第3章 - 第7話
角を曲がると、そこは、戦場だった。
大通りに、イノシシの群れがなだれ込んでいる。
ひっくり返された荷車。倒れた露店。
逃げ惑う人々の悲鳴が、あちこちで上がっていた。
グレンは、その光景を、一望した。
昨日のように、視界が歪むことはなかった。
耳鳴りも、しない。
仲間の足音も、住民の悲鳴も、獣の鼻息も——すべてが、はっきりと、聞こえる。
頭の中が、嘘のように澄んでいた。
一瞬で、戦場が見えた。敵の数、群れの向き、逃げ遅れている住民の位置、そして仲間の間合い。
「——聞いてくれ」
声が、よく通った。
「ドラゴは、正面の群れを頼む。あそこを抜かれると、奥の住宅地に流れ込む。食い止めてほしい」
「おう、任せろ!」
「トジは遊撃を。動き回りながら、逃げ遅れた住民を、東の広場へ誘導してくれ。あそこなら、安全だ」
「わかった、そっちは任せて」
「ミーナは上空から、全体の動きを見て、伝えてくれ。死角に取り残された人がいたら、真っ先に君が気づける」
「まかせろニャ!」
指示が、淀みなく口をついて出た。
誰もが、即座に動いた。グレンの言葉に、迷いがないからだ。
「『竜の咆哮』!!」
ドラゴの大剣が、正面の数頭をまとめて弾き飛ばす。
「『銃連弾』!!」
トジが二丁の魔銃で牽制弾を撒きながら、住民を路地から導き出す。
「『跳び猫』!!」
ミーナが屋根の上を跳び回り、次々と状況を知らせてくる。
グレン自身も、槍を振るっていた。
穂先に炎を纏わせ、寄ってくるイノシシを的確に薙ぎ払っていく。
派手な大技ではない。基本に忠実な、堅実な槍術。
だが、その一突き一突きに、もう迷いはなかった。
戦況は、みるみるこちらへ傾いていった。
その時だった。
「きゃあっ!」
悲鳴。
路地の脇で、幼い子を抱えた母親が、腰を抜かして座り込んでいた。
その背後から、一頭のイノシシが突進してくる。
——昨日と、同じ。
最も近いのは、グレンだった。
だが今度は、あの思考の渦は、湧いてこなかった。
……この一手が、最善とは限らない
その考えは、確かに、頭をよぎった。
だが、グレンは、もう立ち止まらなかった。
……最善でなくてもいい。もし取りこぼしても——後ろには、頼れる仲間がいる。
地を蹴った。
母子とイノシシのあいだへ、身を滑り込ませる。
「下がってください!」
槍を、下から掬い上げるように振り抜く。
炎を帯びた穂先が、突進してきたイノシシの顎を打ち上げ、その巨体を横へと弾き飛ばした。
母子には、かすり傷ひとつない。
迷わずに、動けた。
そのことに、グレン自身が、確かな手応えを感じた——その、直後。
弾き飛ばされたイノシシとは、別の一頭。
物陰にいたそれが、鼻息荒く、倒れ込んだままの母子めがけて、横合いから突っ込んできた。
「——っ!」
グレンの体は、まだ振り抜いた体勢のまま。間に合うか——。
その瞬間、乾いた銃声が、響いた。
トジの魔弾が、そのイノシシの脳天を撃ち抜く。
獣は、母子に届くことなく、その場に崩れ落ちた。
「グレン、今度は間に合ったね!」
路地の向こうから、トジが銃口を下げて、にっと笑う。
「助かった、トジ」
グレンも、笑って応えた。
背中を預けられる、というのは、こういうことか。
グレンは、母親に手を貸して立たせると、にこりと笑った。
「もう大丈夫です。さあ、あちらへ。東の広場まで、逃げてください」
その笑顔に、母親の強張った顔が、ふっと緩んだ。
守護者が、笑っている。
それだけで、人は安心するのだと——ミーナの言葉が、確かに胸の中で、生きていた。
迷わなかった。恐れなかった。仲間を信じて、目の前の命に、手を伸ばせた。
昨日の自分では、決してできなかったことだ。
「いいニャ、押し返してるニャ!」
上空から、ミーナの弾んだ声。
誰の顔にも、確かな手応えがあった。このまま、いける——。
その、刹那。
「——ドラゴ、後ろニャ!!」
ミーナの叫びが、夜気を裂いた。
崩れた家屋の陰。そこに潜んでいた数頭が、死角から、どっと噴き出す。
その狙いは、正面の群れに大剣を振るい、無防備に背を晒していた、ドラゴ。
「しまっ——!」
振り向きざま、ドラゴが気づく。だが、もう、大剣を戻す暇はない。
牙が、爪が、いくつも、迫る。




