第4話 ──「水の、いきもの」
重い沈黙を破ったのは、サシャだった。
「……じゃあ、いったん戻りましょうか。準備もあるし」
そう言って、四人が部屋を出ようとした、その時。
「あ、あのっ、カイトさん!」
スイ姫が、ぱっと顔を上げてカイトを呼び止めた。
「は、はいっ!?」
名指しで呼ばれて、カイトの背筋が、びくっと伸びる。
「カイトさんは、水使いなんですよね?」
スイ姫が、少し恥ずかしそうに、それでも目を輝かせて言った。
「もしよろしければ……その力を、少しだけ見せていただけませんか? 実は、わたしの一族も、水を扱う一族なんです」
「え。いやいやいや」
カイトは、ぱたぱたと手を振った。
「王族の方にお見せできるような、たいそうなもんじゃないっすよ。ほんと、ただの水遊びっす」
「いいじゃねえか」
横から、ドラゴがにっと笑って肩を叩いてくる。
「依頼主が見たいって言ってんだ。ちょっとぐらい見せてやれよ」
「お願いします」
スイ姫が、両手を胸の前で合わせる。その真っ直ぐな目に見つめられて、カイトは小さく息を吐いた。
「……分かったっす。ほんとに、しょぼいっすけどね」
カイトが、腰の水筒の蓋を、ひねって開ける。
すると――中から、すうっと水が流れ出した。
まるで生き物みたいに、水は宙へと昇っていく。
床にも落ちず、空中でくるりと丸まって、一つの大きな玉になった。
窓の光を受けて、その水玉が、キラキラと透き通って輝く。
「ちょっと待って」
サシャが、眉をひそめた。
「前から気になってたんだけど……その水、どう見ても水筒の大きさより多くない? どうなってるのよ」
「あー、これっすか」
カイトが、軽く水筒を持ち上げてみせる。
「これ、魔具なんす。見た目はちっちゃいっすけど、中は、ぐーんと広くなってるんすよ。まあ、水しか入れられないんすけどね」
言いながら、カイトが指先を、くいっと動かした。
その瞬間、空中の水玉が、形を変えはじめる。
ぐにゃりと伸びて、翼が広がる。くちばしができる。
次の瞬間には、そこに一羽の、水の鳥がいた。
本物そっくりの鳥が、透き通った翼をはばたかせて、ふわりと部屋を飛びまわる。
「わあ……っ」
スイ姫が、思わず声を漏らした。
鳥は、また形を崩す。
今度は、花だ。花びらが一枚ずつ開いていって、大きな水の花が咲く。
続いて、ぴょんと跳ねるうさぎ。すいすい泳ぐ魚。
次から次へと姿を変えていく水。その輪郭は、一度たりとも乱れない。一滴も、こぼれ落ちない。
ドラゴが「おお……」と目を丸くする。
サシャも、つい見とれてしまっていた。
壁際のガロウは、鼻を鳴らして顔をそむける。……が、その視線は、すぐにまた水へと戻っていた。
そして、最後。
水でできた花が、ぱあっと宙で弾けた。まるで、小さな花火みたいに。
キラキラと散った水の粒が、すべて、するすると水筒の中へ吸い込まれて、消えていく。
あとには、何事もなかったかのように、静かな水筒だけが残った。
「……こんなもんっすけど」
カイトは、特に得意げな顔もせず、気だるげに水筒の蓋を閉めた。
「すごい……っ」
スイ姫が、ぎゅっと両手を握りしめる。
「すごい! あなた、すごいじゃない!」
弾むような、すっかり砕けた声だった。
さっきまでの丁寧な姫様の口調はどこへやら、瞳をキラキラさせて、ただの女の子みたいにはしゃいでいる。
その勢いに、カイトは、ぱちぱちと目を瞬かせた。
「……っ」
そこでスイ姫は、ハッと我に返る。みるみるうちに、顔が赤くなった。
「し、失礼しました……。わたしったら、つい取り乱して……」
こほん、と咳払いをして、慌てて背筋を正す。
その急な変わりように、カイトはなんだか気恥ずかしくなって、ぽりぽりと鼻の頭を掻いた。
「……いや。そんなに喜んでもらえるとは、思わなかったっす」
ふいと、視線を逸らす。
「あなたのような方に来ていただけて、本当に心強い限りです」
スイ姫が、ふわりと微笑んだ。
「ちなみにさ」
ドラゴが、ずいっと口を挟んだ。
「お姫様も水使いなんだよな? どんな能力なんだ?」
「だーかーら、失礼でしょ!」
すかさず、サシャが小突く。
「ふふ、いいんですよ」
スイ姫は、くすくすと笑った。
「年も近そうですし……むしろ、気軽に話してもらえたほうが、わたしも嬉しいです」
それから、自分のてのひらを、そっと見つめる。
「わたしの力は、カイトさんみたいに自在に動かすものとは、ちょっと違うんです。わたしの一族の力は――『浄化』です」
「じょうか?」
「はい。どんなに汚れてしまった水でも、元の、美しい水に変えることができるんです」
「すげー!」
ドラゴが目を輝かせた。
「そりゃ、旅にはうってつけじゃねえか!」
「ふふ、そうかもしれませんね」
スイ姫は、少しだけ困ったように笑った。
「でも……争いごとには、まったく役に立たない力なんです」
ふっと、その横顔に、寂しさがよぎる。
けれど彼女は、すぐにいつもの柔らかい笑顔に戻った。
「カイトさん。素敵なものを見せてくださって、ありがとうございました」
そして、ドラゴたちのほうへ向き直り、深く頭を下げる。
「皆さんも――明日から、どうか、よろしくお願いします」
「おう! 任せとけ!」
ドラゴが、胸を、どんと叩いた。
カイトは、何も言わなかった。
けれど、ゆっくりと、力強く、一つだけ頷いた。




