、狂ったように振るわれた。
触れた水が力を失い、飛び散る。
だが――消せるのは、ほんの一部。
次から次へと、無尽蔵の水が、津波のように押し寄せる。
剣、一本で、抗えるような量ではなかった。
「ぐ、おおおおっ……!?」
巨大な水の奔流が、ハングラルをまるごと飲み込んだ。
そのまま、ものすごい勢いで、屋上の壁へと叩きつける。
轟音。水柱。飛び散るしぶきが、屋上を白く染めていく。
しかし、その荒れ狂う水流は、まるで意思を持つように、スイ姫のいる一角だけを避けて、渦を巻いていた。
やがて――水が引いていく。
壁際に、ずぶ濡れのハングラルが、ぐったりと沈んでいた。
「……ふぅ」
その光景を眺めて、カイトが、軽く息を吐く。
ふと、出発前にパウル教官に言われたことを思い出した。
『お前は水使いだろう。水の国に入りゃ、中は水辺だらけだ。お前の力は、かなりの戦力になる。いざってときは、お前が主力になれ』
「……いったい、どんだけ見越してたんっすかね」
ぼそっ、と誰にも聞こえない声で呟く。
そして、濡れた前髪を、かき上げて、いつもの気だるげな声で言った。
「……水のあるところじゃ。おいらは、負けないっすよ」




