第2話 ──「水の国の、王女さま」
現れたのは、一人の少女だった。
海の底のように深く澄んだ、碧い髪。それが窓から差す光を受けて、さらりと揺れる。
そして、吸い込まれそうなほど大きな瞳が、まっすぐにこちらを見ていた。
部屋の空気が、一瞬で変わった。
カイトの、いつもは半分閉じている眠たげな目が――大きく見開かれた。
あくびの抜けかけた口が、ぽかんと開いたまま止まる。
気だるげな視線が、無言のまま、少女の姿を追っていた。
「この方は」
パウルが、めずらしく背筋を伸ばして言った。
「アクア・ヴィータ王国の王女、スイ姫だ」
その名乗りに、先輩守護者たちが弾かれたように姿勢を正す。
慌ててビシッと敬礼するその音が、部屋に重なって響いた。
「レガリスの守護者の皆さん、はじめまして」
少女が、柔らかく微笑んだ。
「アクア・ヴィータ王国から、勉強のためにレガリスへ来ております。スイ・クレールと申します」
深々と腰を折る、丁寧なお辞儀。だがすぐに顔を上げ、彼女はくすりと笑った。
「あ、そんなにかしこまらないでください。王女なんて言っても、わたしはまだ成人していなくて、なんの力も持っていないんです」
その口調は、驚くほど気さくだった。
「今は、ただのスイです。どうか、よろしくお願いしますね」
……これが、王族ってやつっすか
カイトは、ぼんやりと心の中でつぶやいた。
偉そうにするでもなく、見下すでもない。
ただそこにいるだけで、その場の空気を全部やわらかくしてしまう。
そんな不思議な力が、彼女にはあった。
「それで、パウルさん」
先輩守護者の一人が口を開く。
「今回の任務は……このスイ姫の護衛、ということですか?」
「そうだ」
パウルがうなずいた。
「スイ姫は今、視察のため我が国に来られている。だが一週間後、自国でスイ姫ご自身の『成人の儀』が行われる。明日にはここを発って、三日かけて国へ帰られる。その道中を、俺たち守護者で護衛するんだ」
「アクア・ヴィータまで、ですか?」
先輩守護者が、わずかに首をひねった。
「いくら友好国とはいえ……向こうにも護衛団がいるんでしょう? それなら、十分なのでは」
「それは、わたしから話します」
スイ姫が、静かに一歩前へ出た。
「……実は今、わたしの国では、よくない噂が流れているんです」
彼女の声が、ほんの少しだけ揺れた。
「クーデター――国をひっくり返そうとする動きです。前からあったのですが、ここ数ヶ月で動きが活発になってきて。王族の命を狙う者まで、現れました」
「わたしが勉強のために来ているというのは、表向きのこと。本当は、国が落ち着くまで、こうして逃がしていただいている身なんです」
「なんで、そんなことに」
サシャが、思わずつぶやいた。
「アクア・ヴィータは、湖の上に浮かぶ、小さな国です」
スイ姫が、ゆっくりと続ける。
「資源も豊かではありません。だから、もっと武力を持つべきだ、兵器を作るべきだ――そう叫ぶ過激な人たちがいるんです。でも父は……今の国王は、あの美しい景色を守るために、そういう道を選びません。それが、気に入らないんでしょう」
「なるほどね」
サシャが小さくうなずいた。
「そして……ここからが、いちばん大事な話です」
スイ姫の手が、服の裾をぎゅっと握りしめた。
「どうやら王家に仕える者の中に――裏切り者が、いるようなんです」
ドラゴたちが、息をのんだ。
「機密の情報がことごとく外に漏れて、何をするにも先手を打たれる。誰が味方で、誰が敵なのか……それすら、分からないんです」
「なんすか、それ……」
さすがのカイトも、顔をこわばらせた。
「それでも、わたしは帰らなければなりません」
スイ姫の瞳に、強い光が宿る。
「父も母も、式典の延期や国民には非公開での開催を提案してくれています。でも――一生に一度のこの日に、わたしが国民の前に姿を見せなければ、みんな不安になってしまう。だから、どうしても帰りたいんです」
彼女は、すうっと息を吸った。そして。
「友好国であるレガリスが誇る、守護者の皆さんにお願いします」
深く、深く、頭を下げた。
「どうかわたしを、無事にアクア・ヴィータのお城まで送り届けてください。報酬は、きちんとお支払いします!」
誰も、すぐには声を出せなかった。
自分たちと、そう年の変わらない女の子。その小さな身体が、国民のために、自分の命を懸けて、頭を下げている。
その姿に、ドラゴたちは、ぐっと胸を打たれた。
「頭を上げてください、スイ姫」
パウルが言う。
「そういうことだ。お前たちには――」
「当たり前だお姫様!」
パウルの言葉を、ドラゴの大声が遮った。
満面の笑みで、拳を掲げる。
「オレたちが必ず、無事に送り届けてやるぜ!」
「ちょっ……うるさい!」
サシャが慌ててドラゴの脇腹を小突いた。
「あと、失礼でしょ! 相手は王女様なのよ!?」
スイ姫は一瞬きょとんとして――それから、ふふっと声を立てて笑った。
パウルが額を押さえつつ、苦笑する。
「まあ、馬鹿が一人いますが――安心してください。こいつらも、一応は立派な守護者ですから」
それから、パウルは一人の先輩守護者へ視線を向けた。
「レンジ。お前に、今回の隊長を命じる。必ず、お姫様をお守りしろ」
「了解しました」
レンジと呼ばれた男――背に大きな翼をたたんだ、鳥人族の守護者が、静かに頷いた。
「この命に代えても、必ずやお守りします」
ぴりっと、部屋の空気が引き締まる。
その時、カイトが小声でこぼした。
「……そんな重大な任務、おいらたちで大丈夫なんすか?」




